3月12日、前回に続きさいたま市の神社に参拝して来ました
JR大宮駅東口より徒歩15分、
東武アーバンパークライン北大宮駅、大宮公園駅より徒歩15分の、
武蔵一宮氷川神社です
一の鳥居最寄駅のJRさいたま新都心駅で降りて歩こうと思っていたのに、間違えて大宮駅まで乗ってしまいました
一の鳥居からだと約2kmにも及ぶ長い参道になります。
社号碑と二の鳥居。
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二の鳥居は元々は「明治神宮」の大鳥居だったものだそうです。
昭和41年の落雷によって破損し新たな鳥居を建立しており、落雷した旧大鳥居を昭和51年に当社の二の鳥居として移設しました
三の鳥居の奥に広~い境内。
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埼玉県・東京都・神奈川県に約200社程点在する「氷川神社」の総本社です。
地名から「大宮氷川神社」と呼ばれることも多いですが、正式名称は『武蔵一宮氷川神社』です。
当社を中心に氷川信仰が広まった歴史を持ち、埼玉県・東京都の荒川流域を中心に分布しています
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銅板葺で流造の社殿も、昭和15年に国費で改築されたものです。
今から2400年以上前、第5代孝昭天皇の御代3年4月未の日の創建と伝えられています。
古くは見沼の水神を祀っていたと思われますが、第12代景行天皇の御代に出雲族が当地に移住し、出雲の神である須佐之男命を祀ったとされます。
当時、日本武尊が当社に参拝し、東夷鎮定の祈願をしたと伝わっています。
聖武天皇の御代には「武蔵国の一宮」と定められ、延喜式神名帳には式内社の最高位である「名神大社」に定められています。
「氷川」の名は、豊かな見沼の水の神性を称えて名付けられたという説と、御祭神の須佐之男命の神話より出雲地方を流れる「簸川(ひかわ)」(現・斐伊川)
から名付けられたという説があります
中世には東国の武士から篤く信仰を集め、江戸時代には徳川将軍家からも篤く庇護されました。
「大宮」の地名は、当社に由来し、
当社を「大いなる宮居」と称えたことで「大宮」という地名となったとのことです
明治元年、明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守・「勅祭社」と定め、関東の神社の中で最初に当社に親祭を行われました。
明治4年「官幣大社」に列せられ、戦後に入り神社本庁の「別表神社」に指定され、現在は宮中の「四方拝」で遥拝される一社にも数えられています。
※「四方拝」とは、宮中において元日の早朝に、伊勢神宮をはじめ四方の神々7社を遠くから拝む年始の大切な儀式です。
御祭神
須佐之男命 すさのおのみこと
稲田姫命 いなだひめのみこと
大己貴命 おおなむちのみこと
三神は、夫婦神と御子神です
ご利益
恋愛運、結婚運、夫婦円満、家庭運、仕事運
手前に拝殿があり、奥に本殿が見えます。
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左に神饌所。
江戸時代には神橋の手前に「簸王子社」があり、神橋の先に奥宮と称された「男体社」「女体社」が鎮座していました。
「簸王子社」と「女体社」を廃して「男体社」に三神を合祀するようになり、現在の1つの社殿となったとのことです。
楼門から見て右手に東門。
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朱色とグリーンのコントラストが美しい
手裏剣みたいな柄が気になりました
武蔵一宮氷川神社には、摂社・末社がたくさんあります。
part2では、摂社・末社と境内の見どころ、御朱印をご紹介します