神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし






上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。

つぶやきを進めましょう。
『胎蔵マンダラ』を描くには、最初に外の形、『平方』の形から作成していきます。
密教に関心ある方の中で何人、実際に、作成を試みた方がおられるでしょうか?
当然、『大日経』を手元に置いて、解釈しながら、描き出すことになるでしょうが・・・
『胎蔵マンダラ』は四角形の中に描き出されていきます。
平方形の線を引くに決まり(順序)があります。
方角(東西南北)があり、それを決められた順序で引いていかねばなりません。

〔密教の作法は厳しく決まっています〕
〔これがいい加減なら曼荼羅図は単なる美術品です〕
以下のテキストを利用しました。
『大日経・密教部1(新国訳大蔵経)』〔大蔵出版・福田亮成〕
(2000年12月10日 第2刷)

このテキストの62ページに『胎蔵マンダラ』を作図する線の描き方があります。
この本は漢文そのものではなく『読み下し文』です。
しかし、これを百篇も読んで、読んだ通りに百篇描いても途中から、『ぐしゃぐしゃ』となって良く分かりません。
『大日経』を理解するには、『大日経疏(沙門一行阿闍梨記)』という別の解釈書を横において、読みこなしていかなければなりません。

『国訳一切経(和漢撰述部70・経疏部14=大日経疏・上)』(大東出版)
『国訳一切経』の中に、この『大日経疏(沙門一行阿闍梨記)』があります。
そして『胎蔵マンダラ』の作図の方法が解説(173ページ)されていますが、これもまた百篇も読んで百篇、線を描いても同じように途中から意味が分からなくなり、『ぐしゃぐしゃ』になります。
〔これも漢文そのものではなくて読み下し文です〕
酒井真典先生が『大日経の成立に関する研究』(国書刊行会)を著述されています。古い本です。昭和37年10月30日 初版されています。
私の手元にあるのは昭和62年5月20日第4刷発行のテキストです。
こちらにも『胎蔵曼荼羅』の墨打・描き方が説明(174ページ)されています。
ここには『大日経・漢文』そのものが記載されています。
漢文の下に解説文がありますが、かなり簡略された解釈です。
これを基にして『胎蔵曼荼羅』の外形を描いてみましたが、これもまた百篇描いても『ぐしゃぐしゃ』になります。

最終的には179ページに酒井真典先生の解釈で、平易に線引き順序が乗っていますが、それは必ずしも『大日経疏(沙門一行阿闍梨記)』と合致するものではありません。
たかが、曼荼羅図の平方形を描くだけなのですが・・・
描けません。私の独学では書けません・出来ません。
これだけの資料を以ってしても平方形ひとつ順序通りに描けません。
難しい世界です。

かつての先達・学者はこれを自らの手で完成できたのでしょうか?
凄いです!
私の『密教』世界もまだまだ・・・です。
いつか、うまく描けたらみなさんに御報告を!



























上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
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つぶやきを進めましょう。
仏教とは何?・・・仏教入門(2)を続けましょう。
真言密教は「凡聖一切の有情は『六大』によって造られている」と言います。
【ここはこのまま素直に頭に入れましょうね】
『六大』とは=地大・水大・火大・風大・空大と『識』大の『六大』を言います。
【言うなれば・・大宇宙本体です】
【地・水・火・風・空・識】についてはあとで詳しく解説しますね】

これは聖者の世界・凡夫の世界である一切の有情世界=『十界』は『六大』で造られているということを表しています。
それを踏まえると、『六大』から観れば『十界』世界に区別はなく、「平等である」・「一如である」という観念が生まれます。
凡聖不二。
凡聖一如。
凡仏平等。
凡仏一如。
・・・・・という観念です。
【上記の言葉は密教の常用語です】
凡聖平等の観念から理解できることは『十界』は聖者の世界も凡夫の世界も、それぞれが関係して、必要性があって存在するということです。
どれが欠けても『十界』は成立しないのです。
「仏=お釈迦様の世界」は人間達の世界があって、成り立ちます。

人間の世界も地獄の世界があって成り立ちます。
この平等思想とは、それぞれが平等の地位を表すのではなく必要(存在性の意義がある)があって、関係して成り立つことを表している・・と認識してください。
〔この生命あるものの世界(有情世界)では、如何なる生き物であっても、不要な生き物は存在しない・・すべて生きる必要があって存在することになるということになりませんか?〕
・・・これは私からの結論ではなく、皆さんへの宿題に”



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
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つぶやきを進めましょう
物質のご案内が終わり一息つきました。
せっかくですので、ここで初心に戻りましょう。
簡単な知識から入ってみましょう。
仏教って何?
すべて共通の知識として、押さえておきたいのは、
生命あるものの世界はどういう仕組みなのか?です。
そのご説明が『十界』(生命あるものの世界=一切の有情世界)です。
『十界』は二つの断層に分かれます。
四聖(聖者の世界)と六凡(凡夫の世界)=六道。
上記に二つの断層です。
1の断層=四聖(聖者の世界)は、以下の通り4つに分かれます。
仏 ・ 菩薩 ・ 縁覚 ・ 声聞
(声聞・縁覚はお釈迦様の側近達の【上座部】仏教の世界です)
2の断層=六凡(凡夫の世界)=六道は以下の通り6つに分かれます。
天上  人間  修羅  畜生  餓鬼  地獄
輪廻転生とは六凡の世界、仏の世界に行けないで、六道世界を転生して巡り廻ることを言います。
『悟る・覚りを開く』の語は四聖に仲間入りをするということです。
【楽】だけの世界が【天上界】
『人間界』は【楽】と【苦】が半ばする世界です。
【楽】が極まる世界を『極楽』(仏の世界)と言います。
【苦楽】を共にしようね】と言う台詞は=【人間界を共に歩もうね】
一緒に人間しよう!!と言う意味になるでしょうか。
以下、【修羅】  【畜生】  【餓鬼】  【地獄】は、全て苦しみの世界です。
次に空海は仏教を二種類に分けます。
【密教】と【顕教(密教以外の仏教全て)】です。
【顕教】は仏の世界に入るには、無限とも言える長~い、長~い修行を経て、菩薩位を経なければ、到底、仏になれない教えです。
これを『三劫成仏論』(永遠に成仏出来ない)と言います。
成仏するに時間というものが問題点となります。
本日のポイントは、仏教の教えは十界=四聖・凡夫の世界の断層・区別があることです。