ドラマのような人生 | misaのブログ

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さて、かっこちゃん(山元加津子さん)からメルマガ(過去のメルマガはコチラ )が届くのを毎日楽しみにしている私ですが、ある日、感動の出来事が載っていました。

ずっとお伝えしたくてたまらなかったメッセージです。

どうかお読みになって下さい。

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てつやさんからメールをいただきました。

『いつもありがとうございます。僕はどうしてもかっこちゃんと宮ぷーに、そしてメルマガにお礼を言いたいと思っています。

その前に僕の話を聞いてください。

僕には婚約者がいました。結婚式まであと10日余りのことでした。

結婚のための特別休暇のために、前倒しで仕事をしようと、少し無理を重ねていたのがいけなかったのでしょうか。

朝起きた時から頭痛がして、そして、翌日の仕事中にクモ膜下出血で倒れました。

二か月後に意識を取り戻した時には僕の前に彼女はいませんでした。

当初の診断では、「意識は戻らない可能性が高く、予後もよくないであろう」という診断だったそうです。

そのため、彼女のご両親から「なかったことにしてほしい」という申し出があったそうです。

彼女も何度も来てくれたそうですが、僕の両親から、彼女のご両親の申し出があったので、来ない方がいいのじゃないかと話したのだそうです。

ありがたいことに僕は二か月ほどで意識を取り戻し、今は、手や足も動きだし、片側に麻痺が残るものの、どうにか立てるまでになりました。

住む場所も決め、人生設計を一緒に話し合い、新婚旅行を楽しみにしていた彼女のことを思うと、言葉では言い尽くせないほどの悲しみと苦しみを彼女に与えてしまっただろうと思うと、すまない思いでいっぱいになります。

そんな彼女に連絡を取ってみたい思いはありますが、それが彼女を苦しめることになることがわかっているので、これ以上の苦しみを背負わせないためにも、連絡はとっていません。

僕は、社会生活へ復帰する望みを捨ててはいません。

私は彼女の幸せを思ったときに、今のことは、それでよかったんだと思っています。

思っていることに少しの嘘もないのに、そう思うときに、自分を卑下してしまっていることに気が付くのです。

自分は体が思うように動けない。彼女を前と同じように守ってやることができないし、それどころか、車いすを押して出かけなければならず、不便を強いることになるだろう。

結婚した後でなく、結婚する前であったことが、僕のせめてもの慰めでもあります。

僕は今は前向きですが、彼女を思ったときに、彼女を幸せにできないでいる体を持っているそんな自分が嫌で、苦しくなります。

会社へ復帰することを上司は応援してくれているけれど、たとえそれが果たせたとしても、幸せにはきっとできなかっただろうと考えてしまいます。

けれど、お二人を見ていると、そんなふうに思わなくてもいいのじゃないかと、考えが変わってきました。

宮ぷーは、客観的に見て、おそらくは僕よりも重い障害を現時点では持っておられる。

けれど、お二人は誠に幸せな時間をすごしておられるように見えます。

僕にとっても毎日のリハビリはとても苦しいものです。

時には光すら見えないように感じることがありました。

けれども、そんなリハビリの時間にもし、彼女がそばにいてくれたら、優しい彼女ですから、一緒に幸せだと言ってくれたのではないかなあと、そんな幸せのありかたもあったかもしれないと思ったりします。

そばで見守ることはできませんが、彼女の幸せを僕は願っています。

お二人に会えたおかげで、僕自身を肯定的に見れるようになりました。

宮ぷーやかっこちゃんの毎日にとても励まされています。

宮ぷーの「これが僕のすすむ道」 を読み、そうだ、これが僕の進む、僕だけの道なんだ。

自分を嫌いにならずに受け止めていこうと、とても前向きな気持ちになることができました。

それを言いたかったのでメールさせていただきました。』


かっこちゃん》てつやさんは本当に素敵な方ですね。彼女を思う気持ちが文章にあふれていて、涙が出ました。

私はすごく勝手なことを思いました。彼女さんは、今も絶対にてつやさんのことを忘れていないと思います。

今はどんな生活をされているかはわからないけれど、でも、元気に頑張っていることをお知らせして欲しいなあと、本当に勝手なことってわかっているけれど、そんなふうに思いました。

そして、てつやさんはきっときっと必ず幸せになられる方だ、だいじょうぶって思いました。

いったい私の「だいじょうぶ」はどこから湧き上がってくるのかわからないけど、なんだか絶対そうだと思いました。

だからてつやさんだいじょうぶだよ。だって、必ずいつかのいい日のためにあるよ。

宮ぷーといる毎日でもそう思うのです。


か》さっきの日記を書いたのは、朝でした。そして今は夜。

実はてつやさんにメールしちゃったのです。

「てつやさん、幸せにするってどういうことだろうって。私、わからないよ。てつやさんは幸せにするってどんなことだろう。

きれいなお洋服を着たり、おいしいものを食べることは確かにうれしいけど、でも、そのことが一番の幸せじゃないもん。

それから、ご主人が出世して、子供さんがいい大学に入って、どれもうれしいかもしれないけど、でも、それが一番の幸せでもないもん。

てつやさんはすごく素敵な人、もし、出世とか高いものを食べるとかそういうことが、もしなくても、そんなことじゃないと思う。

てつやさん、彼女さんのこと、てつやさんがすごく好きなこと、伝わってきました。

彼女が今も心配をしているだろうって、てつやさんが思っていることも、感じました。

てつやさんが元気にしているよって。リハビリがんばっているよって、メールをしたらどうかなって、私は勝手に思いました。勝手なのはわかっているけど、思いました。・・・」

そんなふうにメールをしちゃいました。

そうしたら、夜にてつやさんからメールをもらったのです。

『かっこちゃんありがとう。

僕は、かっこちゃんに連絡をしたらと言ってほしかったのだと気がつきました。

僕は、卑屈になっていました。宮ぷーとかっこちゃんに会うまで、僕の人生はもう終わりと決めつけていました。

けれど、宮ぷーとかっこちゃんはやけに楽しそうです。

宮ぷーのレッツチャットのブログを毎日欠かさずに見て、メルマガを読んで、かっこちゃんと彼女の笑顔を重ねあわせると、彼女が幸せと思ってくれるような気がしました。

かっこちゃんが書いてるように、僕が考えていた幸せと少し違うところにも幸せはあるのじゃないかと、思うようになってきて、そうなると、いったんあきらめた彼女のことばかり考えるようになりました。

かっこちゃんに言ってもらいたかったなんて、卑怯ですかね?

ちょっと男らしくなかったかな?そんなことないですよね。

実は、先ほど、彼女にメールしました。

かっこちゃん、心配しないでね。僕が自分で決めたのです。

だから、どんな結果であっても、彼女にすでに恋人がいたり、結婚していたりしたとしても、それから、僕の障害のことを知って、僕にはもう興味がなくなっていたとしても、それは自分で決めたことだから、自分の責任、大丈夫です。

少しガッカリしても、僕は彼女の幸せを知ることができれば安心できると思います。

そして、僕自身にも、お二人のおかげで、僕の未来に自信が持てたから、再出発できます。

彼女に知らせてすっきりしました。つらい思いをさせたことも謝りたかったから。

かっこちゃん、本当にありがとう。大きな後押し感謝します』


か》てつやさん、てつやさん、もう決めていたんだね。私にメールを最初に下さった時点でもう決めておられたんですね。

私、応援してる。てつやさんが倒れて、時が経って、そのあいだの彼女さんのこと、私たちがわからないいろんなことがあったかもしれない。

そうじゃないかもしれない。どんな結果であっても、てつやさんの決断はきっといいふうにつながっていくと信じています。

宮ぷーはてつやさんのメールに泣いていたよ。

てつやさんからのメールです。夜遅くに届きました。

『かっこちゃん、勇気をありがとう。僕の歩く道の大切な勇気をありがとう。

かっこちゃん、彼女の名前は有と言います。

有が来てくれました。

僕のメールを読んですぐに来てくれたのでしょう。

電車で一時間ほどかかるから、すぐに走って来てくれたんです。

少し痩せていたけれど、変わらない有が僕の名前を呼びながら来てくれました。

とにかく、倒れたのが、結婚式のすぐ前だったから、式場のことや旅行のことなどの手続きも大変だっただろうと思うので、そして、何より悲しくつらい思いをさせたと謝りたかったので、ロビーに誘いました。

僕が車いすであること、片側が使えないことも、わかってしまった。

けれど、繕う必要のないことです。

ロビーで有に謝ろうとしたら、有の方から「哲也ごめん。本当にごめんなさい」と泣きながらいうのです。

その一言で、今の有が、僕とはこれからは歩いていけないのだとわかって「いや、僕こそごめん。いろいろと大変だったろうね。幸せになってほしいと思ってる」と言いました。

かっこちゃん、これでよかった、本当によかったとそう思ったのです。

けれど、有が信じられないことを言いました。

「哲也、ひとりにしておいてごめんね。もう、哲也のことを決して一人にはしないから」

かっこちゃん、有がそう言ってくれたよ。

あのまま有に連絡をしないままだったらと思うと、怖くなる。

有が僕のところに帰ってきてくれました。

遅くまで話をしました。終電まで。

有は僕の両親に来ないでほしいと言われたあとも、何度も病院へ来てくれたそうです。

でもお互いの両親の悲しみを思ったり、彼女自身も心を病んで、入院までしていたそうです。

つらい思いをさせました。

僕が、「一緒になるなんて、後で決めたほうがいい」と言っても、「体が動かないよ」とか「仕事も復帰をめざしているけれど、行けても続けられるかわからないよ」と言っても、何を言っても首を何度も振って、「哲也といたい。もう決して離れない」と言ってくれました。

有が帰ったあとも、夢だったのじゃないかなあと何度も電車から送ってくれたメールを読んでいます。

何度も何度も。

明日も明後日も来てくれるそうです。

有の仕事からはこの病院は比較的近いので、毎日来てくれるそうです。

実は僕はそろそろ退院しなくてはならないという話が病院から再三ありました。

宮ぷー、僕はがんばらなくちゃね。

自分のためだけでなく、有のために。

宮ぷー、僕も宮ぷーのように、これから、毎日時計を見ながら、有を待つことができそうです。

かっこちゃん、宮ぷー。二人のおかげです。

いつか二人で宮ぷーとかっこちゃんに会いに行きたいです。

絶対にあきらめないこと、宮ぷーさんから学んだことを忘れません』


か》哲也さん、有ちゃん、よかった。何度も何度もいただいたメールを読み返しました。

すごーい。よかったあ。うれしいです。なんだかドラマみたいに目の前で、起きたことが見えるみたいです。

私もお二人にお会いしたいです。お会いしたいなあ。お二人に、心からおめでとうと言いたいです。

いっそう強いきずなでこれから進んでいかれるんだなあと胸が熱くなります。


か》昨日は哲也さんと有さんのことで、すごくたくさんメールをいただきました。

メール全部てつやさんに送らせていただいて、お伝えしました。

哲也さんからもお返事が来ています。

『こんなにたくさんのメールをありがとうございます。驚きました。

かっこちゃんが書いていたように、ドラマのように展開をして、有の両親が日曜日に来てくれました。

僕が倒れてからの有は、まるで生きていない人のようだったとお義母さんが、言われ、今嬉しそうな有を見て、応援したいと言ってくださいました。

お義父さんも、どんなことも、僕たちができることなら応援したいと思っているからと言ってくださって、僕自身、これからは、少しの間も、リハビリを続けることで、有やご両親に対する責任を果たしていきたいと思いました。

僕たちの話を、地球の裏側の人まで知ってくれて、応援してくださることが、信じられないような気持ちです。

ありがとうございます。メールすべてに返事をさせていただきたいところなのですが、今から、リハビリを本腰入れて頑張るぞという思いがすごくあって、許してください。

これからのことも、いつかまた必ず良いご報告ができるようにと頑張ります。哲也』



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こんなドラマのような感動の出来事が、かっこちゃんとの関わりを通して起こったのです。

それをリアルタイムで私たちも知ることが出来、感動を共有しました。

決してあきらめない事。そして信じる事。

宮ぷーとかっこちゃんが教えてくれました。


Kiroro 「未来へ」