「マヤ暦の終わり」にはもうひとつ説があった | misaのブログ

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マヤ族の大長老ドン・アレハンドロ氏は昔から言っていました。

「2012年12月21日は、いつもと変わりなく過ぎていくでしょう。
イヤーゼロ、長期暦の終わりはいつかは必ず来ます。
その時は、太陽のない真っ暗な世界が訪れるので分かります。」と。

そうなってみないと、本当の終わりの日は特定できないのです。

古代マヤにはプレアデスから4人の宇宙人が来て、暦を授けて行きました。

しかし、スペイン人の侵略によって、暦を管理するデイキーパーたちは殺され、大切な書物は全て燃やされ、長期暦の終わりの日付を特定できる人が誰もいなくなってしまったのです。

その為、コルマンインデックスでは、マヤ暦の終わりは2011年10月28日だとされていました。

しかしその日も、2012年12月21日も、世界は暗闇になりませんでした。

という事は、本当の「マヤ暦の終わり」はもっと先の事なんだろうか?と思っていた矢先にたまたまこちらの記事を見つけました。

新たな説です。

http://wpb.shueisha.co.jp/2012/12/22/16096/

マヤ暦が予言する人類滅亡は2012年ではなく2015年だった 週プレNews 2012.12.22

人類滅亡のXデーがとうとう明日となってしまった。だが「2012年12月23日に人類が滅亡する」というマヤの予言になんと計算ミスがあったというのだ。

誤差を修正すると待っていたのはふたつの超文明が示す「滅亡の日」の信じ難い一致だった……。

■「世紀の計算ミス」はなぜ起きたのか?

2012年12月23日に人類が滅亡するというマヤの「人類滅亡説」。

ところが近年になって、この数字には計算ミスがあり、実際の「地球最後の日」は、2015年だった可能性がある、と一部の学者たちの間で話題になっているのだ。

この「世紀の計算ミス」については後述するが、その前に、なぜこの滅亡説がいまだにある種の不気味さや説得力を持っているのかについて説明が必要だろう。

マヤは異常に高度な文明を持ち、驚異的な精密さの暦を持っていたのだが、実はマヤについて記された書物や文書はほとんど残っておらず、文明は多くの謎に包まれているのだ。

なぜ、大河のない乾燥地帯にこれほど高度な文明が育まれたのか。そして繁栄の真っただ中、どうして多くの古代マヤ人たちが忽然と姿を消したのか-。

こうした謎が「人類滅亡説」の不気味さに拍車をかけているのだ。

古代マヤ人は、自分たちの歴史や文明を文書や絵に残していたのだが、それらは16世紀に侵攻してきたスペイン軍によって、ほとんど破棄されてしまっている。

これはスペイン軍とともに入植したキリスト教宣教師たちが、生け贄をささげるマヤの儀式や、アニミズム(万物に霊が宿る)の発想を、野蛮で危険な邪教として排除したためだ。

マヤ暦の記録や資料もほとんどが失われてしまい、暦の謎を解き明かす鍵は、灰となって消えてしまったというわけだ。

だから、今になって欧米人たちが暦の示す滅亡の予言におびえるとすれば、まさに因果応報。マヤの神々は今頃、天の彼方から大笑いしているのかもしれない。

さて、話を「世紀の計算ミス」に戻そう。

このマヤの暦や遺跡が世界的に再評価され、本格的に調査されるようになったのは、1987年にメキシコ国内の5ヵ所の遺跡が一挙に世界遺産登録を受けたことがきっかけ。

実は、まだ国による遺跡調査や暦研究は始まったばかりといえる。

だが、マヤの暦の驚異的な精密さはすでに広く知れ渡っており、解読は最優先課題とされた。

何しろ、暦さえ解読できれば、各遺跡の石壁に刻まれた日付などで、正確に遺跡が完成した日が確認できるのだから当然だろう。

ほどなくマヤ文明研究の第一人者である、グッドマン、マルテイネス、トンプソンの三博士の研究によって、現在のグレゴリオ暦とマヤ長期暦との換算に使われる「GMT係数」なるものが発表された。

現在に至るまでマヤ全土の遺跡調査と年代確定には、すべてこの係数が使われてきた。

ところが、近年、このGMT係数が完全ではないことが指摘されるようになり、ついにマヤ暦研究の第一人者であるアメリカのロバート・ワナメーカー氏がこの間違いを認めることになった。

「世紀の計算ミス」の内容を大まかに説明すると、マヤ長期暦の1周期を約5000年としてグレゴリオ暦に換算した場合、4年に約1日増える“うるう年”を計算に入れていなかったというのだ。

つまり、5000÷4=1250日もの誤差が出ており、誤差を修正すると、マヤ長期暦の終わりの日は、西暦2012年12月23日から1250日後の2015年9月3日になるというのである。

ただし、これは「人類滅亡の日」が単に3年延期になったという話にとどまらない。

新たに出てきた「2015年人類滅亡説」は、思わぬ場所で波紋を呼んだのである。

「マヤの人類滅亡の日」の修正に慌てふためいたのは、エジプトの研究者、それも古代エジプト暦の研究家たちだった。

彼らはいったい何に驚愕したのか……。

時はいったん1970年にさかのぼる。

エジプトの人々は、毎年氾濫するナイル川に悩まされ続けていた。それを解決するため、ナイル川上流に超巨大なダム、アスワンハイダムが建設された。

しかし、その影響で古代エジプト文明の聖地とされていたフィラエ島のイシス神殿は半水没状態となってしまったのだ。

この神殿は、エジプト神話の女神イシスが太陽神ホルスを産んだ場所とされていて、惨状を憂えたユネスコにより、1980年に神殿はアギルキア島に移築保存されるために徹底調査されることとなった。

その結果、神殿の壁には1465体の神々が描かれていることがわかったのだが、このことがエジプト暦の研究者たちを震撼させた。

西暦550年に閉鎖されたこの神殿には、「この場所が閉鎖されれば毎年、秋分の日に一体ずつ神々の加護が失われ、すべての神々が去った年の秋分の日に世界が水没するだろう」という伝説が残っていたのだが、ナイル川の氾濫など毎年のことで、研究者たちも「神を粗末にすると報いを受ける」という伝承程度に受け止めていた。

だが、1465体の神々が描かれていることがわかり、西暦550年から毎年、一体ずつの神々が去るとすると、なんと西暦2015年の9月に世界が水没することになる。

これまでエジプト暦の研究者たちは、マヤの人類絶滅予言と約3年のズレがあったことで、この伝説をさほど気に留めていなかった。

ところが、マヤ暦のズレが指摘され、ふたつの暦の示す終末の日がピタリと一致することに気づき、一気に大騒動となったわけだ。

そして今、エジプト暦の研究者たちは、この2015年世界水没説について本気で警鐘を鳴らしているという。

時代も場所も違うふたつの超文明の暦が示す「滅亡の日」の信じ難い一致。

これは偶然というには、あまりにできすぎた話ではないだろうか。

<転載終わり>

エジプトのイシス神殿の伝説のことは初耳でした。

でも、マヤ暦の終わりは人類滅亡ではなく、第五の太陽の時代の終焉と云われているだけです。

たまたまエジプトの伝説と奇妙な一致をしてしまいましたが、これからますます地球の浄化が激しくなる事を考えれば、2015年説の方が妥当な気もします。

自然災害は地球がこれまでの汚れを洗い落とし、浄化して調和を取り戻すためにどうしても必要なことなのです。

イヤーゼロの日には、世界が暗闇になるって言うけど、一体何が起こるの?と少し心配ではありますが、第六の太陽の時代は素晴らしい未来になっているようですので、そちらに期待をしたいと思います。

2012年までもあっという間でしたので、2015年になるのもきっと早いでしょう。

21日から23日までの間は、特別な惑星配列の為、銀河の中心から聖なるエネルギーが放出されました。

これによって、私たちは未来を乗り越える力を授けられたと、そう信じたいです。

これまで人類は地球環境を破壊し、自然との調和を乱してきました。

今回、人類は滅亡するのではないかと本気で心配した人々は、人間の過ちに気づき反省するよい機会だったのではないでしょうか。

未来は私たちが作るのです。

宇宙の理に適った生き方が私たちには求められているのだと思います。

未来を変える…2015年まで、あとわずかです。