1972年(昭和47年)4月20日私は結婚しました。結婚式を挙げました。入籍したのは5月に入ってからでした。 

近年、同棲、入籍、結婚式の順序での結婚が主流のようです。

私達世代は順序が結婚式、同居、入籍が普通でした。

私は結婚式を挙げた日を結婚記念日としています。今年で52回目の結婚記念日です。


私は見合い結婚です。

前年(1971年)11月18日に見合いして5ヶ月目に結婚しました。

夫との見合いは10回目の見合いでした。

25才までは恋愛もどきを何回かしましたが、何か欠点が見えると嫌になる性分で長続きはしませんでした。20才の時、プロポーズした人もいましたが、まだいい人が現れそうな気がして肘鉄。

26才から見合いに切り替えて、夫との見合いは10回目の見合いでした。当時私は29才。

その当時は田舎でしたし、友人達もほとんど見合い結婚でした。恋愛結婚は少数でした。 

見合いは結婚を前提として会うのですから、是か否かを決断するわけですから、見合いして1ヶ月目とか2ヶ月目とかの結婚はザラでした。

私の場合は遠距離でもありましたので、見合い後、文通しました。次に会ったのは2ヶ月後で、その時、直接プロポーズされました。

"私の家は貧乏です。自分には資産はありません。年を取った母を養わねばなりません"と見合いの席で言いました。何と正直な人だろうと思いました。 

当時、結婚に関してこんな言い方が流行っていました。

"家つき、カーつき、ババ抜き"

私は真逆の、家なし、カーなし、ババつきでした。市営住宅、車なし、姑と同居の結婚生活でした。

見合いでの返事は中に入った人を通じて返事するのが決まりですが、仲介人(義姉と私の義叔母)を飛び越して、本人からのプロポーズに即答してしまった私にたいして義叔母から、順序が違うとクレームが入り破談になりかけましたが、夫が踏ん張って周囲を説得。2月11日に結納、4月20日結婚式。それまでに会ったのは4回。スピード結婚かもしれません。爆笑

ともあれ、運命といいますか、縁だったのですね。

42年9ヵ月の結婚生活でした。


 おめでとうと言えない結婚記念日


金婚式までは共に生きようね、と誓い合っていたのに、夫は遠い世界へ旅立ちました。

寡婦となり、一人で迎える結婚記念日。

一人ぼっちの結婚記念日も今年で10回目です。

42年間には、いろいろありましたが、この人が夫で良かった!と思います。

晩年「アンタは醜男で貧乏タレの俺に、よう来てくれたね」と何回も言いました。

それは私に対する最大の感謝だったと思います。

そして常々、このように申していました。

①物事の真実を見なさい

②何を優先すべきか考えなさい

③見栄や虚栄心は捨てなさい 

この言葉は私の生涯の指針です。


夫に出会って良かった!

この人が夫で良かった!

しみじみ思う52回目の結婚記念日です。