人間は、困っている人や、悩んでいる人を、助けることができます。
目の前で誰かがすってんころりんしたら、手を差し伸べることができるし、
悩み苦しんでいる人の相談に乗って、適切なアドバイスをすれば、わずかでも苦しみを軽くしてあげることができます。
スピリチュアルな世界を知らない、もしくは、信じていない、という人が救える対象は、現在生きている人のみ、です。
けれど、スピリチュアルな世界を知っていれば、私たち人間は、見えない世界の人も救うことができます。
読者さんから時々いただく報告に、
仏様(お寺)に写経をおさめたら、「為」に書いた人が来た、というものがあります。(最後の「為」というところに名前を書けば、仏様がその人に写経の供養を届けてくれます)
高野山の奥之院に納経したら、その日の夜に来た、という方もいました。
その故人は、人間が考えている以上に、大きく救われているのです。
わざわざ来るのは、よほど嬉しかったのだと思います。
このようなメッセージを読むと、思い出すのが、靖国神社の阿南さんです。
私の本を読んで、阿南さんに会いに行った方が、こう言ったそうです。
「私が昭和天皇の陵(みささぎ)であなたの話をしてくる。あなたのことをもしも誤解していたとしても、私がその誤解をといてくる。だから安心して下さい」
阿南さんはそれを聞いて、おんおんと大声をあげて号泣したそうです。(詳細は『神様のためにあなたができること』という文庫本に書いています)
阿南さんは肉体がないし、成仏もしていませんから、自分で昭和天皇の陵に行くことができません。
では、代わりに行ってあげよう、と思った方は、見えない世界をしっかりと信じています。
そして、自分にできることをされたわけです。
以前のブログに書いたことがありますが、高野山の豊臣家のお墓で写真を撮られた方もそうです。
豊国廟の写真を持って、高野山の豊臣家墓所に行き、豊臣家の方々に見せたそうです。
さらに、今度はそこで、「秀吉さんにお見せしたい」と、写真を撮りました。
〝皆さん、ハイ、チーズ〟と言って、パチリ! と撮影されたとのことです。
その翌週、お仕事で豊国廟の近くに行ったので、その写真を秀吉さんにお見せしたそうです。
秀吉さんも、弟さんもお母様も、お互いが相手のいる場所に行けないのなら、自分が行ってあげよう、写真で見せてあげようと思ったその方も、見えない世界を信じています。
そして、自分にできることをされています。
阿南さんや、秀吉さんが、どれだけ救われたことか……と、そこを考えると、じんわりと涙が出てきます。
阿南さんは男泣きに泣いた、と言っていたし、秀吉さんも絶対に泣いただろうと思います。
スピリチュアルな世界を知っている人、信じている人は、生きている人間にプラスして、こうして見えない世界の人も救うことができます。
霊感がないからわからない、と、自分から、できることを捨てるのではなく、
霊感がなくても、気配などがわからなくても、できることがあればしてあげる、ということが尊いのです。
自分には、阿南さんが喜んでくれたのかどうかがわからない、秀吉さんがニコニコしてくれたのかどうかがわからない……となっても、
その結果は、自分があちらの世界に帰った時に、ちゃんとすべてクリアに見えます。
全部、しっかりとわかるのです。
今は見えなくても、あちらの世界に帰った時に、自分がしたことの真の価値が理解できます。
「こうされたら嬉しいだろうな~」と思うことを、見えない世界の人にしてあげることは素晴らしいことなのですよ~、というお話でした。