『与えられた人生』限られた時間の中でどう生きるかをテーマに -2ページ目

『与えられた人生』限られた時間の中でどう生きるかをテーマに

あなたは 未来にどんな種をのこしますか?
写真整理が人生設計になる 『My Life Schedule』準備中

アメリカは歴史の短い国です。

過去が何かと重要視されるヨーロッパの歴史の因習から

解き放たれた新天地として登場しました。

パイオニア精神が鼓舞され アメリカンドリームを生み出しました。

アメリカ建国者たちは自らの中に挑戦意欲 冒険心

想像力 創造力を燃やし続けました。

価値の実体そのものがアメリカを発展させたのです。

ところがひとたび成熟すると価値の実体ではなく

貨幣という切符をコントロールするよって利益を求めようとする

あぐらシステムに陥ったのです。

実体と象徴には天地の差があります。

あくまでも実体こそが本質であることを忘れてはいけません。

実体の価値を無視して象徴に心を奪われるようになる時

滅びの門は開き始めます。

戦後の日本もまた価値の実体を重要視する時代から

いつの間にか象徴的価値である切符へと重心を移動してしまいました。

賃金の安い中国へと工場を移せばもうかると考えましたが

価値の実体が失われる危険性まで認識できなかったのです。

象徴の価値を儲けようとして

いつの間にか

価値の実体を失ってしまったのです。


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団塊の世代は一気に退職しつつあります。

だからと言ってすぐに消滅するわけではありません。

現役を離れて悠々自適な生活を思い描いている人もいるかもしれません。

が そう悠長なことも言っていられません。

戦後築き上げてきた価値の実体を

いかに若者に受け継がせるかにいのちがけにならなければならないのです。

「せめて資産を残すから」は 団塊世代の体に集約された

価値の実体の相続にはならないのです。

まだ元気なうちに 少しでも多く 

若者に受け継がせる体制を緊急に練らなければ

日本の未来は大変なことになります。


人は生まれ 成長し 最も活躍できる時代を迎え

その後徐々に衰えて最後には消えてゆくのです。

それが宿命です。

だからこそ 元気なうちに 未来を担う新芽を生み出し

育て 受け継がせることになっているのです。

その基本的な原則をふみはずすことのないように

最善を尽くすことが肝要です。

象徴的な価値であるお金ではなく

価値の実体にこそ目を向けようではありませんか。


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世界のニーズに応えることができなければ 

世界において価値を表すことができません。

国家のニーズに応えることができなければ

国家に対して価値を表すことができません。

如何にニーズに応えることができるかが

価値の原則なのです。

ニーズに応えるどころか 害を与える存在もあります。

北朝鮮はなぜ嫌われるのでしょうか。

オウム真理教はなぜ嫌われるのでしょうか。

それは

自己のニーズだけを優先して社会に害を与えるからです。

信頼されるには

社会のニーズに対して「継続的に」応えなければなりません。

時々 応え、時々、反するようでは

半身半疑の対象となってしまいます。

まず第一に

動機が社会のニーズに誠心誠意応えようとするものでなければなりません。

その上で

事実が一致しなければなりません。

そして

それを継続する必要があります。

初めから動機に悪意があるなら言語道断です。



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「三つ子の魂百まで」ということわざがあります。

こどもの人生の動機づけがどのようになされるかは

その後の人生に大変大きな影響を与えます。

国家のビジョン・社会の空気・家庭の環境は

知らず知らずのうちにこどもたちに

良くも悪くも影響を与えます。

社会全体でこどもたちへの動機づけが

できなければなりません。

価値の実体の相続者として

かけがえのない存在として期待されている事実が

日々の生活の中で感じられる空気が必要なのです。

価値の実体を生み出し 磨き 高めていくには

国を挙げ、社会を挙げ、家庭を挙げて

立派な人材育成に投入し続けるしかないのです。

「立派な」という意味には

信頼度と能力度の2つにおいて優れていることが含まれています。

※信頼度は 取り組む姿勢 命がけの姿勢 真剣さ 情熱 愛情 
  能力度は唯一個性体として与えられたそれぞれの人間の№1

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『放蕩息子』(ルカの福音書より) ご存知ですか?
私はクリスチャンではありませんが この話に惹かれます。
                
 ある人に二人の息子がいた。ある日、弟が父に、
 「お父さん、私のもらうべき財産の分け前を下さい。」
と言ったので、父は資産を二人に分けてやった。弟は幾日もたたぬうちに、
自分のぶんの財産を持って遠い地方へ旅立ってしまった。
弟は放蕩に身を持ち崩し、財産を使い果たした。おまけにその地方にひどい
飢 饉が起こり、彼は豚の世話の仕事を見つけたが、
豚の食べる餌を食べようとするほど飢えても、食事にはありつけなかった。
 とうとう彼は、
「父のところには大勢の使用人がいて食べ物も有り余っているというのに、
自分はここで飢え死にしようとしている。父のもとに帰ってこう言おう。
『お父 さん、私は天に対してもあなたに対しても罪を犯しました。
もう、あなたの子と呼ばれる資格はありません。どうかあなたの雇い人にしてください。』」
と改心して父の元に帰った。
父は、喜んで彼を抱きしめ、使用人にこう命じた。
「急いでいちばん良い着物をこの子に着せなさい。手には指輪をはめ、
履物をはかせなさい。それから太らせた子牛を屠り、食事をして喜び合おう。
この子は死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったのだから。」
祝宴が始まったところへ、畑で働いていた兄が帰ってきて怒った。
「私は長年ずっとお父さんに仕え、
一度も言い付けに背いたことがなかったのに、
お父さんは、私が友人と祝宴を開く為に子山羊一頭もくれませんでした。
それなのに、弟があなたの身代を食いつぶして帰って来ると、
太らせた子牛をごちそうするのですか。」
父はこう返事した。
「おまえはいつも私と一緒にいる。私の全てはおまえのものだ。
しかし、弟は死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったのだから、
私が祝宴を開いて喜び合うのは当たり前ではないか。」


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お父さんの立場に立ってみると

お父さんのことを一番理解しているのは兄であり

お父さんが兄を愛していることがよくわかります。

そしてその兄に お父さんと同じ思いで

弟を迎えて欲しいことが痛いほどわかります。

息子にのこしてあげたいことです。


例えば 

福島原発のことを訴えたとします。

「何故 あのような状況を 何も問題がないかのように

政府もマスコミも報道しないのか!」と。

誰に?

近所の人に訴えたとします。

あなたはその反応を知っていますか?

実際にやってみるとわかります。


例えば

「世界で活躍する若者たち集まろう!」と訴えたとします。

誰に?

近所の人に訴えたとします。

あなたはその反応を知っていますか?

実際にやってみるとわかります。

つまり

日本の社会を作っているのは

私たちひとりひとりなのです。


例えば いいことをしようと言います。

すぐに「それは宗教じゃないの」と言われたとします。

自分の趣味 旅行 グルメ 好きな洋服 好きなブランド 好きなこと

そういう人生を送っているなら

よっぽど宗教をやっている人の方が立派です。

(宗教は 自分たちの宗教にはいれば救われるけど

はいらなければ救われないという 救いが限定されていることが問題)


いいことをしようとすることを 「宗教じゃないの」と否定する空気は

暗黙のうちに こどもたちに いいことをすることはいけない

それより かっこいいこと 見た目がよい事 人から人気があること

そういうことがいいこと・・そういう価値観が大切と教えることになっていないでしょうか。

「人格より見た目」がすばらしいのでしょうか。

結果的に 先を見通す力の欠如が現在の日本になってしまったことも

年金問題は 国が老後を面倒みてくれるなら 大変な子育てに真剣に

なるより 自分たちの快適な生活環境を優先したことの結果となっています。

親孝行という観点からも 宗教をやっている人の方が

自分の原因を理解し親を大切にしようと

自然に備わっているのではないでしょうか。

親孝行のこどもたちが増えれば 良い社会になります。

今日から

日本の未来のこどもたちに

「見た目より人格」と教えてあげたいですね。


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おととい 電話しました。

常務さんにお会いしたい・・・と。

今日の朝 お店に来て下さいました。

本部の常務さん。

年下の常務さんですが

一般的には

私にとって100%信頼できる方です。

普通 

「お世話になってありがとうございます」というところ

私は

「ご迷惑ばかりおかけしましてありがとうございます」と

言うことばかりです。

迷惑をかけてみると

信頼されるにはどうしたら良いか ちょっとわかる気がします。

変でしょうか?

人間て 一番しあわせな時と 一番不幸な時に

ひとのことがよく見えませんか?

世界で1億のこどもたちが ストリートで暮らしているという事態を

なにもおもわないで きょうをすごすことはできません。

わたしは 常務さんは 必ず価値のわかる方だと思っています。

常務さんに何でも言える関係を与えられたことが

常務さんが立派であることを物語っています。

その立派な人をこのままで終わらせるわけにはいかないのです。




受け継がせる側にも責任はあり

受け継ぐ側にも責任はあります。

受け継がせたいと願っても

受け継ぐ側にその気がなければ相続は不可能です。

中国をはじめ振興国家の若者は

必死で学びとろうとする気迫に満ちていますが、

日本の若者にはそのような姿勢が見られないのです。

学び取ろうとする気迫こそが要です。

企業秘密として教えたくないことでも 学び取ろうとする気迫があれば

あの手この手でいつの間にか盗まれるのが常です。

戦後の日本にはそのような気迫が満ち満ちていたのです。

10月28日 福島で世代継承プロジェクトが開催されます。
http://www.po-pra.jp/





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このあいだは話が伝わらないことにいらだちを持ってしまいましたが

主人が「あれだよ あれ」

???・・

何 ???・・

あ~。

哲学ですね。

お金を稼ぐのは大変です。

みんな必死ですよね。

ところが

それより 大変なことは

「お金をどう使うか」です。

これには哲学が必要ですね。

国会議員のみなさまも

ここに苦労されているのですね。

でもでも

そんなに悠長なことも言っていられない日本の現状です。

今日も議員さんに会いにいきます。

応援して下さいね。

10月28日 福島で世代継承プロジェクトが開催されます。
http://www.po-pra.jp/





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 人生何が幸いするかわかりません。

なので いつも変わらないことが大切です。

                  
人間万事塞翁が馬  (じんかんばんじさいおうがうま)

      意味:幸福や不幸は予想のしようのない事の例え

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。


 この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。

「人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味です。
「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」
という事です。

参考資料:http://www.mizz.jp/

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