アメリカの聖地から愛と癒しをこめて、迷えるあなたを幸せに満ちた人生へと導きます ♡ -2ページ目

アメリカの聖地から愛と癒しをこめて、迷えるあなたを幸せに満ちた人生へと導きます ♡

アメリカ・ニューメキシコ州のネイティブアメリカンの聖地に在るヒーリング・ランチ(癒しの牧場)にて、世界中の日本人に対する人生相談と野生馬の救済を行なっています。

それは三週間前の深夜のこと、、、

 

主人のポールが突然発作を起こして倒れたため

大慌てで救急車を呼び、

そのまま最寄りの街・ギャラップの病院に即入院!ムカムカ

 

このような発作が初めてだったこと、

また持病があることからCTスキャンやMRIなどの精密検査をした結果、

幸い何の異常も見つからず、数日後に無事退院となりました。

 

 

ドクターの見解は

「虫に刺された耳の内部が炎症を起こし弱っていたところに、

乾燥した屋外で充分に水分や糖分を摂らずに乗馬をしていたため、

夜にかけて脱水症状または低血糖が重なり、

脳機能が一時的に乱れたためではないか?」とのこと ショボーン

 

 

病院から帰宅するや、ポールのそばに寄って来る犬と馬達・・・

 

 

 

 

 

子馬のマチルダも心配そう・・・

 

 

 

 

ポールの父親は51歳で心臓発作を起こし逝去したため、

今回の発作が起きた際の私は

「このまま死んでしまうかもしれない!」と大パニックになりつつも、

落ち着いた今では、救急車が深夜の真っ暗道の中、

牧場まで来てくれることがわかって良かったと思えてもいます。

 

 

実は彼が入院する一週間前ほどに、

ここヒーリング・ランチのゲストハウスに母子が暮らし始め(*以下)、

そのママが、救急車が夜道の中で牧場をちゃんと見つけられるようにと、

門の前で待ってくれていました。

 

さらに彼の入院中は、お願いもしていないのに動物達の世話をしてくれた

彼女、、なんというタイミングで越して来てくれたのかと、

感謝と不思議な気持ちでいっぱいです 宝石緑 宝石緑 宝石緑

 

(*パンデミックで来客も少ないため、

ゲストハウスを賃貸のサイトに投稿したところ、

24時間以内に申し込みがあり、ニューヨークに長年住んでいた

アメリカ人シングルマザーと8歳の女の子が引越して来たばかりおねがい )


退院後のポールはいつもと変わらず元気にしているのでホッとしつつも、

今後の再発を防ぐために、水分補給や良質な睡眠など、

今一度生活習慣を見直しているところです。

 

と同時に、こうした人生の大きなハプニングには、必ず何らかの意味や、天からのメッセージがあるはず・・・宝石紫 宝石紫 宝石紫

 

実際ポールには、発作の前から新たな人生のステージに

移行するための意識の覚醒が起きていたのですが、

 

彼曰く

パソコンのバージョンアップをするように、

宇宙から色々とダウンロードしていたから、

脳が一時的に電気ショックを起こしたんだ」とのこと。

 

それを入院中に聞いた時は、

「こんな怖い思いをさせておいて、全くこの人は何言ってるの!?」

と憤慨していましたが、

こうして振り返ると、彼の言っていることが腑に落ちつつあります。

 

 

さらに、発作後の様子見期間として、

ポールは6ヶ月間車の運転禁止となり、

代わって日々の運転は私がすることに。。。

 

馬達の世話も彼の代わりにこれまで以上にし始めたり、

ヒーリング・ランチで働いてくれる人達との日々のやり取りなど、

牧場の女主人としての自覚が一挙に高まる結果となり、

私の中で何かが大きくシフトしてもいます。


ポールはまた、ヒーリング・ランチに越して来た時点から、

意識的に人々が共に暮らし、サポートし合うコミュニティを創る”と

言っていましたが、一人の時間が必要な私は内心、

「コミュニティなどにしたら、いつも周囲に人がいて落ち着かないショボーン」と思い続けていました。

 

それもまた

やっぱり人は一人では生きて行けない。

癒しのエネルギーに満ちたこの地をもっと多くの人に公開し、

一緒に生きていきたい」といった心境へと変化・・・

 

 

日頃、和道ライフコーチとして、

 

人生に起きるチャレンジから学び、

それを成長と進化に昇華させる

 

ことを指導させていただいている身としては、

今回起きたことは、私達夫妻にとっては

しかるべきハプニングだったのだとも・・・

 

 

世界で長引くコロナ禍、ウクライナの戦争、

そして個人の身で起きた今回の入院を経て、

 

生きていること自体が幸せ」と、

五月晴れを見上げつつ、

心から思うようになった今日この頃です。

 

2022年、明けましておめでとうございます。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

ここヒーリング・ランチでは

ニューイヤーズ・イヴ(大晦日)から雪が降り、

銀世界の元旦を迎えました雪の結晶雪の結晶雪の結晶

 

 

 

「コロナもだいぶ落ち着いて来たし、

もしかしたら今年は帰国できるかも??」と淡い期待を抱きつつ、

早めのブースターショット(3回目のワクチン)も終えていた昨年末、

突如登場したオミクロン株によって

日本への入国規制が一挙に強化され断念 ショボーン

 

さすがにホームシックな年始を迎えている私のような海外在住者は、

きっと多いことでしょう。

 

 

ここまで何とか無事に過ごしてきた私達夫妻ですが、

周囲はもはや、感染したことの無い人のほうが珍しいような事態 ムカムカ 

 

長引くパンデミックに心身を疲弊されている方々からのご相談も相次ぐ

今日この頃、私自身も疲れていないとは言い切れません。

 

 

そんな時に癒してくれるのは、ヒーリング・ランチの美しい光景と

優しい動物達・・・現在、馬4頭、犬4匹、猫1匹と暮らしつつ、

改めて自然界の癒しのパワーを実感しています 馬しっぽフリフリにゃー

 

 

 

 

 

それぞれに過酷な環境からレスキューされた動物達は、

時間をかけて癒され、当初彼らを癒していた私達や、

この地を訪れる人々を癒す側へと変化 宝石紫宝石紫宝石紫

 

 

翌日には見事な青空が広がり、まるでスキーリゾートのよう!キラキラ

 

思わず、学生時代に観た映画「私をスキーに連れてって」の

ユーミンの主題歌を口ずさんでいました音符

 

 

 

 

 

夕暮れ時は、同じ風景もこんな風に幻想的・・・

 

 

 

 

 

今後また、新たな変種株が登場するかもしれません。

 

世界中が、いつ終息するのか不明なウィルスに翻弄され続けている今、

健康でいること、生きていることのありがたさを噛み締めつつ

皆さまの心穏やかな一年を

ヒーリング・ランチより心からお祈り申し上げます🙏キラキラ

 

 

 

私が住むニューメキシコ州の州都、サンタフェを初めて訪れたのはもう何年も前のこと。アルバカーキ空港からサンタフェ市内に入った瞬間の感動は、かつてイタリアのローマ市内で受けたそれとも似て・・・その光景は訪れる人を魅了してやみませんが、海外から日本が誇る古都、京都を訪れた友人達もまた、声を揃えて同様の感動を話してくれますおねがい

 

サンタフェは、その後も私達夫妻が主催する和道リトリートワークショップの出発地として、また世界各地から訪れる友人達の観光案内役として何度も足を運んでいるにもかかわらず、毎回新たなトキメキや発見を与えてくれる魅惑の地・・・

 

「アメリカの宝石」と呼ばれる街の歴史は合衆国の建国(1774年)より古く、スペインが統治し始めた1607年にまで遡るほど!さらにその遥か昔から、数千年にわたるネイティブアメリカンの歴史と文化が色濃く根づき、スペイン後に占領したメキシコ文化、ヨーロッパから新天地を求めて移住した西部開拓者の文化が融合し、世界に類を見ない独特な個性を放つ姿は、まさにアンティークの個性的なジュエリーが詰まった宝石箱のよう宝石緑宝石白宝石ブルー宝石紫

 

サンタフェはまた、芸術家達が多く住む地としても知られ、アートギャラリーの数は全米でニューヨークに次いで多く、いつか時間をかけて、一つ一つのギャラリーをゆっくり巡りたいとも思っています。

 

今回はカリフォルニアの大親友、キャサリン&ゲリー夫妻から「コロナもだいぶ落ち着いて、お互いにワクチンも打ったし、サンタフェで合流しない?」とのお誘いを受け、かの地での再会を何ヶ月も前から楽しみにしていました。途中、デルタ株が猛威を振るい始め断念寸前でしたが、なんとか決行!

 

 

定宿のホテル・サン・フランシス

 

 

当ホテルは観光客で賑わう中心地に在りながらも、

エントランスの扉を開けると静謐なエネルギーに身を包まれます。

 

 

 

これまで大聖堂内では必ず祈りを捧げて来たのですが、今回はコロナ禍で閉鎖中・・・

 

 

 

ネイティブアメリカンとして初めて聖女となった、カテリ・テカクウィサ像にご挨拶

 

 

サンタフェの街並み

 

 

 

 

 

宿泊中のホテル内にニューメキシコ産スパークリングワイン「GRUET(グリュエ)」の

テイスティングルームが出来たと聞き、ワイン通の親友夫妻が招待してくれましたボトルシャンパン

 

親友達とシャンパングラスを前に、至福のひと時・・・

 

私は4種類のロゼをテイスティングシャンパン

ディナー前に、お腹がいっぱいになってしまいました:笑

 

 

翌日は、観光客がいない郊外へドライブ。

中でも、アドビ建築(赤茶色の日干しレンガで造られた伝統的な家)が立ち並ぶ

ガリステオの街並みに、「アメリカとは思えない!」と驚く友人夫妻。

 

 

親友夫妻と過ごした3日間があっと言う間に過ぎた最終日。コロナ禍での別れのハグを躊躇する私に、フランス人のキャサリンは、「もう、ハグしちゃう!」と、両頬にキスをするフレンチハグ。そこへまるで演出するように美しく夕陽が差し込み、思わず涙ぐむ私達・・・

 

愛する親友達、そしてサンタフェ、また会う日まで!

 

 

独立記念日の7月4日、「新型コロナウイルスからの独立を宣言できる時が今までになく近づいている」とのホワイトハウスでのバイデン大統領の演説通り、ここアメリカでは穏やかな日常が確実に戻りつつあります。

 

変異株の脅威が続いてはいるものの、路上やスーパーの店内にまで軍隊が出動し、厳戒態勢だったロックダウンの時期に比べれば、信じられないほどの改善ぶり!

 

全米で起きていたアジア人差別や暴行を受け、ここ数ヶ月は私の買物時などにも主人のポールが同行していたのですが、ワクチンの普及と比例してそれらも落ち着き、やっと一人で外出できるようにも・・・

 

実際、3月のワクチン接種完了以降は、この時を楽しみに待ってくれていた友人達が、続々とここヒーリング・ランチ(癒しの牧場)を訪れてもいます。

 

そんな折、ポールと「ずっとこもっていたし、久しぶりに息抜きしたいね」と話し、パンデミック以降初めて牧場を離れ、アルバカーキへ二泊三日の週末旅行に出かけました。

 

都市から自然の中へ息抜きに出かけるのが一般的ですが、私達の場合はまさに逆・・・パンデミックと同時にシリコンバレーから大自然の牧場に越して早一年・・・久しぶりの都会の喧騒です。

 

ヒーリング・ランチの周辺はネイティブアメリカンのナバホ居住地のため、私達の周囲はナバホの人々ばかり。対してアルバカーキは大多数の白人層に加えメキシコ系の人も多く、同じ州とは言え、まるで外国に来たような錯覚を起こしたりも。

 

ホテルに到着すると、ロビーでマスクをしているのは私達だけ・・・フロントデスクの女性に聞けば、「ワクチン接種完了の方は、ホテル内やレストランでもマスク着用は不要です」とのこと!

 

公共の場でマスクをしないことが初めての私達は、恐る恐るマスクをはずし、、、その後の滞在中は、まるでパンデミックなど起きなかったかのような開放感をたっぷり味わうことが出来ましたキラキラ

 

 

”ホテルのロビー”

ニューメキシコ州には、スペイン、メキシコ、ネイティブアメリカンの文化が

織りなす独特な雰囲気があります。

 

 

 

ディナーはホテル内でメキシコ料理を堪能し、翌朝は向かいのSawmill Market(ソウミル・マーケットにて朝食。ここは1903年設立の材木工場を2019年に改装し、地元のグルメなお店が集結した食のパラダイス。オープンとほぼ同時にパンデミックが襲ったにも関わらず、満客の様子にホッとしました。

 

元工場を彷彿させる、Sawmill Marketの外観

 

ニューメキシコ産のダークチョコレートをお土産に・・・

 

 

その後はホテル周辺を散歩したり・・・

 

 

 

 

 

部屋で休憩したり・・・

 

ホテルの窓からの眺め

 

 

室内には、ニューメキシコ州を流れる大河、リオ・グランデの写真集が・・・

 

 

午後は新居用の家具を購入したり・・・

 

ニューメキシコらしいラスティックな家具が沢山!

 

 

さらにポールは「せっかくだから、志野が前から行きたがっていたLos Poblanosでディナーをしよう」と提案。”ロス・ポブラノス”は、オーガニックラベンダー畑と美味な食事で知られる素敵なファーム(農場)コスモス ニューメキシコ州での”和道リトリートワークショップ”を開催するたびに、空港などでラベンダーバームを購入しては、いつかファームを訪れたいと思い続けて来ました。

 

今回は、50もあるゲストルームがパンデミック後の来客で満室だったため行く予定ではなかったのですが、滞在中のホテルから至近距離であることがわかり、いざ念願の場所へ!

 

 

ちょうど咲き始めたラベンダーが迎えてくれました。

 

 

食事やカクテルにもラベンダーがあしらわれ、至福なひと時・・・

 

 

 

Ristra(乾燥した唐辛子の束)を吊るし、来客をウェルカムするのがニューメキシコ流

 

 

 

つい食のことばかりになってしまいましたが、一年以上、たまにギャラップ(最寄りの街)でテイクアウトをする以外は自宅で過ごして来たので、久しぶりの美味な外食は、お腹と心の滋養になりました。

 

とは言え、三日目になると牧場に残して来た動物達が無性に恋しく、帰途を急ぐ私達 馬 帰宅するや、犬達は大興奮で駆け寄り、馬達はハグを求め、猫はすり寄って甘えて来ます。

 

 

 

そして見慣れたはずのドラマティックな夕陽に感動し、街とは反するヒーリング・ランチの静寂に、「やっぱりここが私の居る場所」と、実感するのでした・・・

 

 

 

 

メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の三連休を迎えたアメリカでは、コロナワクチンの接種完了者数と比例し、マスク不要の場所も増え、一挙に開放ムードが高まっています。

 

まだまだ油断は出来ませんが、これまでの閉塞感を晴らすように、空港やハイウェイは連休を利用した旅行者でいっぱい!

 

そんな中、私達はヒーリング・ランチに越して初の結婚記念日を祝いました。
 

 

   ポールが作ったューメキシコ州名物のブルーコーンパンケーキに、ミモザで乾杯!

 

 

 

                                                                 こちらが実際のブルーコーン

 

 

 

                                           宴もたけなわな頃、愛馬のサーシャが飛び入り参加!

 

 

 

大自然の中での暮らしは不便なことも多々ありますが、パンデミックも翳りを見せ、こうして愛する人や動物達に囲まれ、穏やかに記念日を祝えたことに感謝するばかり・・・

 

オリンピックを控えた日本では緊急事態宣言も長引き、色々な意味で疲れが溜まっているかと思いますが、皆さんが心身の平安を保てますよう、ここヒーリング・ランチから愛と癒しのエネルギーを贈ります宝石緑宝石緑宝石緑

( クローズ予定の旧ブログより抜粋:2011年7月付記事 )

 

「私達はこの夏ジョージア州に行くから、それまでにはマチルダが離乳して森に還れるといいのだけど」と言いながらも、このままずっと彼女がそばにいてくれることを願う自分もいました。しかし保護を禁止された地域の住宅街で鹿を飼い続けることには限界があり、野生の動物をペット化することも無意味、、自然界で自由に生きるのが彼女本来の姿に違いありません・・・

 

 



 

やがて7月も終わりを迎えたある日、、、骨折した脚が完治とは言えないものの、以前と同様にジャンプし、駆け巡ることができるまでに回復したマチルダは、初めてケージを頭で押し、外に出たがる仕草をするようになりました。

 

ポールは「It's time(その時が来た)」とつぶやき、マチルダをケージから出します。すると思い切り駆け出したのち、ふと立ち止まって振り返り、私達をじっと見つめるマチルダ。。。眩しい朝陽が彼女をスポットライトのように照らし、私とポールは別れの時が来たことを悟りました。

そのまま森の奥深くへと走り去ったマチルダが、その後姿を現すことはありません。でもいつか、あの愛らしい背中の白い斑点が消える頃、大人に成長したマチルダと再会できるような気もしていました。

 

やがて夏が過ぎ、見事な紅葉のあとには雪深い日々が続きます雪の結晶

 

そして翌年の春のこと・・・

 

私は「マチルダが、あの厳しい冬を無事に越えることが出来たのならいいのだけど。もしそうなら、今頃大きく美しい牝鹿になっているでしょうに」と心配しつつ、彼女の写真を眺め入っていました。

 

すると、窓の外に一頭の牝鹿が現れたのです!

 

「え?もしかして、マチルダ?」と問いかけ、急いで手元のスマホで窓越しに写真を撮り外に出たのですが、まるで幻のように、すでに彼女の姿はありませんでした。

 

 

 

通常 鹿は群れで行動することから、単独で現れたこの牝鹿は、きっとマチルダだったと思えてなりません。冬越えを心配していた私を安心させるために、成長した姿を見せてくれたのだと・・・



短い月日ながらも沢山のかけがえの無い想い出をくれたマチルダとの日々、、一生忘れることはないでしょう!キラキラキラキラ

( クローズ予定の旧ブログより抜粋:2011年6月付記事 )

 

我が家の庭でレスキューした子鹿のマチルダを、その後は仕事で外出するポールに代わり、私がすべての面倒を見ることに・・・当初は3時間ごとに動物用のミルクを作ってあたえ、それこそ生後間もない赤ちゃんを育てる母親のような心境でした。やがてミルクと並行して草を食べるようになってからは、ケージの外に連れ出し一緒に散歩。「マチルダ!」と呼べば、遠くからでも勢いよく走って来るようになりました。
 




ある夜、午前3時頃に激しい雷雨の音で目覚めた私は、急いでマチルダの様子を見に外へ!生まれて初めて嵐を迎えた彼女はおびえ、ケージの中を走り回っています。ミルクを与え、「これは嵐といって明日になれば終わるから、なにも心配することはないのよ」と言い聞かせながら撫でると、落ち着きを取り戻しました。

 

ミルクを飲み終えたので離れようとすれば、「お願い、怖いからもう少しそばにいて」と言わんばかりに鳴くマチルダ。レインコートで覆いきれない私の足下はすっかりずぶ濡れ状態なものの、マチルダを抱き寄せ、彼女の気がすむまで撫で続けていました。

見事に晴れた翌朝、ポールに夜中の出来事を話すと、「熟睡していてぜんぜん気づかなかったよ。それにしても朝起きるのも苦手な志野が、夜中に飛び起きてマチルダの面倒を見たとは感心だ」と驚きの顔!

 

家の中でミルクタイム





 

またある日は、散歩に出たマチルダが夕食時に帰って来ず、朝を迎えても戻らない彼女を心配し、裏庭の森の中で彼女の帰りを祈り続けました。しばらくすると薮の中でガサッと音がし、姿を現したマチルダ。「やっと帰って来た!」と喜びの声を上げたのも束の間、渓谷のような裏庭は坂になっているため足を滑らせたのでしょうか?なんと彼女の前足が折れています!ショボーン

身体もだいぶ大きくなり、ようやく森に還れそうだったマチルダですが、折れた骨が悪化しないよう、再度ケージの中で面倒を見ることに・・・

 

もともとこの界隈では鹿のレスキューが禁じられているため、獣医に連れて行くこともできません。それでも、どこか鹿などの手当をしてくれる施設がないものかとネットで色々と探し、遠く離れた野生動物保護団体に電話をかけて聞けば、「鹿は受け付けていません。骨折して手に負えないようなら、警察に連絡すれば銃殺しに来てくれますよ」との信じられない返事が ムカムカ

 

「犬用のヘアサロンやスパは沢山あっても、鹿は命さえ尊重されないの??」と、やりきれない思いがこみ上げて来ましたが、「それならマチルダが元気になるまで、私達がなんとか面倒を見よう」と、板と紙テープで彼女の足を固定し、折れた骨が安定するのを待つことに・・・

 

青いテープで巻かれた脚は、立つことも出来ませんでした。

 


その後は、マチルダに代わって私が森に入り、彼女が好むエサ(数種の草)を採る日々が続きました。時には汗だくに、時には沢山の蚊にさされ、また時には渓谷でしりもちをつきながら・・・それでも可愛いマチルダが喜んで草を食べる姿を見ると、そんな苦労も吹き飛びます照れ

 

さらに、骨折で運動不足のマチルダが便秘気味の際は、母鹿が子鹿の排便を促すためにおしりの穴を撫でることを真似ながら、「マチルダがいい糞をした!」と喜ぶ自分に、東京でヒールしか履いたことのなかった私がずいぶん変わったものだと実感したりも・・・


また、当初は禁止事項である鹿の保護を隠していた私達ですが、次第に寛大な近所の人達の間でマチルダはアイドルのような存在になり、可愛い彼女を一目見ようと、子供達を連れて訪れるファミリーもありました。

 

徐々に折れた脚も良くなりつつ、、、

 

 

さようなら、小鹿のマチルダ!」《 後編 》につづく・・・

( クローズ予定の旧ブログより抜粋の2011年6月付記事:今読み返すと、この頃から野生の動物達と本格的にふれあい始めたことを感じます。)

 

ジョージア州への旅支度をしていたところ、なにやら庭先から人々の声が聞こえます。表に出ると、そこには近所の人達の姿が・・・そして彼らから、我が家の庭に子鹿がうずくまっていることを知らされました。皆は子鹿を心配しつつも、あまりの可愛さにそれぞれが写真を撮っています。私は、「なんで小鹿がうちの庭に??」と思いつつ、急いでポールに事情を伝えにいきました。

彼は子鹿を見るや、「生後まだ間もない。炎天下でこのままいたら脱水症状を起こし、あと数時間ももたないだろう」と言い残し、子鹿を日陰へ移したのち、即効ファームストアへ出かけました。30分もしないうちに、ケージや動物用の粉ミルクなど諸々の必要物資を購入して戻り、すぐに子鹿をレスキュー!近所の人達も、ポールの迅速で的確な対応に驚くばかりびっくり

一体、この子鹿の身に何が起こったのかは分かりませんが、おそらく迷子になったか、母鹿に子育ての準備ができていなかったために育児放棄したのでしょう。人間の世界と同様、残念なことに自然界でもそのようなことは起きるようです。

 

もし母鹿が戻って来たとしても、小鹿の匂いから人間が触れたことを察知し、小鹿を連れずに去って行くこともあるため迷いましたが、衰弱した小鹿には、母鹿が戻って来るのを待つ時間的猶予はありませんムカムカ


 

最初はミルクを飲む力さえなかったマチルダ



 

愛猫のスコッティも心配しています。



 

同時に、私はこの界隈の野生動物保護組織をリサーチし、子鹿を保護してくれそうな団体を探しました。ところが、どこも鹿の保護は受け付けていないどころか、保護自体が禁止されているとのこと! リスやウサギですら保護するのに、なぜ鹿は例外なのか、、天敵がいないために増えすぎた鹿達は、もはや保護する対象ではないのでしょうか??

結果的に、獣医や警察、Facebook上などの公の場で助けを求めることもできず、ポールと私は内密にこの子鹿を守ることにしました。一体誰が、こんなにも可愛い鹿の赤ちゃんを見殺しにできるでしょう!?

とは言っても翌朝からはジョージア州へドライブ・・・義母(ポールの母)が心臓の手術を受けるため、術後の看病にしばらく滞在する予定です。瀕死の子鹿を連れての長距離ドライブは厳しいと思いつつも、近所の人達には「君たちのように子鹿の面倒は見れない」と断られ、結局、子鹿を後部座席に乗せての10時間ドライブを決行することに!

 

子鹿には”マチルダ”と名付け、深夜も3時間ごとにミルクを与え続けた結果、翌朝には自力で立つエネルギーが出て来ました!

ドライブ中のマチルダは、お腹がすくと「メェ~」と子やぎのように鳴く以外はとても大人しく、予想以上にスムーズにジョージアへ到着。義母は”サプライズ・ゲスト”に驚きつつも、さすがインド時代に沢山の孤児や動物達を育て上げた逞しき女性、、翌朝には大手術を受ける身にも関わらず、色々とサポートをしてくれましたキラキラ

でも問題(?)はここから・・・ポールが義母の付き添いで病院に宿泊する間、マチルダの面倒は私が見ることになったのですが、なかなか彼のように上手く扱えませんもやもや

 

まだ哺乳瓶の飲み方を知らないマチルダの口を開きながら、シリンダーでミルクを与えるものの、思うように飲んでくれず、やっと飲んでくれたと思いきや口から吐き出す始末。夜中には何度も鳴き声で起こされ、ミルクをあげるためにケージから出そうとすれば、暴れて私の額をキックされ、痛っ!むかっむかっむかっ

 

 

ケージの奥に座り、警戒心たっぷりに私を見つめるマチルダ

 

翌日外に連れ出しても、隠れ続け・・・

 

 

しかし、こうしたマチルダと二人きりの濃密な時間のおかげで、彼女は私が母親代わりの存在だと気づいたのか、次第に心を開いてくれるようになりました ドキドキ

 

ジョージア州の義母宅にて


 


それから数日後には、あれほどまでに時間のかかったミルクを哺乳瓶から一気飲みできるようになり、庭を駆けまわるほどに元気も回復!

 

一週間後に私がジョージア州を去る頃には、名前を呼ぶとこちらに飛んで来るようにも。義母の手術も無事成功に終わり、デスーザ家に穏やかな時が流れます・・・
 


 




ポールはさらに一週間残り、私はスコッティや新たに居候として加わった外猫のジョージ、そしてアライグマ達の面倒を見るためにシンシナティの自宅へ戻りました。ポールとマチルダが帰って来るまでに、友人に依頼して庭にフェンスを作り、マチルダが自立して自然界へ戻れるようになるまで面倒を見続けようと思っています。

ジョージア州から戻った私に、「それにしても、あの子鹿は瀕死の中、こんなに沢山の家の中で、ちゃんと君たちの家を選んだんだね!」と言うお隣のご主人・・・ 私は心の中で呟きました。「そうね、マチルダの守護スピリットが、彼女を助けるためにここに運んだにちがいない」と。

子鹿のマチルダとの日々《 中編 》』につづく・・・

数日間続いていた大雪がやっと落ち着いたある日、ポールが最寄りの街ギャラップへ出かけている間、私はスカイプでクライアントさんとのセッションをしていました。

 

すると、犬達があまりに吠え続けているため、一旦スカイプを中断し、外へ様子を見に・・・そこには我が家の大型犬二匹と数頭の馬達に囲まれる中、震える子犬が!

 

セッションを終えて再び外に出ると、子犬はまだ同じ場所にうずくまり、私が近寄っても、「うーーっ」とうなり、小さな身体を奮い立たせて威嚇するばかりムカムカ

 

これまで野生の子鹿やアライグマ達をレスキューして来た私ですが、意外と野良犬の対応は難しく・・・

ポールが帰宅するや、折り畳み式のケージを広げて毛布を敷き、餌で子犬を誘導。ここ数日間、雪嵐の中をさまよっていたのでしょう。衰弱し切っていましたが、なんとか餌を食べてくれて一安心
照れ

 

彼が抱き上げメスと確認できたものの、これまで人間と触れ合ったこともないのか、私達が近寄ると怯えていたため、その夜はケージを玄関外に置き、中で眠れるようにセット。子犬が発する独特の匂いに誘われ、マウンテンライオン(山猫)やコヨーテが近づく可能性もあることから、番犬として我が家の犬達も外に出し・・・こうして牧場の夜が静かに更けていきました お月様キラキラ

 

それにしても、生後わずか数週間の子犬が、どこからどうやってこの牧場に辿り着いたのか想像もつきません。通常、犬が口にすることのない枝や葉を食べる様子から、子犬が飢えをしのぐために、それらを食べ続けていたことだけは分かりました。

ギャラップにはこうした動物達を保護する施設もありますが、こんなに小さな子を放っておく気になれず、我が家の一員として迎えることに・・・そこで私が思いついた名前が”セージ”

 

ここHealing Ranch(ヒーリング・ランチ=癒しの牧場)はネイティブアメリカンのナバホ居住区にありますが、この辺りでは野生のセージが至る所に育ち、それらを儀式や浄化に使うのがナバホの伝統。そのセージにちなみ、牧場に癒しと浄化をもたらす存在として、この子の名としました。

 

 



やがて元気を取り戻し、すっかり甘えっ子と化したセージハート

 

 

愛馬のサーシャともご対面

 

メス犬のサヴァンナは、ママ代わりとなって優しく包み込み・・・

 

夜になると、こうしてオスのバスターも一緒に家族団欒・・・

 

 

サヴァンナを始め、我が家の動物達は皆、虐待などの様々な過去を乗り越えて私たちと出会い、ここで幸せに暮らしています。

 

セージもまた、ちっちゃなアイドルとして、これから訪れる人々を癒してくれることでしょう!キラキラ

 

 

1度目のワクチン接種(宝石ブルー)から1ヶ月が経ち、2度目の予約日がやって来ました。初回時はナーバスだったものの、その後の副反応がなかったこと、また会場である高校の体育館の様子や接種の流れをすでに経験していたため、今回はリラックスして臨めました 照れ

 

宝石ブルー 1度目の体験談はこちら

 

知人(読売新聞・論説委員)の記事

 

 

午後4時の接種後、看護婦さんから「水を充分に飲んで下さい。また今回は1度目より副反応が出るかもしれませんが、その際はIbuprofenやTylenol(アメリカで一般的な痛み止め・風邪薬)などを摂って下さい」と言われました。

 

私より早い時期に2度目の接種を終えた主人には、注射を打った二の腕の痛みや微熱が出たので、私もそうした症状は予期しつつ帰宅・・・その夜はいつもとなんの変わりがなかったものの、深夜から悪寒と微熱、筋肉痛が始まったため、看護婦さんの指示通りの薬を飲み、翌日は安静に過ごしました。

 

翌々日にはそれらの症状が治り、元気も戻ってホッニコニコ

 

 

コロナワクチンの接種は努力義務ですが、ここアメリカでは未だにマスク反対者が多く、断固としてワクチンを否定する人々もいる中、一体いつになったらこの状態が収まるのかと気が遠くなることも・・・

 

日本もまた、ワクチンへの懐疑心が高いと言われる国、、、だからこそ、いち早く日本人として海外で接種した体験談をシェアし、少しでも参考にしていただければと思った次第です。

 

私自身、日頃は代替医療を好むほうですが、今回接種を選択した個人的な理由は以下の3つ・・・

 

1. アメリカでのコロナ罹患率の高さ、そして実際に友人知人が次々と感染し、中には亡くなった人達もいることから、「自分の身は自分で守らなければ」と切迫感を持った。

 

2. 今後 ”ワクチンパスポート”(国際的に通用するワクチン接種証明書。欧州連合(EU)、イスラエルなどで導入が検討中)が必要となった際、日本へとどこおりなく帰国(入国)出来るよう、今から最善を尽くしておきたい。

 

3. 私達夫妻がワクチンを接種したことで、「コロナが落ち着いたら、”ヒーリング・ランチ(Healing Ranch=癒しの牧場)”へ行きたい!」と言う人々に、安心して来ていただきたい。

 

との思いからでした。

 

 

標高2,000メートル以上の”ヒーリング・ランチ”では、まだまだ寒さが続きますが、それでも木々の蕾が膨らみ、その周りを蜂たちが飛び交い、確実に春が近づいていることを感じる日々コスモス 今日は快晴の中、いつものように愛馬たちと戯れました 馬 

 

 

 

いずれコロナが収束し、このブログを読んでくださっている方々の中にも、いつか私達の牧場でお会いできることを願いつつ・・・キラキラ