古来、遠い昔の日本では、“神頼み”に際して 「かんながら、たまち はえませ」と言ったそうです。  


カンナガラ タマチハエマセ(カムナガラ タマチハエマセ)という  この言葉は、惟神霊幸倍坐世と書き、「神々の望むようにしっかり生きてまいりますので、自分の魂を、良い方向にお導きください」という意味です。  


これは神への依存、あるいは他力本願、といったものとは一線を画し、 自分のコミットメントありき。つまり“人事を尽くして天命を待つ”の至りです。  


そして注目すべきは、この言葉を唱えるにあたっては、必ず“神様に良いことがありますように”という気持ちを持って唱えなさいと、代々語り継がれていたこと。  


自分が何かを望むのであれば、まず、相手のことを考える。自分が本当に苦しい、自分に心から望むことがあるからこそ、今、相手のことを思いやる。たとえ相手が神であっても。  


世界中で、“神頼み”でさえもこの立ち位置で行なってきたのは 、日本人だけのように思います。



ぼう‐だ〔バウ‐〕【×滂×沱】


[ト・タル][文][形動タリ]

1 雨の降りしきるさま。「唯猛雨の―たるを聞くのみ」〈織田訳・花柳春話〉

2 涙がとめどもなく流れ出るさま。「涙―として禁ぜず」〈秋水・兆民先生〉

3 汗・水などが激しく流れ落ちるさま。「馬背の流汗―として掬(きく)すべく」〈鏡花・義血侠血〉



流汗滂沱(りゅうかんぼうだ)

意 味: 汗が盛んに流れ落ちるようす。




自分には幸福も不幸もありません。
ただ、一切は過ぎて行きます。
自分が今まで阿鼻叫喚で生きて来た所謂『人間』の世界に於いて、
たった一つ、真理らしく思はれたのは、それだけでした。
ただ、一切は過ぎて行きます。



太宰治




No Way Home―生きる場所がなくなった野生動物

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 【今回の歌】

   たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
     まつとし聞かば 今帰り来む

        中納言行平(16番) 『古今集』離別・365

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 たとえば、飼っていた猫が行方不明になった時、おばあさんな どが、この歌を短冊に書いて、猫の皿を伏せてその下に置いてお くのを見たことがありませんか?  この歌は、別れを惜しむ歌ですが、一方でいなくなった人や動 物が戻ってくるように願う、おまじないの歌でもあります。 
■□■ 現代語訳 ■□■
  お別れして、因幡の国へ行く私ですが、因幡の稲羽山の峰に生 えている松の木のように、私の帰りを待つと聞いたなら、すぐに 戻ってまいりましょう。 
■□■ ことば ■□■
 【たち別れ】
 「たち」は接頭語。行平は855年に因幡(いなば)国(現在の鳥取 県)の守となりました。その赴任のための別れを表しています。 【いなばの山】 因幡の国庁近くにある稲羽山のこと。「往なば(行ってしまったな らの意味)」と掛詞になっています。 【生(お)ふる】
 動詞「生ふ」の連体形。生える、という意味です。
 【まつとし聞かば】
 「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞。「し」は強調の副助詞、「聞
 かば」は仮定を表します。全体では「待っていると聞いたならば」
 の意味となります。
 【今帰り来む】
 「今」は「すぐに」を意味しており、「む」は意志の助動詞。「す
 ぐに帰ってくるよ」という意味です。
  
■□■ 作者 ■□■
  在原行平(ありわらのゆきひら。818~893)
 平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の子で、業平の異
 母兄にあたります。文徳天皇の御代の850年ごろ、過失をおかして
 一時期須磨に流されたことがありました。

■□■ 鑑賞 ■□■
  855年の春、行平が因幡守に任ぜられ、赴任地へ向かうときに、
 送別の宴で詠んだ挨拶の歌です。
  お別れですが、因幡国・稲羽の山に生える松のように「待ってい
 るよ」と言われたならば、すぐにでも帰ってきましょうぞ。
  都から遠く離れた地方都市へ赴任する自分の身を思い、都への断
 ちがたい思慕を詠んだせつない歌です。別れの名句といえるでしょ
 う。
             ◆◇◆
  冒頭で紹介したように、この歌は「別れた人や動物が戻って来る
 ように」と願掛けをするときに使われる有名な歌です。
  ユーモアエッセイの名手、内田百間(門に月の字)の本に「ノラ
 や」という連作エッセイがあります。その中でいなくなった愛猫、
 ノラが戻って来るように、このおまじないをするシーンがあります。

  この歌の切なさが、いなくなった動物へ寄せる思いに通じ、こう
 したおまじないが生まれたのでしょう。
  もし飼い猫がいなくなった時には、試してみてください。
             ◆◇◆
  この歌の舞台となった因幡の国庁は、現在の鳥取県岩美郡国府町
 にあります。行くときは山陰本線の鳥取駅で下車し、中河原・栃本
 方面行きのバスに乗り、宮ノ下で降ります。
  宮ノ下バス停からは、稲葉山(標高249m)まで続く4.8kmの登山
 コースがあり、武内宿弥命(たけのうちのすくねのみこと)を祭神
 とする「宇倍神社」や、宮下古墳群を通り、最後に在原行平の塚に
 到達します。稲葉山は国守・大伴家持も歌に詠んだ名勝で、新緑や
 紅葉時の自然散策を楽しめます。
  付近には大伴家持ゆかりの古跡と歌を記念した、「稲葉万葉歴史
 館」もありますので、一度訪れられてはいかがでしょうか。