西安と云えば玄宗と楊貴妃のロマンスの場所としても知られる
その二人が毎年、冬を過ごしていた場所とされるのが華清池
池かと思いきや温泉地なのである
二人のロマンスは有名な詩になっている
「春寒くして浴を賜う華清池/温泉の水滑らかにして凝脂を洗う」
私も寒い季節は温泉でラフラブと過ごしたいよ~
現在は広い庭園に池があり、そのほとりに唐代風の楼閣や回廊が建てられている
上の写真はそんな建物の一つ
楊貴妃が浸かったという温泉が復元されているが、写真は撮らなかったのでなし
建物内で温泉に触れることが出来るらしい・・・
華清池はまた1936年の西安事件の舞台でも知られている
って、私は知らないよ~
世界三大美女の一人 ・・・ 楊貴妃
今から約1300年前(719年)中国は唐の時代のこと
蜀(しょく)の国(現在の四川省)の楊玄えん(ようげん)の家に
可愛らしい女の子が生まれました
女の子は成長するにつれ美しさが周囲に知れ渡るようになり
17才で時の皇帝玄宗の第18皇子寿王瑁(じゅおうぼう)の妃となりました
この玄宗は常日頃より美しい女性をこよなく愛し (女ったらし?)
絶世の美人を得たいと請い願い、長い間国中を探してたようです
彼女の名は「楊貴妃」となり、数奇の運命に身を置くことになりました
貴妃が流し目で微笑(ほほえ)むと例えようのない艶(なまめ)かしさが漂い
その美貌はきらびやかに装った後宮(こうきゅう)の美女たちをして
顔色なさしめた程だ と云われています
そしてそれ以後玄宗は政務を怠るようになったそうです
後宮には3000人の美女がいましたが、貴妃は玄宗の寵愛(ちょうあい)を一身に
独り占めにし、悦楽の生活を送っていました
ただ、彼女は38歳という若さで国に殉ずる形でその生涯を終えたようです
私もそろそろ危ないかしらん(´0ノ`*)
誰~!!! 長生き出来るって太鼓判 押してる人ぉぉぉ
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