ポーランドは悲しい歴史があちらこちらにある

 

アウシュビッツだけではなく、ワルシャワにも悲しい歴史あり

それが、ワルシャワ蜂起記念碑だ

 

 

 

 

 

歴史の詳しい事情は他の文献にお任せするとして

 

簡単に説明すると、時は第2次世界大戦末期

ドイツ VS ソ連 で、ソ連軍が優勢でワルシャワ向っていた

 

ソ連軍の後押しを信じて、ドイツ軍に蜂起したワルシャワ市民だが

ソ連軍は、ヴィスワ川の対岸まで来ていたのに援軍はなし

 

蜂起を起こしたワルシャワ市民20万人以上の死者が出た

 

 

 

 

写真↑は神の祝福を得て、排水溝に入っていく兵士たち

 

モニュメントを見ているだけで心悲しくなってくる

 

 

 

1939年にドイツ軍がワルシャワを占領し

ゲットーを作りユダヤ人を隔離

現在はその境界線と地区のモニュメントが見られる

 

 

 

 

 

 

 

ワルシャワ・ゲットーの環境は劣悪な状態だったという

伝染病や飢餓で多くの人々が命を落としたという

 

その後、収容所に送られと殺害されると知ったユダヤ人は

どうせ殺されるのなら戦おうと抵抗運動が始まって行く

 

ワルシャワ蜂起の前年には

ワルシャワ・ゲットー蜂起が起きている

 

 

ワルシャワ蜂起が1944年6月

ワルシャワ・ゲットー蜂起が1943年4月

1年以内に2つの蜂起が起きるほどの

切羽詰まった状態だったのだろう

 

 

添てんを始め、平和ボケしている日本人

多くのことを考えるキッカケになって欲しい・・・

 

 

ポーランドブログは暗い話題になってしまうのが

これまた悲しい添てんであるのだ

 

 

 

← 今日は何位?
応援クリック宜しくです

にほんブログ村