ボスニアという国はあまり日本人には馴染みが少ない国だと思う
正式名はボスニア・ヘルツェゴヴィナという
ボスニア・ヘルツェゴヴィナと聞くと1995年(平成7年)まで続いた紛争を
思い浮かぶ人も多く、危険な場所との認識を示す人も少なくないようだ
難しい話は後回しにして、オスマントルコ時代にはもボスニア・ヘルツェゴヴィナを
含むバルカン半島全体がオスマントルコに支配されていたのだ
オスマントルコはイスラム教なのだが、宗教を強制的に変更するようには無理強いせず
「税金をたくさん払ってくれたら、宗教はどーでも良いよ」的な政策を取っていたのだ
税金を徴税するのも宗教のグループリーダーに集めさせていたようで、
宗教を超えて仲良く暮らしていた時代があったのだそうだ
オスマントルコ時代の面影を残すバシュチャルシャ
靴屋さんだったところが、現在はカフェになっているようでメニューが靴底
こうして街を眺めるとトルコの街を歩いているような錯覚に陥るのだ
モスクもあるしアザーンも聞こえてくる
ところが、フェルヘディア通りを西に歩いて行くと一変して景気が変わる
まるでウィーンの街に迷い込んでしまったかのような建物になるのだ
そう、1歩を踏み出すと全く違う街並みになるのだ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、オーストリア・ハンガリー帝国に
統治されていた時代があったからだが、
歩行者天国のフェルヘディア通りから1本道を外れるとユダヤ教のシナゴーグもある
狭いエリアに3つの宗教、様々な人種、文化が共存、混在している街は
かなり珍しいと言えると思う
ところが歴史の黒い渦に巻き込まれてしまったサラエボ
個人個人は仲良く毎日を過ごしたいと思いながらも、悲しい歴史を繰り返すんだね
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