オスマン・トルコ帝国が衰退していくとバルカン半島の国々はそれぞれの

道に従い歩んで行く事になるのですが、民族主義組織が台頭してくるようになり

セルビア人、ユダヤ人、ロマ人などが虐殺されるようになる

 

すると民族間での争いが高まり、民族浄化という戦いを繰り返すことになる

それぞれの民族に援護する国(組織)が現れ、複雑極まりない関係と戦いの

歴史を作り上げていく

 

添てんでは、その歴史をご紹介出来ないので

ここは簡潔にご紹介することにするよ

 

 

 

ボスニアを知らなくても、サラエボという名前を聞いたことがある人は多い

1914年6月28日サラエボのラティンスキー橋で銃声が響いた

 

 

 

 

 

第一次世界大戦の引き金になった「サラエボ事件」だ

 

オーストリア・ハンガリー帝国の王位継承者がサラエボを訪れた時に

この橋の近くでセルビア人青年に暗殺されたのだ

 

オーストリアはセルビアに対して宣戦布告し、世界を巻き込む

第一次世界大戦へと発展していった

 

 

 

サラエボ事件に関する博物館

 

 

 

ガイドさんの話によると、1914年6月28日はセルビア人にとって大切な日だったとか

そんな特別な日にオーストリア・ハンガリー帝国の王位継承者が訪れることは

セルビア人にとっては屈辱だったようだ

 

その証拠に暗殺者のセルビア人青年は、犯人ではなくハプスブルク家に抵抗した

「英雄」として扱われている

 

一方のオーストリア・ハンガリー帝国の王位継承者は、その日が記念旅行で

セルビアを選んだのに黒い意図はなかったようだ

 

 

ボタンの掛け違えというか、相手の文化や宗教をもう少し解り合えてたら

歴史は違っていたのかも知れない・・・

 

 

 

 

サラエボで流された血の跡

 

 

 

憎しみはそう簡単に消えるものではない

現在のサラエボは近隣の人々との関係修復に努めているのかも知れない

 

オスマン・トルコ時代のような平和な関係を取り戻すべく、頑張ってほしい

そして民族を超えた平和が可能であることを世界に発信する場所に

なってほしいと思う添てんであった

 

 

 

 

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