時代は3世紀にさかのぼる
その時代のローマ帝国はペルシャとの戦いの時代
皇帝は帝国を存続するために軍人あがりの人ばかり
いわゆる軍人皇帝で自ら戦場に出向かなければならないので
数年で殺害される皇帝も多かった時代だ
そんな中、一介の軍人ディオクレティアヌスが皇帝に就いた
巨大化したローマ帝国の国境線を1人の力では守りきれないと
判断した彼は4人で帝国を防衛する四分割統治へと変更する
これによりローマ帝国は危機を乗り越えることが出来た
ディオクレティアヌス皇帝
彼は軍事面らなず、官僚制の整備、税制の改革を推し進め
キリスト教を迫害する政策を固く進めていった事でも有名だ
精力的に多くの改革をしていた彼だが、突然引退宣言をする
当時、権力を自らの意思で放棄する皇帝などいなかったのに
年取っちゃたし、暗殺されたら嫌だから辞めちゃうも~ん
と、言ったかどうかは分からないけど引退を考えてスプリットに
退位後の邸宅を造らせていたのだ
ディオクレティアヌス宮殿(当時の予想図)
この宮殿に入る門は4つあり、どの門から入っても宮殿中庭になる
四角い宮殿は十字の通りで分割でき、4つの敷地に分割されていた
この造りはローマの軍営と同じなのだとか・・・
銀の門(東)
鉄の門(西)
青銅の門(南)
金の門の(北)にあるモニュメントはグルグール司教の像
隠居後の皇帝が住む優雅な宮殿とは違い、軍人出身らしく
城壁で囲み軍の要塞を思わせるようなつくりになったいた
中庭には大聖堂があるが、その場所はディオクレティアヌスの
霊廟だったところ
ディオクレティアヌスが亡くなった後の皇帝は、人数が増えていくキリスト教徒を
弾圧するより仲間にしちゃった方が手っ取り早いと考えて、方針を180度変更
ローマ皇帝はキリスト教を国教にしちゃうんだなー
キリスト教の迫害者であったディオクレティアヌスの墓は取り壊され
そこに大聖堂が建てられ、遺骸はどっかに ぽいっ と捨てられて
今だどこにあるのか行方不明なんだそうだ
中庭にある有名カフェ ルクソール
ディオクレティアヌス皇帝はエジプト遠征の際に11体のスフィンクスを
持ち帰ったと言われており、数体を確認出来る
カフェの名前がディオクレティアヌスの当時の権力を
今も私たちに伝え続けてくれるような気がした
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