奥手女子を卒業して40代で結婚した
婚活恋愛カウンセラーのなつみです。
前の投稿の続きです。
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私「お母さん、私、旧帝大の薬学部に行きたい。行かせて下さい。お願いします。」
母「ごめんね。どうしても学費を出せないのよ。C大で我慢してもらえない?」
これぐらい素直なやりとりがあったら、私は納得してC大の薬学部に行けたよねーと
急に思ったんです。
ちなみに、実際のやりとりは、
私「旧帝大の薬学部に行きたいんだけど…」
母「何言っているのよ。ダメよ。」
こんなんで。
母は、自分が考える範疇に収まらない私にうんざり…という印象でした。
また、私も母の考える範疇に入れないことに罪悪感を感じていたので、素直に頼めませんでした。
だけど、感謝の手紙を書くうちに気付いたのですよ。
母は、本当は私を阪大の薬学部に行かせたかったけど。
それができなくて私に申し訳ないと思っていたから、罪悪感が強くて逆にそっけなかったんです。
確かに母は、大学の学費をケチったし、予備校代も出してくれなかったけど。
よく考えたら、参考書は好きなだけ買ってくれたんですよ。
ろくに使わない参考書もあったけど、それでも文句を言われなませんでした。本当にケチなだけなら、我慢できないと思う。
あと、予備校の夏期講習代は出してくれたんですよ。
というのは、夏期講習をとらないと、夏休み中予備校の自習室が使えないというルールがあったので、私が頼み込んだのです。
これは、全部母が私を全力で応援してくれていたからなんですよね。
更に言うと、母は、「娘3人分の学費を甘く見ていた」と言っていました。
母は、基本的に教育熱心でしたから、出せるならもっと学費を出したかったのでしょう。
私が東大京大以外の国立なら行けるレベルになったのも、母が教育熱心だったおかげですしねー。
この気付きは、大きいと思います。
私の何に影響するのか?は、まだ具体的にわかりませんが。
「母は私の可能性を奪った」と思っているのと、「母は私を応援してくれていた」と思っているのでは、感覚が違いますから。
これから先、何十年間の私の選択、動きがポジティブな方向に変わってくると思います。
それは、オットくんとのパートナーシップを良い方向に変化させると思います。
↑無理矢理くさい?
でも、本当です^ ^
私は、今まで結構全力で母のへの恨みを感じていたので、今回の気付きに繋がったのだと思っています。
恨む気持ちを抑圧してなかったことにすると、何故か日常が上手くいかなくなるんですよね…。
今回は、自己満っぽい長文になってしまいましたが、書いたことに後悔はありません。
最後までお読み下さって、ありがとうございました^ ^