「ヒトラーの贋札」(公式サイト )が今年のアカデミーで外国語映画賞に輝いた時、私はとても嬉しかった。


それはノミネート作品の中で見ていたのがこの作品だけだったせいかもしれないが、でもこの映画の主人公の生き方が私はとても好きだったので。


この映画には原作となっている本がある(amazon )。

だがその本の著者は映画では主人公ではなく、脇に回っている。

それもはっきり言って憎まれ役だ。


アウシュヴィッツの収容所での出来事を描いた原作を読んでいないので、そこに出てくるサロモンと、映画の贋札作りの天才サロモン(サリー)とどれだけ共通点があるのかは分からない。


だが、日本人なら映画の主人公のサリーを見て、誰もが有名なアニメの主人公を思い出すと思う。


その名はルパン3世。


フランスの国民的人気者だった小説の主人公「怪盗ルパン」の血を引く設定で、マンガからアニメへと活躍の場を移しつつ息の長い活動を続けるモンキーフェイスの粋な奴。原作はモンキー・パンチ。


映画のサリーは、私には運悪く捕まり仲間からも切り離され一人強制収容所送りにされたルパン3世に思えた。

宮崎駿がテレビアニメとして世におくり、「カリオストロの城」で劇場映画にした時の、あの不遜で不敵でそれでいて限りなく優しいルパン3世である。


サリーを演じたカール・マルクヴィクスの顔立ちがルパンに似ていたというのも勿論ある(アカデミー授賞式で見た時は別人だったけど)。


だが何より、サリーの収容所での生き方そのものが私にはルパンに思えた。


そのサバイバル精神、弱者へ注ぐ優しいまなざし、仲間となった者への強い愛情、そして何より、強い権威を振りかざしてくる者への反骨精神。それらはまさに、宮崎駿が命を与えたアニメのルパンそのものだったのだ。


映画は事実の基づく映画を元にしているので、必ずしもルパン=サリーが最後に笑う話ばかりではない。

というより、サリーが遭遇するのは徹底してつらい目だ。

自分が骨を折り、仲間の事を考えて行ったことが、報われず、裏目に出て、サリーを打ちのめす。

それでもサリーは負けない。

再び立ち上がり、とにかくその日を生き抜くため、明日の夜明けを迎えるために、サリーは生きる。

一人でも多くの仲間が自分と共に朝日を浴びることができるよう、サリーは自分の持っている技術を使うのだ。


ルパンが盗みのテクニックに長けていたのと同様、サリーは贋札作りの天才だった。

平時ではそれは犯罪にしかならないが、強制収容所でナチスのために贋札を作れば仲間を助ける術となる。


贋札作りという、普通は人目を憚るような自分の技術が人を助ける役にたつことがサリーは嬉しかったのだろうか?


それとも、過酷な状況で仲間の命を助けるためなら何でもするつもりだったのだろうか?


とにかくサリーはナチスに命じられるがまま、芸術的な仕上がりの完璧な贋札生産という仕事に打ち込むのだ。

その仕事に従事している限り、サリー達は「死」という運命から少しだけ遠去かっていられるから。

自分達の命を守るため、巧みに仕事を引き延ばしつつ、かつナチスのご機嫌を損ねないようにバランスを取ってサリーの工房は贋札を作り続けていた。


だが、一人の男がナチスの命じるまま贋札を作るのは、ナチスの手助けをすることだと言って仕事を拒む。


ナチスの要求に応えられなければ工房の全員が殺される。

その男が働かない限り、ナチスの望むだけの贋札は生産されない。


収容所では、当然ナチスに対する怒りよりも仕事をしない男への憤懣が高まる。


サリーは、なんとか両者の間を取り持とうとする。

何故?

何故サリーは他のメンバーのようにその男を切り捨てようとしないのだろう?

サリーにとっては、その男も贋札を作るための大切な仲間だったから?

孤高の生き方をしてきたサリーにとって、その男の生き方は理解できるものだったから?


たぶん、その答えはサリー自身にも判らないのだ。

ただ彼にとって、一旦仲間となった者は、決して裏切れない大切な存在となるのだろう。


その辺の男気に、私はルパンを感じてしまったのである。


恐らく原作とは違う人物を主人公としたために、結末はサリーにとって幸せとは言い難いものになっていた。


でもそのサリーの、何だか人生を使い果たして次に何をしていいのか判らなくなっている男の姿に、私は壮絶な色気を感じたのだった。


それは「カリオストロ」のラストでクラリスの肩を抱けなかったルパンの、意地を通した晩年の姿を私に彷彿とさせていた。目の前にある自分の幸せより、他人の幸せを願った者の、末路といえば末路である。


苦く虚ろだが、しかしどこかさわやかだ。


ルパンならば、立ち直れる。彼はとてもタフだから。


だからルパンの姿を重ねて見ていたサリーも、きっともう一度立ち上がってくれると信じていた。




映画の話に結びつくわけではないが、「ヒトラーの贋札」がアカデミー外国語映画賞を受賞したことで、私はサリーの苦労が報われたような気がしたのである。