「うわ、重っ……!」
片手で軽くひょいと持ち上げようとしたら、重みで腰が砕けて手にしたばかりの像を取り落としそうになり、慌てて残る片手を添えなければならなかった。
テレビで見ていた時にはそんなに重いとは分からなかったが、現実に手にしたオスカー像は想像をはるかに超えた重量を備えていた。
2008年2月23日。アカデミー賞授賞式の前日。
その日までハリウッド・ハイランドで展示されているという本物のオスカー像を手にするために私達はLAにやって来た。話が出たのがその前の週の14日だったから、思い立ってからわずか10日程で夢が実現したことになる。
本物のオスカーといっても、写真撮影用に展示され、泥棒防止に鎖につながれたちょっぴり情けない姿ではあるのだが、しっかりと胸に抱いてフラッシュの描かれたボードを背景に記念写真を撮れば気分はすっかり映画スター。日本でその情景を想像していた時とは感動の深さが違う。想像には重さがないが、本物のオスカーはずっしりと沈み込むような重量で手の中に確固たる存在を示していた。
私達が欲しかったのは、それだった。
オスカーそのものではなく、本物の像が持つ重みだ。
想像だけでは決して得られない、現実にある重量が筋肉にかける負荷。
その存在感が私達に生きるエネルギーを与えてくれるのだ。
2月14日、私達は落ち込んでいた。
身内は卒業旅行に一緒に行くはずだった友達に「もうこれ以上あなたといることに耐えられない!」という暴言と共に捨てられ、イタリアツアーを間際でキャンセルするはめになり、楽しみにしていた旅行に行けないばかりか数万円ものキャンセル料まで払わねばならず、やり場のない憤りのとりこになっていた。
私は恋することに疲れていた。どんなにこちらが好きでも決して相手が振り向いてくれることがないと思い知ってから半年、それでもあきらめきれずに思いを募らせていたのだが、さすがに自分がバカじゃないのかと思いはじめていた。
どちらの思いも、相手に届くことがない。
身内は友達に絶交され、私の相手は遠い人だ。
自分の中だけで自分の感情が空回りし続ける。
言葉となって外に出ない感情は、自分の身をじりじり焼くだけで、何も生み出すことがない。
出口のない感情に自分自身が食い荒らされ、虚ろな空間が広がって行くことに気づきながらどうしようもできない……そんな最低な状態でバレンタインデーを迎えていたのだ。
何とかしなくっちゃ……。
今ここで何とかしないと、立ち直れない気がする。
そうだ、旅行しよう。イタリアには行けなくなったけど、だからと言って旅行自体がダメになったワケじゃない。でもどこへ……。
そんな時に目にしたのが、映画関連のニュースで見た「ミート・ザ・オスカー」のイベントである。
映画ファンには垂涎のオスカーの本物を、見られる、触れる、絶好のチャンス!
でも果たして日本人観光客がふらりと行っても大丈夫な催しなのだろうかと思って検索すると、H.I.S.旅ブロにイベントの詳細が写真つきで載っていて(ココ )、しかも今からでも間に合うと書いてあるではないか!
これしかない!
今までアメリカに行こうなんて考えたこともなかったけれど、でもアメリカに行くならアカデミー賞を開催中のハリウッド以上に行きたい時と場所なんか考えられない。
しかも、本物のオスカーをこの手に抱けるのだ!
相談はすぐにまとまった。
ネットでHISのLAツアーを検索し、オスカー当日にLAに滞在できるフリープランにまだ空席が残っていることを確認し、即座に申し込む。
日程がギリギリだったので申し込んだクラスではホテルが取れずその下のクラスになったが、それでもツアーで行けるのなら万々歳だ。
ホテルも航空会社もその場では判らなかったのだが、いざ決まってみれば私達の希望通りで、本当にとんとん拍子に話が運び、旅行の準備や何やらで瞬く間に一週間が過ぎ去った。
そして今ここでオスカーを胸に記念写真を撮るため、顔には満面の笑みを浮かべている。
お互いに映る方は女優になりきった気分でポーズを決め、写真を撮る方はカメラマンになりきって声をかけ、待っている人達に遠慮しながらもミニ撮影会の気分。楽しい。
こんなに晴れやかな気持ちで笑ったのは、二人とも随分久しぶりだったような気がする。
来て良かった。
手にしたオスカーの重みが私達に語りかける。
つまらない恨みは忘れろと。
それは所詮重みのないもの、心の中に淀んだとしても現実の自分を傷つけるものではないのだと。
こうやって笑っていれば、ほら、心はどんどん軽くなる。
心が軽くなれば、オスカー像の重みさえも心地よく感じられてくるのだ。
次の日、ホテルのテレビでアカデミー授賞式を見ながら、女性の受賞者達(特に「フィクサー」で絶品の演技を見せ助演女優賞に輝いた彼女)があの重いオスカー像を片手で振り回しているのを見て、さすがに女優さんは普段から鍛えているなあなどと感心したが、たぶん彼女達は喜びのあまりオスカーの重さなんか感じられなかったに違いない。
彼女達が次の日筋肉痛で苦しまなかったことを祈る。