無駄のない脚本、破綻のない綿密な構成、適材適所のキャスティング、緻密な演出と的確なカメラワーク。


どこをとっても非の打ち所がない作品は、時としてその非の打ち所のなさ故に観客の心に留まれない。


磨きすぎた石は美しく輝くけれど角を失って滑り易くなっているように、映画は作品としての完成度が高すぎると一部の突出して良い部分だけが取り立てて印象を残すということもないため、結果として観客の心に留まれず、ヒットから見放されるということがたまさかある。


「バンテージ・ポイント」(公式サイト )もそんな作品の一本かもしれない。


まあ、この作品の場合は構成がちょっと凝っていて、一つの同じ時間を異なる視点から見た場面を幾つも見せながら、その前の視点より少しずつ時間を遡ったり先へ進めたりしながら事件の全貌を明らかにしていくというものなので、人によっては飽きたり話がつながらなくなったりするので「つまらん映画」という印象しか残らないのかもしれないが。


しかしこの作品は最後まで見ると実に考え抜かれたものであることが判る。

クライマックスは本当に意外な展開で、思いもよらないものだった。

ラスト近くでテロリストが咄嗟の時に見せる素顔……それがどんな言葉よりも雄弁にその人間性を語っていた。


そうなのだ、この映画の脚本に無駄な台詞は一切ない。

言葉による情報は必要最小限しかない。

そして言葉による情報は、どこまでが本当でどこまでが偽りなのか分からない。

恐ろしい程正直に登場人物達の内面を語っているのは、その表情や仕草、行動である。

だから彼らの顔を見ていれば、嘘をついている者はすぐそれと分かる。

相手にバレないように上手に嘘をつこうとしている時の人間の顔……俳優達はそれをきっちり演技で表現しているのだ。

嘘をついていた者が本音を語るシーンで、その表情の違いが見分けられる。そこに俳優達が作り込んだ役の本性が現れるのだ。微妙に俳優達自身の資質と重なるその本性を監督が緻密な演出であぶり出してくれるのが楽しい。


この作品を作った人達は、理想を見ている。

理想を見据えながら、だが現実はちっともそうではないことも熟知している。

だから理想を高くかかげることはしない。

こうだったらいいのにな、程度にさらっと見せるだけだ。

そうしておいて、その理想の実現を妨げるもろもろの困難を周りにこれでもかと配置する。

あたかも理想などとっくに埋もれてしまっているかのように。


でもそうではない。

この作品の中には埋もれて見えなくなってはいても、理想がしっかり生きている。

人間にこうであって欲しいと願う美しい理想が。

その優しさが全体を貫いているから、この映画の後味はとてもさわやかなのだ。


この映画には本質的に悪い人間は出てこないのである。

みんな自分の目標を持ち、その実現を夢見て必死になっている。

ただ、その夢を実現させるために手段を問わなくなった時、人間は平気で罪を犯す。

そのことを手を変え品を変え描いた作品なのだ。


評論家に受けが悪いとしたら、そのせいだろう。彼らは「本質的に悪い人間」の方が好きだから。


評論家なんかほっとけばいい。

甘ちゃんと言われてもいい、私は本質的に悪い人間の出てこないこの映画が好きである。

「バンテージ・ポイント」は理想の美しさを私に思い出させてくれた。

理想を失えば人間は落ちるだけだ。落ちてはいけない。

高くかかげなくてもいい、だが、見失ってはいけないのである。