それは自分の父親だ、という話ですね、これ、ほとんど。


「魔法にかけられて」公式サイト


別に今更私が言うこっちゃないですが、世の男性は自分の母親、女性は自分の父親を最初の異性として意識するわけですよ、おおむね。いわゆるマザーコンプレックス(エディプスコンプレックス)&ファーザーコンプレックス(エレクトラコンプレックス)。なめちゃいけない、大きな存在ですよ、これは。


日本では某テレビドラマの影響で「マザーコンプレックス」は略して「マザコン」母親離れできない軟弱男子の代名詞化してますが、実はファザコンの女性も世の中にはた~っくさん存在しております。女性同士であまり話題にしないだけ。だって気持ち悪いもん、自分の父親が一番好きだなんて話題、思春期過ぎたら。あくまで話題としての話ですが。


実際には父親離れできずに、結婚しても実家住まいの人もいるし、実の父と早くとor生別した人は代替ブツとして「おじさま=父親と同じ年頃の男性」を好きになったりするものです。


ごく普通に結婚生活を送っていたとしても、夫である人に父親の面影をどこか求めている妻は案外多いような感じです。


要するに、幼女にとって最愛の人だったパパがそのまま王子様だったらどんなに素敵でしょうというお話なんです、「魔法にかけられて」って。それを本当に上手に扱って、近親相姦的なイメージを完全に排除してあるから、完全無菌状態となった環境で安心して「パパが私の王子様♪」という幼女の抱く夢の世界に浸れるわけですもの。そりゃアメリカで大ヒットするわけだ。


なにしろヒロインのジゼルはアニメの世界アンダレーシア出身だから、無垢にかけてはアメリカの幼女と同等かそれ以上な存在。「いつか現れる王子様」を信じて、結婚したら「そして二人はいつまでも幸せに暮らす」のが当然だと思っている。


彼女のアニメの世界の王子様であるエドワードも同様。この王子様、自分が強く美しい王子とという存在に全く疑問を抱いてなくて、そんな自分が大好き。でも本当に「強くて美しい王子」なので傲慢でもなければ嫌みでもないし、自分のなすべき事を心得て疑いを持たないというのは素晴らしい長所かも。


この二人の語る愛は純粋で美しく、本当に女の子が夢見る理想の形です。


でも対する現実のニューヨークではそんな愛など存在しないことになっていて、それを代表するのがひょんなことからジゼルに宿を提供することになるロバート。バツイチで手塩にかけてる娘ちゃんあり。


このロバートを演じているのが「グレイズ・アナトミー」で人気が出たパトリック・デンプシーなのだけど、この映画のヒットの要はこのキャスティングにありましたね。


だってこのパット(パトリック)さんのパパぶりが素敵なんだもの!

現実にもお嬢さんがいるだけあって、愛娘に注ぐ愛情あふれる目なんかキラキラしちゃって何とも言えず魅力的。マメではなくても、娘への責任だけは忘れず果たすし、しかもそれがイヤイヤじゃなくて好きでやってることが判るのね。


ロバートが娘を何よりも大切に思っている、娘にとっての最高のパパであることが、彼の表情や態度、言葉の端々から伝わってきます。だって娘のためなら仕事の中断は当たり前なんですから。


ジゼルを助ける羽目になるのも娘のモーガンが彼女を見つけたのがきっかけだし、家に泊めるのもモーガンがお願いしたから。パパ、何だかんだ言って娘の言うなりです。


ロバートを演じるパットさんは、「セクシー」と言われる彼本来の大人の女性を惹き付ける魅力を封印して良きパパになりきっています。見方によってはちょっとダサいぐらいかもしれない弁護士の外見なのに、父親として振る舞う時はうって変わって魅力的。その魅力には娘が父に感じる「パパって私がついてないとダメなんだから」という「ほっておけない」と部分までも含まれているのが圧巻です。

決して完璧な人間などではなく、ダメな部分もあるしちょっと草臥れてさえいる等身大のパパでありながら、それなのに抵抗し難い魅力を備えている……それがパットさんが「マクドリーミー」等というあだ名で呼ばれる所以でしょうか? とにかく、顔は全然私好みじゃないのに、スクリーンに出てくるたびに彼をどんどん好きになっていくのにはびっくりでした。


さて、ロバートはジゼルに手を焼き、突き放そうとするもののどうしてもそれができません。

ジゼルの方はロバートの家で世話になっている間にモーガンと意気投合してすっかり仲良くなります。

ジゼルは体は大人ですが現実世界では精神年齢がモーガンとほぼ同じぐらいになるのでしょう。

モーガンにとってはジゼルはアニメから抜け出たプリンセスそのものです。夢中にならないわけがない。

ロバートにとっては手のかかる娘がもう一人増えたようなものです。



もう本当に脚本の妙というか、ジゼルのように年頃の魅力的な女性と同居してもロバートが絶対手を出さない理由が、幼い愛娘の存在以外にもう一つしっかり設定されてるんですよね。

ロバートがジゼルに対してオスとして振る舞わないことに「ディズニーだから」以外に立派な理由がちゃんとあるわけです。

これ、大事ですよ~。この設定があるおかげで物語がちゃんとリアルにみえるんだから。



とにかく、この時点でジゼルはモーガンと同じ立場、すなわちロバートの娘と同等の存在となったのです。ジゼルにとっては元々異性はエドワードしか存在していませんから、ロバートはNYで唯一頼りにしてもいい人ぐらいにしか思っていないので、何の問題もないわけで。


ロバートもやがて自分が守ってあげなければいけない存在としてジゼルを受け入れます。

その時降って湧くのがプリンスエドワードなんですね~。

エドワード自身は非の打ち所のない王子様なんですが、これは世の父親族にとっては大事な娘を横からかっさらって行く憎き花婿の代表ですね。非の打ち所がないので文句の言いようがないだけに、余計に腹が立つというか。


ジゼルはそれまでエドワードを運命の人だと思い込んでいたけれど、ロバートという娘をこよなく愛する父親の存在を知ってしまったために、自分が一番大事なエドワードに物足りなさを覚え始めます。別にエドワードが悪いわけではないのですが、彼よりも自分を大事にしてくれた人が他にいたことを何かにつけて思い出してしまうんですな。



――ひょっとしてこの脚本は愛娘を非の打ち所のない花婿に奪われた父親が腹いせに書いたものかも。



ロバートへの感情を意識し始めるジゼルですが、しかしモーガンに「おかあさんと一緒にいるのってこんな感じ?」と聞かれて確か「私、お母さんを知らないの」と答えてるんですよね。アニメキャラだから当然といえば当然なんですが、ここで重要なのはジゼルがモーガンに対して母として振る舞わないことなんですよ。飽くまでもモーガンと同等の存在、どこまでもロバートに対して「妻」ではなく「娘」の立場を貫いてるんです。


そしてそのままクライマックスになだれ込み、ジゼルの真実の愛はエドワードではなくロバートにあったことが判明して物語は大団円を迎えるのですが……エピローグでジゼルと「その後いつまでも幸せに暮らしている」ロバートの顔は、やっぱり夫というよりは父親の顔なんですよねー。


それは「大きくなったらパパと結婚するの」という幼女の夢をそのままかなえたような世界なのです。

パットさんのように素敵な父親だったら、そう思うのも無理はないと観客も納得するしね。


世の中の女性が心の奥底に秘めている願望をこの上なく美しい形で表出させ、かなえさせる……まさにディズニーのマジックの真骨頂で「魔法にかけられて」しまう映画でした。