「MONGOL モンゴル」公式サイト


この映画を見ようと思ったのは、単に私がアカデミー賞にノミネートされた作品はできる限りスクリーンで見ると決めているからでそれ以上の理由はなかったのだけれど、始まった瞬間から目を奪われ、期待度0だった自分を許してくださいと関係者各位に土下座して謝りたくなる程よくできた作品だった。


同じ外国語映画賞にノミネートされた作品では「ヒトラーの贋札」を見ていて、これはどちらかというとプライベートな心情にピンポイントでぐさっと来るものがあってそれで忘れられない一本となったのだが、「モンゴル」はもっと普遍的なテーマを包含していて、人間性というか人類という存在に深く思いを馳せてしまった。表向きは全然そんな難しい映画ではないのだが。


これは主人公テムジンの成長と流転の人生を追いながら、一人テムジンのことではなくモンゴル人全体について描いた作品なのだ。当時の彼らの物の考え方や生活ぶりを追うことで彼らの文化を伝えながら、同時に現在のモンゴル人がどれだけ自分達の文化を誇りに思っているかを語っている。自分達の土地に根付いた自分達固有の文化をこれからも守り続けていきたいという強い意志が映画から感じられるのだ。


そのせいなのかどうかは分からないが、「モンゴル」のストーリー展開は普通我々が見慣れた起承転結のある物語とは違っている。

テムジン――後のチンギス・ハーン――のいわゆる一代記なのだが、ドキュメンタリータッチというわけでもないので、日本や欧米のスタイルだともっとエピソードごとにかっちりした起承転結があってしかるべきところを、この映画では「転」のあとにまた「起承」が続き「転」になり、再び「起承」が始まって「転」となる……といった感じで最後の最後まで「結」がやってこないのである。


だからまあ、展開としてはちょっぴりダレるような部分がないでもない。

しかし「起承転」だけでも充分ドラマチックなエピソードが次々に展開されるので、飽きると言うこともない。

ただちょっと、見ていて「あれっ?」と思う内にもう話が次に進んでいるので面食らうといった感じだ。


年号が時折スクリーン示されるのだが、それをきちんと覚えていないといつの間にどれだけ時間がたったのかまるで分からない。子どもが成長しているので、ああ、かなり年月が経過しているのだなあと思っていると、いきなり映画そのものの「転」が、これは「起承」もないままに出現した。


「モンゴル」のクライマックスは騎馬による大がかりな合戦シーンだ。

騎馬兵達が地平線を埋め尽くして並ぶ様は「ロード・オブ・ザ・リング」の「王の帰還」を想起させる。

また、圧倒的な大群で押し寄せてくる敵の攻撃には「トロイ」を、疾駆する馬を上から見る構図では「キングダム・オブ・ヘブン」を、敵将が輿にのっている姿では「300」を思い出した。


ただし、それは規模や状況が似ているというだけの話であり、同じ騎馬戦や大軍による侵攻であってもそこで行われている戦闘はまるで様式が違うものだった。


実は最初の方で騎馬の兵が歩兵に簡単に負けて落馬させられるシーンを見て不思議に思っていた。

騎兵は歩兵より強いと思い込んでいたからだ。

だが、この映画を見ていて気がついた。

騎兵が歩兵より強くなるのは、騎兵に適した武器を手にし、騎馬による利点を最大限に生かした戦法を身につけてからのことなのである。


その辺の経緯がこの作品に取り込まれているのだが、もしもこれが日本の映画であれば恐らくその戦法を編み出すシーンに時間をかけ、生まれた必殺技に得心したり後から名前をつけたりする場面があるだろうし、ハリウッド映画であれば新戦法を生み出すきっかけとなる事物がクローズアップされたり、ヒントを得た時の人物の顔がアップになったり、絶対に前もって伏線が張られているはずなのだが、「モンゴル」にはそういうまだるっこしいシーンは一切なかった。


テムジンのセリフが一応それを仄めかしてはいるのだが、これはモンゴルではひょっとして誰でも知っている常識なのだろうか? 例えば日本の織田信長のように。だとしたら、その後彼が次々と戦に勝利を治めるのはこの戦法と戦闘力あってのこととか、モンゴルの人の頭の中ではそう話がすんなりつながっていくものなのだろうか? 


この映画では宿命のライバルとも言える男を打ち負かし、これからその戦法を駆使して勝ち進むのか……と思ったところで唐突にストーリーは「結」となる。


もっと見たいと興奮が高まった所で映画が終わってしまうので、戦闘シーンの短さに加えてかなり物足りない気分で映画館を出ることとなってしまった。


2時間以上あった上映時間でも、テムジンを通じて監督が描きたかったことを伝えるには決して充分ではなかったような気がする。物足りないというのは不満ではなく、この先ももっと見ていたかったのにという残念な気分によるものだ。



いっそのこと「ロード・オブ・ザ・リング」のような三部作にすればいいのにね、等と一緒に見た身内と話していたら、ネットにはすでに続編製作や三部作構想の話題が出ていてやっぱりと思ってしまった。恐らくこれもアカデミーノミネートのおかげだろう。オスカーの影響力は大したものだ。

(デイリースポーツonline http://www.daily.co.jp/gossip/2008/04/06/0000916577.shtml )


ところで「ロード」といえばテムジンが対応するのはアラゴルンである。

やがて偉大なる族長、チンギス・ハーンの若き頃の艱難辛苦を描いているあたりと、身をやつした人間の王、アラゴルンが中つ国のためす捨て身で戦っている部分が重ならないでもない。テムジンもアラゴルンも髪も髭もぼうぼうで、ぼろぼろの衣類を身につけていても格好良さを失わない点も似ている


これからは浅野忠信さんのことを日本のヴィゴ・モーテンセンと呼ぼう等と心秘かに思っていたら、インタビュー記事(http://www.walkerplus.com/movie/report/report5879.html  )で二人の意外な共通点を発見してしまった。


それは母方からネイティブ・アメリカンの血を受け継いでいること。

二人とも地にまみれても汚れるのではなく、大地からの恩恵に浴しているように見えるのはそのせいだろうか?


もっとも浅野さんの顔そのものはアラゴルンのヴィゴよりボロミア役だったショーン・ビーンの方に似ているけどネ♪