「ノーカントリー」公式サイト
言わずと知れた、今年のオスカーで4部門に輝いた作品。
で、アメリカでオスカーの作品賞や監督賞に輝く作品で、私には理解できない範疇の方の映画だった。
何故か?
それはたぶん、私がアメリカ人ではないから。
アメリカの社会やそこに暮らす人々の気持ちは、住んだことのない者には理解できないのだろう。あるいは住んだところで、生まれ育った者でなければ到底理解し得ない世界なのかもしれない。
だが、映画を通じてそういった雰囲気に触れることはできる。そしてそういう漠然としたものを積み上げる内に、ある一つの形めいたものが脳裏に浮かび上がってくることもある。
「ノーカントリー」は私にとってそういう作品だった。
「シューター 極大射程」や「ボーン」の3部作は、映画では設定が現代に直されているが元々はベトナム戦争に端を発する物語である。
そこに書かれているのは、いかにベトナム戦争で実戦に携わったものが悲惨な体験をしたか、彼らが帰還した時アメリカはどう彼らを受け入れたか、いや、いかに受け入れなかったかの数々だ。
本の描写は細かく、登場人物の主観によって様々な切り口で語られるが、結局はベトナム戦争が「個人に」何をしたかという問題に集約される。それは個人の恨みや復讐や許しや達観となって、解消されていくものだ。
しかし映画の「ノーカントリー」で描かれているのは、個人の視点を通してはいるが、アメリカの社会全体がベトナム戦争の頃を境にがらりと薄気味悪く変貌してしまっていることだ。それは質的な変化とさえ言える。もはや元には戻れない。同じアメリカという国でありながら、70年代を境に二つの国があるようだ。
私が小説で読んだのは、そういった変化の波の渦中にあった人が自分達の体験したものを一つ一つを微細にとらえ仔細に観察し丁寧に表現したものだった。それは同じ波を体験した人達にはその材料で全体像を作り上げるのに充分なのだろうが、部外者にあっては森を説明するのに木を一本一本描写するようなものである。
アメリカが異質なものに変わってゆく……そして誰もそれを止められない。
そういう焦慮にも似た思い……今まで読んだ本では分からなかったそういう圧倒的な閉塞感が、「ノーカントリー」を見たことで多少なりとも感じられたような気がする。
「NO COUNTRY FOR OLDMEN」
映画を最後まで見るとこの原題の持つ意味がひしひしと分かる。
ハビエル・バルデムがどこまでも助演男優賞である理由も。
この映画の主演は精彩を欠いたトミー・リー・ジョーンズでなければならないのだ。
残念ながら「ノーカントリー」という邦題では全く何の意味もなしていない。
アメリカはかつての秩序を失った(それが「古き良き」とは言わないが)。
その秩序が生活の基盤だった人々は、ただ茫然とその場に立ち尽くすことしかできない。
そんな話がおもしろいわけないと思うのだが、映画として観客を飽きさせず最後までどきどきさせながら見せてしまう手腕はさすがとしか言いようがないのだろう。それは監督賞ぐらい貰うさ、というのが素直な感想。
作品賞は、恐らくその時代の空気をリアルに再現させたことがアカデミー会員の心の琴線に触れたからなのではないだろうか?
見た後でぐったり疲れる映画なんか本当はキライなのだが、でもケチをつける箇所がない。
やっぱり「ノー・カントリー・フォー・オールドメン」は傑作なのだ。