このことわざ、「情けは人のためならず」は間違った解釈が流通している好例としてよくあげられるのだが(Wiki )、「ノーカントリー」を見ているとさらに外れた解釈を付け足してしまいたくなる。
「情けは人のためならず(誤用)、自分の身を滅ぼす」のが「ノーカントリー」だった。
情け無用の世界において、いらぬ情けをかけるのは自分の身の破滅を招く以外の何物でもないのである。
冒頭、男が一人、ハンティングの獲物を追う内にでくわしてしまった場面が実に印象的だった。
映画やTVドラマでは撃ち合いになっても最後に一人だけは残っているのが常だ。
また、麻薬等の取引が決裂する場合は双方銃を撃ち合って死人も多数出るが、それでも金と麻薬はそれぞれ半死半生になっても引きずって車やヘリに乗り込んで逃げて行くものである。
でもそうじゃない場合は、こうなるんだなー、というのがそのシーン。
男どもの死体が散乱する中、トラックには金もヤクも積み込まれたままで、最後に生き残っている男も運転席に座り込んだまま死相を浮かべて末期の水をねだるだけ。
荒野で、すぐに応援の来ない所で悪党同士がお互い相手を殺すつもりで真っ向から撃ち合ったら当然こうなるよなー、と心底感心してしまった。どうして今まで誰もこういう場面を映画にしてくれなかったんだろう?(←あまりにリアルだから)
男は荒野の真ん中で落とし物を見つけたわけである。
持ち主はわかっているが(しきりに水を欲しがっているが無視)、もうすぐ死ぬので権利は宙に浮くし。
そうしたらやっぱり、落ちてるものは拾わなきゃ損じゃない。
私には男の気持ちが100%理解できた。
死んでる奴らはすでに物だ。物には所有権などない。だからそこにあるヤクと金は見つけた自分のものになる。
ヤクは重くて自力で運べないけど、金なら鞄一つだ、持って帰るのに苦労はない。
この男は、心の一部がすでに死んでいるのである。
死体がそこら中にごろごろしてるのに、全く意に介さないのだから。
でも夜になって、まわりの音が静かになって、彼が自分自身にかえった時、ふと心に情けがきざすのだ。
金をもらったんだから、せめてあんなに欲しがってた水ぐらい荒野の男に持ってってやるか、と。
実際のところは「情け」というより、自分の行為を正当化して微かな罪の意識から逃れるためである。
あの男に水をやれば、それは取引となるから自分が金を持って来たことに正当性が生まれる。
もちろん、この理屈が通用するのは彼の頭の中だけのことなのだが。
この情けが仇となった。
水を持って荒野に引き返したばかりに、男は自分が金を持ち逃げしたことを知られ、その後しつこく殺し屋に付け狙われることになるのである。
この殺し屋には心はない。
彼にあるのは、目的とそれを遂行する意志のみ。
目的が判然としない時は、コインを投げてそれで決める。
法もルールも関係ない、彼だけに通用する理屈にのみ従って、彼は動く。
映画が進む内に明らかになるが、男がベトナムに二度出征した帰還兵であることだ。
かの地で戦闘に出ていたら、死体を見たぐらいでは動じなくて当然である。辛抱強く痛みに耐え、サバイバルの術に長け、敵を殺すのにためらわず、感情は決して表に出さない。
彼は言ってみればランボーなのだ。
平和なアメリカの生活には順応したフリをしていただけで、実は命をかけて戦っている時の方が生き生きしていた。手先が器用で必要な道具は何でも自分で作ってしまうところは、「Aチーム」のベトナム帰りの4人組をも彷彿とさせる。
男を追いかける殺し屋は、実は目当ては男ではない。如何なる心の働きか、鞄に詰まった金は殺し屋にとってすでに自分の物になってしまった。殺し屋は自分の金を持ち逃げした男を捜して取り戻すつもりなのだ。その邪魔をする奴は殺す。殺すと決めた人間も殺す。それが例え自分の雇い主であっても。
法はおろか、取引とか約束とか契約とか、他人と関わる上での信頼関係というものが一切成立しない人間、それが殺し屋だ。それは共同生活を営む人間にとって、モンスター以外の何物でもない。普通に話をしていても、彼の機嫌を損ねたら殺されるかもしれない。それは我々の隣人には迎えられない存在なのだ。
こうしてアメリカの国内でありながら、アメリカの法の全く通用しないこの二人が知略と体力の限りを尽くしてサバイバルの追いかけっこをする。巻き込まれた者はみんな死ぬ。
さらにメキシコ人がからんでくる。メキシコ人は当然アメリカの法など無視してかかる。
三つ巴の血みどろの戦争が、法治国家で繰り広げられるのだ。
年老いた保安官は事件を掌握することができず、最初から最後まで関わりながら何もできない。
そして悟るのだ。
もはや世界は変わった。
自分達がのっとって生きてきたルールは今や全然通用しなくなった。
No country for oldmen.
アメリカに、自分達の居場所はなくなってしまったのだと。
それは単に老兵が去る、といった世代交代とはまるで違う。
文化が、人のありようが、決定的に変化した。
文化が猛スピードで変化し続けるという、かつてない世界にこのあとアメリカは突入する。
もちろん、日本も。
アメリカ程劇的ではないにしろ、間違いなく。
そんなことを思いながら劇場を後にした。