映画を通じてチャウ・シンチーが伝えたいこと、それはもう、「少林サッカー」で彼が出てくるなり言ってるし、「少林少女」でも柴咲コウに言わせてる。
「少林拳を世の中に広めたい」
本当に、ただそれだけなんである。
ただしそれは武術ではなく、武術を通して身につける思想の方こそメインなのだ。
武術というものは強さを競うためではなく、弱い人を守るためにある。
それが「少林サッカー」や「カンフー・ハッスル」で彼が笑いの中に紛らわせながら伝えたかったテーマだ。少林拳は元々仏弟子が学んだものなので、体と技だけでなくもれなく精神修養もセットになっている。映画「少林寺」を見ればわかるように、厳しい戒律の元で修行するものなのだ。
日本では武術の強さばかりがクローズアップされ、大切な精神修養の部分が伝わりきっていないようなので、日本的に分かりやすく「チームワークの精神」と置き換えて脚本化したようだ。だがチームワーク精神の大切さを知ることが凜個人の精神の成長物語として書かれたため、少林拳そのものとの関連が希薄になってしまっていたのが残念だ。凜にそれを伝える師匠役が本質を全く理解していないように見えたせいもあるのだが。
とりあえず「少林少女」ではチャウ・シンチーの意を汲んでか、少林拳が世の中に広まることで少しずつ世界が良い方向に変わっていくという場面をこれでもかとしつこいぐらいに見せてくれる。本当にそれが実現したら素晴らしいことだと思えるが、映画の内容があまりにも現実から遊離しているので折角のテーマを伝えるべき重要なシーンも話ができすぎで取ってつけたようにしか見えないのが残念だ。
とは言うものの、チャウ・シンチーの映画では少林拳が平和にしたのは世界は舞台となった香港止まりだったのが、「少林少女」によって中国から日本までその範囲が広がったことになるのである。
世界平和への第一歩を着実に刻んだと言えるのではあるまいか。
「世の中に少林拳を学ぶ人が増えれば、世界はより良いものとなる」
それはたぶん、真実なのだと思う。