スパイダーウィックの謎 - goo 映画


ファンタジー作品に限ったことではないが、物語には作者の願望を充足させる働きがある。

仮に主人公がスーパーヒーローとなって悪と戦って討ち滅ぼし、世間からの喝采を浴びて、美女の愛をほしいままにするという願望充足型のストーリーがあったとしよう。

ただこれだけのシンプルなストーリーでも書き手がどの部分に力を入れているかによって「とにかく戦いが好き」なのか、「名誉と賞賛が欲しい」のか、「美女と恋愛したい」のか、テーマが分かれてくる。スーパーヒーローになることは目的ではなく、物語の上で作者がいずれかの欲望を満足させるための手段なのだ。

プロの作家はこんなに分かりやすくあからさまな願望充足ストーリーなど書かないが、だがどこかに自分の真意をひそませているものだ。クリエイティブな作品である限り、芸術の分野を問わず、それは必ず自己表現の発露であるからだ。

それは作品の大上段に構えたテーマの陰にこっそり隠されている。
「スパイダーウィックの謎」は一見すると大変よくできた少年の成長物語だ。

(以下完全ネタバレ)

この物語の主人公、ジャレッドはいわゆるパパっ子らしい。
ところがママが子どもともども家を出て引っ越すことに決めたおかげで大好きなパパから引き離されることになり、ママとついでに世間に対してまで背を向けて拗ねている真っ最中である。

寂しさと貧しさが漂う家庭にうんざりしているジャレッド。当然そんな可愛げのない子は姉からも双子の兄弟からも疎まれる。母親も彼には手を焼いている。
僕がこんなに不幸なのは全てママがパパと仲良くしないせいだと一方的に思い込んでいるジャレッド。

彼は分離した家族の中でも一人浮き、孤独な、自分の居場所のない存在として物語に登場する。

通常こういうタイプの主人公は、新しい環境でどこかに自分の居場所を見つけ、その場所で他者との交流を深めることによって豊かな感情を取り戻し、そうやって成長することで家族との絆を取り戻し、愛する者(この場合は父親)との別離の悲しみをを乗り越えてゆく、というのがパターンである。

ジャレッドもまさにセオリー通りの主人公で、それだけだったらよくある話として特に印象に残ることもなく終わっただろう。

ところが「スパイーダーウィック」は普通じゃなかった。ジャレッドときたら、涼しい顔をしたまま自分の父親の胸をナイフでぶっすり刺すのである。

当然それは悪い妖精が変身して父に化けた姿なのだが、通常の子ども向き映画なら刺された瞬間に変身をとくであろう所を、この映画では父親が苦悶してほとんど死ぬまでそのままの姿だ。それをジャレッドは平気な顔で見てるのである。

いくら彼が賢くて目の前にいるのが父の姿をしただけの悪玉だと知っているにしろ、この描写はちょっと普通じゃない。単なる父との別れを乗り越えての成長物語ではなく、父(仮の姿)を殺すという一種の通過儀礼を経ることで少年が一気に大人の男になるという、ファンタジーというよりむしろ神話的な要素の強い物語ということになるのだ。

その結果、ジャレッドは双子の兄弟や姉だけでなく母親さえも乗り越えた真のヒーローとして物語に君臨する。彼こそがこの物語を率いる者、作者の分身である本当の主人公となり、悪を打ち倒すのにふさわしい存在となったのだ。


――と、思った。
普通ならこれで話はおしまいである。ジャレッドが一人前のヒーローに成長を遂げたのだから。

後はもうエピローグで父をも打ち負かしたそのパワーで妖精達に君臨するなり、知恵と勇気に家族が賞賛をおくるなり、彼が幸せになった姿を見せればいいはずだ。

ところがそのエピローグが驚愕だったのだ。



私はこの作品の原作を読んでいないので、どこからどこまでが原作通りなのかは知らない。
ここまでの話の本筋におけるジャレッドの行動は大変男の子っぽいものだったので、原作者は男性なのかと漠然と思っていたぐらい、何も知らずにこの映画を見ていた。



だから悪い妖精の退治に成功したジャレッドが無事に再会できた母親に言ったセリフには心底驚いてしまった。
彼はこんな内容のことを言ったのだ。
「もうパパのことはいい。これからはママと暮らす」

はあ?

開いた口がふさがらないとはこのことだ。

ジャレッド、あんた、父(仮の姿)を殺して一人前の男になったはずでしょうが!
それがどうして再び子どもに戻って
「ママと暮らす」
なんて言うのよ?!

もちろん「一人前の男になった」といってもそれは精神的なものだから、子どもであるジャレッドは母親の保護の元でこれからも暮らすというのは現実的にはとても正しい。

しかしそれはそれとして、映画的にここで求められるセリフは
「これからはパパの代わりに僕がママを守る」
ではないかい?

男性作家だったらまず間違いなくそう書いたと思う。

そもそもパパっ子として登場したジャレッドにいわゆるマザコン的な要素は全然なかったのである。取り立てて母の愛に飢えてる様子もなく、母親への反発ばかりが描写されていたのだ。

それがいきなり「これからはママと暮らす」だなどと母親思いのよい息子へと変貌するのだから、青天の霹靂もいいところである。

この瞬間、ジャレッドは主人公の権利を母親に譲渡したと言っていい。
ジャレッドがママの庇護下に入ることを自ら選んだ事によって一番利益を得たのは、愛しい息子の心をを父親から取り戻した母親その人だからだ。

作り手側の視点がジャレッドから母親に移ったと言うべきかもしれない。
本筋ではジャレッドは男性である脚本家や監督の意を受けて行動していたのが、エピローグに至って初めて原作者の願望をかなえるために動き出したという感じだ。

物語を紡ぐものの視点がいきなり男性から女性に切り替わったような、ほとんどコペルニクス的転回をこの映画は含んでいる。観客にとっては驚天動地だ。


エピローグでは、物語の主役は実は母親の方である。
彼女が願望かなえる(=物語の上での利益を受ける)ことが作者の真の望みだとすれば、少なくともこの部分は女性の手によって書かれたものに違いない(後で調べたのだが、やはり原作者は女性だった)。


母親を主役として考えれば、今までのストーリー全体を彼女を中心に据えて見直す必要がある。
するとジャレッドの行動自体が最終的に母親の望みをかなえるためだったという事になる。
すなわちジャレッドが成し遂げた事こそ原作者が心の底に秘めた願望だったのだ。


劇中でセリフによって描写されるジャレッドの父親像は、妻を裏切って別の女といい仲になり家族を捨てた男だ。しかも子どもの機嫌を取るのは上手いがイヤな役目からは逃げ続けるという卑怯な父親でもある。

ジャレッドが悪い妖精の化けた姿とはいえそんな父親を殺すのは、母親にとっては復讐以外のなにものでもないだろう。この映画の中では本物の父親は出てこない。電話での声だけで、実体を備えていないのだ。従って外観を備えただけとはいえジャレッドが刺した妖精の方が復讐相手としての実体となる。要するに、作者の復讐心はそれで充分満足させられるという事だ。

可愛い息子が自分に変わって裏切った夫への復讐を果たし、その上で「やっぱりパパよりママがいい」と戻って来る……これは捨てられた妻であり母である女にとって最大の願望なのではあるまいか? それが原作者の実体験に基づいているかどうかは知らないが。


この時点で「スパイダーウィックの謎」は子ども向け映画という衣をかなぐり捨てて、生の女の叫びを伝える作品となっている。上手くすれば子どもの付き合いで渋々映画館に足を運んだ母親達の心をぐっと掴んだ
ことだろう。



さて、この作品の原作者が女性に違いないと睨んだ理由のもう一つには、ジャレッドの大伯母にあたるルシンダの存在がある。彼女もまた真の主人公だ。ルシンダは6歳半の幼女の姿と86歳の老婆の姿で登場するが、ここにジャレッドの母とティーンエイジャーの姉を加えると、ほぼ女性の一生におけるそれぞれの様相が作品の中に登場することになる。これは恐らく原作者である一人の女性の姿を反映したものだ。


ルシンダは6歳半の時、妖精達に愛する父を奪われる。
彼女の残りの一生は連れ去られる時に「必ず帰る」という言葉を残した父を信じて待ち続ける事に費やされた。
やがてジャレッドの活躍により父が約束通り彼女の前に帰ってきたが、現世に留まれる時間はごく僅かだと聞いた時、彼女は迷わず父と妖精の世界に旅立つことを選ぶ。
この世を離れ、別世界へと一歩を踏み出した時、ルシンダの姿は再び6歳半の時に戻り、深い愛情で結ばれた父と娘として仲良く去っていくのだ。


「魔法にかけられて」でも書いたけれど、これが多くの女性達が心のどこかにしまい込んだ願望そのものである。

ティーン・エイジャーや母親の姿では「欲望」という形で受け取られてしまうが、幼女も老婆も一般的には性的対象ではないため「願望」という美しい形で描けるのだ。近親相姦のタブーさえ犯さなければ、父と娘は深く愛し合っていてもいいのである。

この映画では父の方に主導権はなく、愛のために一歩を踏み出す決意をしたのは娘のルシンダの方だった。だからこれは娘から父へのラブコールであり、逆ではないと思われる。

妖精に連れ去られた父も、他の女に奪われた夫も、実は作品の中では大変影の薄い存在だ。
それはすでに失われたもの、永遠に戻って来ない愛の対象である。

だから作者はせめてファンタジーの中だけでも失われた愛を取り戻そうと作品を書く。
裏切り者の夫には鉄槌をくだし、息子の愛を取り戻し、そして自分は幼女に戻ってその時の若さの父親と永遠に歳を取らずに過ごすのだ。

「スパイダーウィックの謎」は少年の成長物語ではない。
それは失われた愛を取り戻したい女性が描いた、決して実現しない夢なのである。
美しく見えるが、実は悲痛な叫びそのものだ……。