ブログネタ:この授業はいらない(いらなかった)と思う
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ある時期、思い立って映画の字幕制作者を養成するための教室に通ってたことがあるんです。
そこは半年間の基礎科を終了してから演習科へと進むのですが、この演習科の講師の一人が担当した講義は全部いらなかったと思います。
基礎科は生徒さんを集めるためにロードショー映画でも名の知れた先生を講師にお迎えしてるんですよね。その先生の講義は本当に文句なく素晴らしかったです。
演習科になっても、「ドキュメンタリー」とか「吹き替え」とか「サイレント」とか講義テーマごとには有名所の先生をお迎えしてるんですが、一番大切なはずの「翻訳演習」が何故か講師としては最低なお方でして。字幕の実績については何の問題もないのでしょうが、教えるということができない人でした。
御本人にやる気がなかったとは思いません。
御本人なりに、一生懸命やっていたのでしょう。
他のベテラン講師の方々の方がより熱心だったというだけです。
しかしですね、教卓について生徒の原稿を読み上げるんだったら、もっと大きな声ではっきりと教室の隅々まで聞こえるように読んで欲しかったですよ。或いは目の前に置かれているマイクのスイッチを入れるとか。
まるで今そこで初めて目にする原稿を思いつきで気の向いたとこだけタラタラ読み上げては時折「う~ん」と考え込むということを目の前でされて、それが講義の大半を占めているんじゃ生徒そこにいる意味ないんですが。ちなみにその読み上げられている原稿は講師の上のスクリーンに全部出ているので、生徒自分の目で全部読めるんですよね。
読み上げることが必要なら、もっとその必要性を感じられるように読んで欲しかった。
そうでなければ果てしなく無駄な時間を過ごしたという徒労感しか得られないので。
講義は2時間あるのですが、その2時間は葬儀の方がまだ読経が響く分賑やかじゃないかと思われるほど静けさに包まれてましたわ。椅子の座り心地が悪いので居眠りすることもできないし。まさに地獄。
こっちは義務教育受けてるわけじゃなくて、実践の経験を積むために授業料払ってその場にいるわけですよ。授業料に見合うだけの講義内容が欲しかったですね。
それでも一年、何とか頑張り通して、まだまだ全然プロにはなれないけれどもう一年がんばってみようかなと同じクラスを取りました。そういう人は毎年何人かいて、私もその一人というわけです。
年度が変わったので同じ演習科には基礎科から上がってきたばかりの人も何人もいました。でも受ける授業は同じなのですね。基礎科の方達はその時の講師の先生が最高におもしろかったのに、演習科では打って変わった講義内容なのに目を白黒させてました。講義中は相変わらず静かなものでしたが。
で、その講師の講義が何回か続いたあとですよ。
爆弾発言がありました。
何と言ったと思います?
「何回か皆さんの原稿を見せて頂きましたが、基礎科からあがってきた人達と演習科を繰り返してる人達の間に目立った差はありませんね」
だそうで。
あたしゃ目を真ん丸に見開いてあきれてましたわ。
この人、今自分が言ったことの意味分かってるんだろうかって。
元基礎科グループと演習科グループの実力に差がないということは
1 今年の元基礎科グループはずば抜けて優秀である
2 今年の元演習科グループは途轍もなく出来が悪い
3 演習科で受ける「翻訳演習」の講義には何の価値もない
この3つの内のいずれかに該当するわけですよね?
これには続きがありまして、この年の元基礎科グループの人達はそれまでの演習科がやっていなかったある手順の実践練習を講義の中で身につけていて、それがそのまま新年度からは演習科でも課題として出されることになり、元演習科グループはその実践経験のないまま粛々と去年より手間の増えた課題に取り組んでいたわけですよ。
で、その手間の増えた手順の部分に関しても元基礎科グループと元演習科グループには大差がないとおっしゃった。
つーことはよーするに
3 演習科で受ける「翻訳演習」の講義には何の価値もない
と、御自分でお認めになったも同然ということじゃないですか。
この講義の内容が深いものであれば、1年目と2年目の実力には歴然とした差が付くはずです。生徒の実力を伸ばすことができない講義なんて受けたって何の意味もないですよ。それを、講師自らが何気なく口走ってるんですよ。深く考えないで出てくる言葉には概して本音が含まれているものですから、これは事実なんです。
あたしら、何のためにあんたの講義聞きに来てるわけ?
さすがに3年目は行くのをやめました。
当時の仲間には学校を変えた人もいます。
これ以上、「この講義はいらない」ですから。
今年も相変わらずあの講師は同じような価値のない講義を繰り返しているのでしょうか。
新しい生徒さんが気の毒です。