アカデミー賞映画なので見ようと思いつつ、何故か足が向かなかった作品。

テレビ放映もかなり前から何度となくされていたのにスルーばかり。

今日はたまたま暇があったので、逃げることができなかった。


キャストはそれぞれ熱演で、エディー・マーフィーは才能あふれるイヤな奴、ジェイミー・フォックスは本人に悪気はないけどヒドイ奴、ダニー・グローバーはいつも最後においしい所を持ってかれちゃう奴という、それぞれのはまり役を演じきって見事だった。


でも、男性はすべて脇役。重要なのは女性だけ。


この映画の主役はジェニファー・ハドソン。

テレビ番組で才能を見いだされてこの役に抜擢されたという彼女は、「素人故の恐いもの知らずさ」という雰囲気をナチュラルに発散していてピッタリだったと思う。

歌唱力は最高で、劇中ではビヨンセを凌いでいる。


でも美しいのはビヨンセの方。顔も、そしてスタイルも。


この話は実話に基づくそうだが、実際にこの二人のモデルとなった人達にこれだけの容姿の差があったかどうかは知らない。だから私の印象はあくまでこの映画についてのものだけである。



ビヨンセの演じたディーナとジェニファーの演じたエフィでは、歌に抜群の才能を発揮していたのはエフィの方だった。ディーナはむしろグループの中のお飾り的役割に過ぎず、歌の上手いエフィが中心的存在として振る舞っていた。


もしエフィにディーナの美貌があれば、彼女の振るまいは「女王様」とか「お姫様」とか称されて大目に見て貰っていたはずだ。陰口はさんざん叩かれたろうが。

しかし彼女の行動は周りからは単なる「ワガママ」としか受け取られなかった。どんなに歌にすぐれた才能があったとしても、美人でなければお姫様扱いはして貰えないのである。

確かにエフィの性格が優しいとか穏やかだとは口が裂けても言えないし、自分の才能にあぐらをかいてたともいえる。

彼女はそのワガママぶりを非難されてグループから切られるのだが、もし彼女がスタイルのよい美人だったら、待遇は全然違っていたのではないだろうか?


ショービジネス界で成功するのに必要なのは歌唱力よりも美貌だとこの映画は言っている。ディーナを中心にどんどん売れっ子になっていくドリームズの描写がそれを物語る。良い悪いではなく、ただそれが事実なのだと。


それは残酷な真実である。


同じような才能の持ち主がいて、そのどちらか一人を選ばなければいけなくなったら、どっちをとるか。

他の条件がすべて同じだとしたら、たぶん顔の綺麗な人の方をとる。

それが、ごく普通の反応だ。

美人はやはり特である。

それで幸せになれるかどうかは別問題だが、しかし顔が良くないという理由で選ばれないというのは明らかに不幸ではないか?



エフィは美人じゃないのにお姫様として振る舞ったから嫌われた。それは世間が許さないのだ。

彼女はどうすれば良かったのだ?

誰よりも秀でた才能を持ちながら、才能を持ってない人達と同様に振る舞えば良かったのか?

普通の人と同じに振る舞わなければいけないのなら、才能を持ってる意味などないではないか。

目の前に才能は自分以下なのに美人というだけで売れっ子になっている元友達がいるのに。



映画ではその辺の葛藤は省略され、エフィが最後には再び脚光を浴びるシーンで終わる。

この映画での悪者は一人きりで、結局そいつに全部の責めを負わせて物語を締めくくるわけだが、そんな大甘なラストを見てさえ心の中にわだかまるこのモヤモヤした思いは消せない。


この世に残酷な真実がある事は身にしみて知っているのだから、映画を見てまで敢えてその指摘を受ける必要なんかない。


たぶん、だからこの映画を見る気にずっとなれなかったのだろう……キャスティングを見ただけでどんな内容か薄々気がつくものだから。