「300」は劇場で何度も見ていたけれど、テレビ初放送でもやっぱり見てしまった。

「オペラ座の怪人」のファントムの画期的な喉の使い方。
300なめるな
あまり音楽的な響きではなさそうです。


生きて動く芸術品、クセルクセス(これが元ネタの方)。
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「我を崇めよ」(←「帝都物語」の魔人加藤の台詞を拝借)


「300」は見ている間は感極まっているんだけど(男の裸が多いからじゃありませんよ)、映画館を一歩出た途端に内容が脳みそからサラサラと抜け落ちていく様な気がします。

とっても好きな映画だし、テーマにも充分共感し感動できるのですが、何故でしょう。

何かね、薄いんですわ。
心の表面には足跡を残すんだけど、決して奥底までは入って来られない映画なんです。
深いテーマを語りながら、どこかしら底が浅いんですよね。

それは恐らく、この監督が撮りたかったのは「絵」であって、物語はその絵の一枚一枚を際だたせるために周到に準備されたものではあるけれど、決して言葉で観客の心に語りかけるものではないからなのではないかと。レオニダス(上)やクセルクセスは大層素晴らしいキャラではあるけれど、彼らから生きた人間としての人生の厚み、生活の匂いを感じ取ることができないからじゃないかと思うのです。

それが悪いとは思いません。
絵を描く人にとっては、それは言葉以上に雄弁な表現なはずです。受け手である私の方に理解する能力が欠けているのでしょう。
この監督ザック・シュナイダーにとっては生きた人間を使ってコミック(グラフィック・ノベル)の絵を一枚一枚完成させて行くことこそが大事だった。そしてそれは充分に成功していると思います。自分自身で絵を描く監督だからこそのこだわりですね。

アクションシーンなどは、絵コンテの一枚一枚がきっちり再現されていて、それをつなぐ動きの部分が早送りされていたりします。またそれが面白い効果を生んでいるのですよ。

絵の一部分となるため、登場人物の体はこの上なく美しく鍛え上げられています。
美は均整、美はプロポーション、美は左右対称、美はバランスです。
しかしそういった「美」へのアンチテーゼである歪んだ肉体や崩れた顔もまたこの作品にはたくさん登場し、一般的に「醜」とみなされるものにも異形の美、グロテスクな美というものが存在することを示しているのです。

ストーリーとは全く違う部分で私が引っ掛かったのはそこなんです。

主要な登場人物達が神のように美しく描かれているのは当然ですが、しかし決して異形、異相な登場人物達が悪魔のように蔑まれているわけではないのですよ。むしろ強さの象徴として扱われていたりします。クセルクセスの慰み者のようでいて、映像に現れる彼らは男女を問わず自分の姿を恥じてはいない。むしろ堂々としている。卑屈な感じがないんですね。

その、直接ストーリーとは関係のない描写がかなり多い。
それがこの監督がこだわっている部分である証拠だと思うんです。

均整のとれた美を追求してやまない理性と、それと相反するグロテスクさなものを美と感じる心理、この監督はその二者によって常に引き裂かれそうになっているのでしょうか。


「我こそが王である」
と君臨するのが当然という顔をして現れる黄金色の完璧な肉体を備えたクセルクセスは、古典的な「美」の概念そのものなのかもしれません。
全ての者がこの完全なる美を受け入れて当然と、疑う心さえ持ちません。

それに戦いを挑む300人の男達は映像上肉体的には美しいですが、実際は泥と血と汗にまみれた姿の美とはかけ離れた存在という設定です。
彼らはお仕着せの「美」=クセルクセスを受け入れない。
彼らはそれに徹底的に抵抗する。
彼らの守る「自由」は表現の自由であり、美意識はそれぞれ人によって異なるという主張でもあるでしょう。誰が何を美しいと思おうが、それはその人の勝手だということです。

その少数の意見は完璧な「美」を指示する圧倒的多数によって遂には制圧されますが、しかし最後に一矢報いる。均整と調和を誇るクセルクセスのそのパーフェクトなバランスを1箇所でも崩せば、彼は二度と自分の「美」を心の底から誇ることはできなくなる。たぶん、それは彼にとって死よりも避けたいことだった。
だからこの映画の本当の勝者はレオニダス、主役で間違いないのです。


肉体を美しく鍛え上げる事に異常な情熱を燃やすのは、歪んだ心を隠すために外見だけでも綺麗な入れ物として整えようという心理が働いているのでしょうか。

歪んだ心が美しいと思うものは、自分と同じに歪んだ形。それが世間で認められないことを知っていれば、歪んだ形が好きな事を隠して均整のとれたものが好きなふりをし続けなければならない。でも、もう、そんな人生に疲れた。自分の好きなグロテスクなものを美しいと声を大にして言える時代がくればいい……芸術家の心の奥にはそんな思いがひそんでいるのかもしれません。監督なのか、原作者なのか、或いはその両方なのか、それは分からないけれど。


表面だけ見れば自国の民と自由を守るために尊い自己犠牲を払った300人の勇敢な男達の話ということになってしまうのですが、そんな風に片付けてしまうのはちょいと勿体ない作品です、この「300」は。

ちなみに「ロード・オブ・ザ・リング」でファラミアを演じたデヴィッド・ウェナムさんが出演しているのがファンには嬉しい映画でした。ウェナムさんはあんまり日本の劇場で見る機会がないので。


戦場を生き延びる彼もやはり均整を一点欠いています。
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こちら本来のウェナムさん。
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「ミスト」で主役だったトーマス・ジェーンとちょっと雰囲気似ています。