リチャード・ギアは素敵だと思うが、それほど熱心なファンではないので作品を全部見ているわけではない。

私の見た限りの作品から漠然と抽出される彼のイメージは
「真実の恋を求め、運命の相手を探しながら遍歴を続ける男」
である。
まあ、ロマンチック映画、或いはロマンチック・コメディ映画に出てくる男というのは概してそういうタイプなんだけど。

リチャード・ギアの場合はその「遍歴」がさまになるのである。
それは別に画面に描写が出てこなくても、彼が一言それについて触れるだけで過去の心の傷を彷彿とさせられてしまう……そんな感じだ。

ミッキー・ローク(若い頃)とリチャード・ギアの違う点は、リチャードは運命の相手を見つけたらその後は彼女を幸せにするために全力を尽くすのだろうと観客に思わせてくれる点である。ミッキー・ローク(若い頃)だと後から「やっぱり間違いだった」とか言って全て放り出しかねない危うさが残るのだわ。

「プリティ・ウーマン」でジュリア・ロバーツを迎えに行くリチャード・ギアを見て観客が心底満足しうっとりできるのは、彼なら「その後二人はいつまでも幸せに暮らしました」というおとぎ話を実現させてくれそうに見えるからである。ロマ・コメでは観客に夢を与え、それを信じさせる彼の力は絶大なものだ。

彼に弁護士役が似合うのも、口八丁手八丁でありながら最後には観客に信頼を与える力があるからだろう。
「シカゴ」では彼は脇役なので彼自身のストーリーは完結しないために「遍歴」の真っ最中だったが。

逆に「シャル・ウィ・ダンス」では人生の初期の段階で運命の女性に出会ってしまった男を演じていた。奥様役がスーザン・サランドンだから見ている側も文句は言えない。

この映画でリチャード・ギアが見せてくれるのが、まさに「運命の相手を幸せにするために全力を尽くす男」である。「プリティ・ウーマン」のその先だ。「いつまでも幸せに暮らしている」真っ最中なんである。紆余曲折のあと、やっぱり自分が最初に下した決断「彼女を幸せにする」に従って行動する彼の姿は最高に男らしく見えた。


そう、リチャード・ギアにはこうと決めたら一人の女性を徹底的に愛し抜くという役がとても似合うのである。それはこの「ハンティングパーティー」においても例外ではない。


この下微妙にネタバレになるので下げます。







彼がその愛するたった一人の女性を失ったらどうなるのか。

「プリティ・ウーマン」の先の「シャル・ウィ・ダンス」のその先の物語、それが「ハンティングパーティー」で語られる。

実はこの映画でのリチャード・ギアは外見的にまるで格好良くない。ただのむさ苦しい初老の男にしか見えなくて最初の内はがっかりしたものだ。

しかしその理由が明らかになるにつれ、その姿のリチャードが愛しく思えてくる。

彼が映画の中で愛する女性は常にベターハーフ、彼自身のよりよい半身で、だからその女性を失ってしまったら彼自身も失われる……そんなイメージさえ湧いてくる。

映画だから勿論一回一回相手の女優さんは違うのだが、しかしリチャード・ギアはそれぞれ渾身の力を込めて彼女達を愛したのだと思う。演技とはいえ、そこまでの愛を観客に伝えられる男優は滅多にいないのではないか。

この映画自体にロマンチックな所は微塵もないが、しかしリチャード・ギアという存在自体がロマンチックなのである。

それが分かっただけでも見て良かったと思った。