往年の名監督、といったイメージなんですが、実は「フィクサー」に出演していて、ジョージ・クルーニーの上司を巧みに演じていらっしゃいました。
その上司、マーティ・バックは弁護士事務所を構えて社会的にはすでにある程度の地位と財産を築きながら、一つ訴訟を失敗すると事務所自体が傾きかねないような危うい経営をしていて、そこそこの社会正義を求める顔をしながら裏に回っては面倒事は臭いものに蓋をするように揉み消しても平気な、能力の高い男が仕事で成功するための秘訣を全部心得ているようなタイプの人間でした。心底から悪人なわけでも性根が曲がっているわけでもなく、世界の平和を祈願しつつでも自分の食事のレベルは決して落とすつもりはないという……ごく普通の白人のアメリカ人ですね。自分の望むだけの金も名誉も手に入れたならその後で貧乏人のことも少しは考えてもいいかな、世間体もあるし、という感じ。
なんとなく、監督が「社会派」と言われる時のその「社会」の縮図みたいなものを御自身で演じられていたような気がします。疑問を持つことなく矛盾を抱えていられる個人の集大成が結局は社会を構成しているのですから。
この上司はジョージ・クルーニー演じるマイケル・クレイトンの対立すべき「敵」ではないのですが、しかし彼に直接関わって様々方向からのしがらみで彼をがんじがらめに縛りつける役割でした。まさに敵としての「社会」そのものです。あまりにも上司としてそつなく「立派な」人なので、マイケルは直接怒りをぶつけることさえできません。彼の言うことは正論ばかりですので。
でも、何かがどこかで間違っている。
それに薄々気づきながら、長いものに巻かれることで保身をはかろうとするマイケル……彼の内的な葛藤というドラマはほとんど全てがこの上司からもたらされたものでした。それはマイケル自身の心の中にもある、社会的な成功への欲望の実現した形として目の前にある存在だったからです。彼自身が自力で乗り越えなければならない障壁……その、とても重要な役をさりげなく演じていたのがシドニー・ポラックでした。
私にとっては名優としてのイメージの方がこの先も強く残るかもしれません。
ご冥福を祈ります。