「つぐない」公式サイト



この映画で主演とされるのはキーラ・ナイトレイ演じるセシーリアとジェームズ・マカヴォイ演じるロビーだが、彼らは悲恋の中心人物ではあれ、この「つぐない」という作品の主人公ではない。


主人公はセシーリアの妹であり物語の語り手であるブライオニーだ。その13歳の時代を演じたシアーシャ・ローナンがアカデミー賞にノミネートされたのが助演女優賞なのが不思議なくらいだ。


セシーリアもロビーも言葉にならない愛の感情を表情一つで表現していて素晴らしい。

しかしこの作品の中で本当に生きているのは実はブライオニー一人である。観客が見るほとんどのシーンはブライオニーの目を通した世界なのだ。子どもの時のブライオニーが見た世界と、大人になったブライオニーが当時見たことを大人の目で見直して理解した世界と、そしてもう一つ。


(この下ネタバレです)






ブライオニーが作り上げた物語の世界。


この映画を真剣に見ていると、途中でおやっ?と思えるシーンが出てくる。

おかしいな、こんなはずないな、それとも何か見落としていたのかな、と頭の上に疑問符を浮かべつつ、それでもそれが大変甘美なシーンであるために疑問は押しのけてのめりこんでしまう。


だが最後にそれがやはりフィクション……映画の中で劇中劇のように語られた虚構の物語であったことがわかるのだ。


それまで見ていたのは長じて作家となったブライオニーが出版する本の内容であり、一番大事なシーンは彼女の創作であったことをブライオニー自身がインタビューで語るという体裁をこの映画はとっている。

微妙に辻褄が合わなかったのはそのせいだったのだ。


この作品はセシーリアとロビーの悲恋がメインではないし、ブライオニーのつぐないを描きたかったわけでもない。


これは作家がどんな時にフィクションを書くのかを正直に伝えた作品、人が物語を欲するのはどんな時かを赤裸々に訴えた作品だ。作品を人に読んで貰うためには何が必要かも正直に言っている。


読者や観客の心情を満足させ、しかし自分の心にも正直になるための方法をこの作品は編み出したと言える。ハッピーエンドもバッドエンドも見せ、それを理由ともども観客に納得させてしまう……そんな映画だった。


人は死者を悼み、現実では悲惨なまま終わったその生をせめて次の世では幸せなものになって欲しいと願う。


ごく一般の人間の場合、死者に対して「死後の世界」「あの世」「天国」で幸せになってと漠然と祈るだけだが、それでは飽きたらずに虚構の世界の中で新たに違う人生を与えたいと強く願う人間は書き手となって物語を書く。


書き手が死者に対して非常に負い目を感じている時、自分の中にある最大の欲求が自分の感じている罪の意識を何とかして晴らしたいと思っている時、書くという行為そのものが「贖罪」となる……自分が作家になったのはそのためなのだと訴えているような作品だった。


だから私には感想は「そうですか」としか言えないのである。