「奇跡のシンフォニー」公式サイト
日本の予告編を見れば分かる事なので書いてしまうが、この映画の主人公は身寄りがない子として施設で育った少年である。フレディー・ハイモア君の演じるエヴァンは、いわゆる孤児なのだ。
いわゆる孤児を主人公にした文学作品は昔からある。そういう意味では「奇跡のシンフォニー」はストーリー的には古い酒を新しい革袋に入れたようなもので、「家なき子」の現代版みたいなものかもしれない(「オリバー・ツイスト」でもあるのだろうが、こっちは作品を読んでいないので)。
けれどもこのストーリーの基本となる空想(ファンタジー)は、実は子どもなら誰もが考えるものだ。例え実の両親に愛されて育てられていたとしても、叱られたとか構って貰えないとかで不満を感じた時に子どもは
「もしかしたら自分の本当の両親は別にいるのかもしれない」
なんて考えるものなのである。
「こんな自分の意地悪な分からず屋の両親なんて本当の両親じゃない。きっと自分には事情があって一緒に暮らせない本物の素晴らしい両親がいて、その内迎えに来てくれるんだ。もしかするとスゴイ大金持ちになってるかもしれないし、どこかの国の王様かもしれない……」
等という具合にファンタジーというものは膨らんでいくものだ。
まあ、鏡を見れば自分が親兄弟にそっくりな事が分かるぐらいの分別がつけば、そういった空想は夢想となって忘れ去るものだが。しかしそれは本当に生みの親に育てて貰っているという幸運な場合である。
事情があって施設で育った子どもならば、その空想はもっと具体性を帯びたものになるだろう。
「もし、両親が自分のことを探しているのに手がかりがなかったら、自分がどこにいるのか分からなくて困るだろう。自分の存在を知らせる手段を講じなければ」
と思うかもしれない。
自分の存在を人に知られるためには有名になること。
それもちょっとやそっとじゃなく、世界中で有名にならなくては意味がない。だって実の両親は広い世界のどこにいるのかわからないのだ。
そのためには、国境を越えて大勢の人の耳目に達するには、音楽が一番だ。
そうだ、自分がモーツァルトみたいな音楽の天才だったら……!
そうしたらお父さんやお母さんの方からきっと自分を見つけてくれる!!
そんな切ない程のファンタジーが「奇跡のシンフォニー」では描かれているのである。
そう、フレディー君が主演の時点で気づくべきだったのだが、これはファンタジー映画なのだ。それもはっきりと子ども向けの内容の。それが大人の鑑賞に耐える作品に仕上がっているのは、ひとえに音楽が素晴らしいからである。
「ベルベット・ゴールドマイン」のジョナサン・リース・マイヤーズが出演していたのは伊達じゃないってば! 彼のパフォーマンスが見られただけでもファンは感涙モノ!! あの歌唱力は本物、本物のロッカー! 彼の歌を聞くだけでも映画館に足を運ぶ価値あり!
もちろんアカデミーの主題歌賞にノミネートされた「Raise It Up」も素晴らしいが、それだけではない。
斬新なギターの使い方は「4分間のピアニスト」のピアノの使い方にも似ていて、楽器の奏で方は決まり切ったものではないことを教えてくれるし、クライマックスを飾るシンフォニーに至っては音を出す物は全て楽器であると歌っている。
歌って踊るミュージカルではないが、「奇跡のシンフォニー」は音楽が主役の映画でもある。ストーリーは音楽を聴かせるためにある。だから多少甘くても最後がさわやかならそれでいいのだ。