「ハイランダー ~ディレクターズカット版~」公開記念として、川尻監督の旧作4本が監督のトークショー付きでオールナイト上映されました。
・「妖獣都市」(1987)
・「獣兵衛忍風帖」(1993)
・「バンパイアハンターD」(2000)
・「迷宮物語」(1987)(大友克洋、川尻善昭、りんたろう、3氏によるショートオムニバス)
以下、上記4本と「ハイランダー ~ディレクターズカット版~」の作品内容に触れるネタバレとなります。
そもそもこのオールナイトに行ったのは「バンパイアハンターD」をもう一度劇場で見たいと思ったからなのだけど、はっきり言って今回見て面白いと思った川尻作品も「D」だけだった。
まあ、上の二本は完全に男性を対象として作られた作品なので、女性が見ておもしろいわけがないのだけど。「妖獣都市」なんか原作(菊池秀行)からしてアダルトだしね。
実際この日のオールナイトの観客層は「ハイランダー(以下略)」の舞台挨拶1回目が95%女性客だったと監督がおっしゃったのとは対照的に9割以上が男性客。客の入り自体は6~7分といった程度で、例えば大友克広とか押井守に比べると川尻監督の知名度はこんなもんであるという大変分かりやすい指標になっていた。ま、ちょっと一般的というよりは「通好み」という位置付け。
トークショーではインタビューに答える形で自作について語ってらしたが、その後作品を見ると大変客観的かつ正確に御自身の作品を把握してらっしゃることが分かった。
ポイントは大体こんな感じ(順不同)。
1 自分は絵描きである
2 絵を動かしていったらどうなるのかを追求したい
3 監督として他人に任せた方がいい部分はそうする
4 自分には少々ロマンチックな所があるのかもしれない
5 映画の見せ場に観客を引き込むためには物語が大切
1と2に関しては、確かにこの監督は絵描きで物書きじゃないわと思うのが、映像として見応えのある場面をどんどんつなげて見せてくれるのだけど、それが「何故そうなる」という部分の説明は完全無視のままなんですよね。説明はそのキャラが「妖獣である」とか「忍法を使う」とか「吸血鬼である」とか「不死人である」とかの部分だけで全部すませてしまってる。それは設定なだけであって、各現象の説明には一切なってないと私なんかは思うのだけど、その辺は映像美とスピードの力技で押し切ってしまうのが川尻監督のやり方らしい。
それはまあ、「妖獣都市」や「バンパイアハンターD」の原作者である菊池秀行の作品自体にそういう面が多々あるのも事実なのだが、それだからこそ川尻監督が菊池作品を選んだのだとも言えよう。
菊池秀行という作家さんも自分自身のテーマというのがあまりない人で、とにかく自分が好きな物を書いて人を楽しませれば満足みたいな感じで、で何が好きかと言うととにかく往年のB級ホラーやSF映画なのだわね。「魔界都市新宿」なんてアイディアは「ニューヨーク1997」から貰ったと御自身が「D」完成試写会のトークショーでおっしゃってましたわ。
4と5に関しては、やはり初期に手がけた「妖獣都市」がその後の川尻作品のベースとなっているようで……オールナイトでまとめて見るとよく分かるのだけど……ほとんどワンパターン。エモーショナルな部分でのバリエーションがないと言ってしまえばそれまでだけど、要するにそれが川尻監督の好みであり、ロマンチックな所であり、まあ絵描き以外の部分でのテーマであるのでしょう。監督が本当にやりたいことは1と2だから、4と5はその次に来るのでしょうし。
「迷宮物語」以外の作品でのストーリーは基本的にまず強い男がいて、その男が行きがかり上哀れな宿命の女(でも実は強い)を助けると、女は彼の恩情に報いるため「借りを返す」までつきまとうというもの。
その女が「借りを返す」のが体を与えるのだったり、命と引き替えにするのだったり、その辺は物語によって様々だが、要するに命を助けられた女が男の方を愛するようになってしまうというパターンは変わらない。男の方の愛に応える形には多少のバリエーションがある。この辺がきっと監督が「ロマンチック」な所と照れながら言う部分なのだろう。
まー言ってみれば「鶴の恩返し」である。
「鶴の恩返し」といえば、「恩返し」の他に鶴と人間との「異類婚」も重要なファクターであるが、実は川尻作品はこれもクリアしているのだ。
「妖獣都市」では魔界の女が、「獣兵衛忍風帖」では忍法により体全体が毒と化したくのいちが人間の男と愛を交わす。「バンパイアハンターD」では吸血鬼のマイエルリンクと人間の娘シャーロットが結婚しようとし、主役であるD自身が吸血鬼と人間のハーフ、異類婚の結果である。またそのDも人間の娘であるレイラと心を通わせる。「ハイランダー」では最愛の恋人モーヤを殺されて自分も返り討ちにあったコリン・マクラウドが不死人として蘇り、その後の2000年の人生の中には人間の娘に愛された記憶もあるようだ。
一応、「異類」である男も女も姿形は人間と同じで美形揃いだし、彼らの相手となる「人間」の方はその能力が人間離れしているので、彼らが結ばれても全く違和感はない。魔界の女と人間の男、バンパイアの男と人間の女の間には子孫も設けられるという設定なので、大変近しい種ということになる。
そこにはもしかすると生まれた世界が違っていても愛さえあれば乗り越えられるというテーマが隠されているのかもしれない。
ただ、川尻作品はどこまでも男性向きの物語として描かれているので、最終的に女性が幸せになれる話が少ないのである。
「妖獣都市」以外は異類を愛した女の方は「あなたと知り合えて一瞬だけでも幸せでした」みたいな事を言い残して男の腕の中で息絶えていくのである。どっちかというと川尻監督自身が「ロマンチック」と考えているのはこっちの部分なんじゃないかという気がしてならない。「鶴の恩返し」では自分の正体を知られた女は鶴の姿に戻って空に帰って行くわけだし。
異類間で子どもまで作ってるのは「妖獣都市」と「D」だがこれはどちらも菊池秀行原作。菊池の方のテーマはだから異類婚でも「鶴の恩返し」ではなく「葛の葉」の要素が強いのだと思われる。ダンピールのDの能力の高さは安倍晴明に通じるのかも(なんちゃって)。
「D」ではDとレイラの心の交流は残念ながらロマンス未満で終わってしまう。
この話で中心となる恋愛は吸血鬼のマイエルリンクと人間の娘シャーロットのものであり、しかもシャーロットの方は本物のマイエルリンクに身を委ねることもないまま儚く死んでしまう。それでもマイエルリンクは彼女の亡骸とともに宇宙へと旅立っていく。そこには「生涯を共にする」という強い意志がある。
物語のラストでは、Dとはその後別の道を歩んだものの、他の男と結婚して恐らく幸せな生涯を終えたであろうレイラの墓に花を手向けるべくDが現れるシーンもある。この辺、原作通りなので、菊池秀行の方には女性に対して一生をかけるだけの覚悟があるか、或いは少なくとも女性ファンを取り込むためにはそう見せる方が得策であると熟知していることが分かる。
ところが川尻が監督・原作・脚本・キャラクター原案を手がけた「獣兵衛忍風帖」になると、そもそも恋愛が成立していない。ストーリーの外郭は「妖獣都市」から貰っているのだが、女が「借りを返す」と一方的に男を追っかけるばかりである。男の方はその女の色香に惑わされたわけではなく、単に同情しているだけみたいな立場でいるのが男らしいというスタンスらしい。結局女の方は最初に受けた恩情の「借りを返す」ために自分の命まで投げ出して、それで満足して死んでしまう。
それは男にとっては都合いいことずくめに違いない。
「獣兵衛忍風帖」だけではなく、「D」や「妖獣都市」から菊池色を抜いて考えた時、そこに残る川尻色というのは、美女のためなら命は賭けるが自分の一生を捧げる気はない、とでもいうものだ。
フィクションとしてそれが最も上手く機能している物語が「鶴の恩返し」なのである。
男の親切心に感じ入った女がその男に惚れ込むわけなので、男にはその女に欲情を感じたという負い目がない。一方的に惚れられても、それは女の勝手というもので男側に負担はないのだ。
だからその女と寝るのも同情の延長線上にあるので男の側に責任をとる必要はない。
男一筋なのでどんなに美しい女でも浮気の心配はないし、しかも鶴であるという正体がばれる=男にとって都合の悪い方に状況が変わると女の方から去っていく。後腐れない事この上ない。
例えその去り方が「死」という形にしろ、残された男の方はまた幾らでも新しい女を手に入れる事が可能になるのである。
それは男にとってはグローバルに理想的なロマンチックな話なのだろう。だから川尻監督は海外からも評価が高いのである。欧米だと男女の主役はきっちり愛し合わなければならないし、その行き着く先は結婚だし、そうなるとどうしても行動に制限がかかるかさもなくば罪の意識との共存になるわけだが、このパターンだとそこから解放されているわけだもの。
まあ、女性の描くロマンチックなフィクションに出てくる「王子様」が現実にいないのと同様、川尻作品のロマンチックキャラである「宿命に翻弄される薄幸の美女」なんてのも現実には存在しないのは間違いない。美女であっても、女は強い。その時命を助けて貰っただけの男よりも、自分の一生をしっかりと引き受けてくれる男の方を選ぶ確率の方がずっと高いのである。
さて最後に残った3の「監督として他人に任せた方がいい部分はそうする」だが、自分自身のイメージを自分よりも的確に表現できるスタッフがいれば完全に信頼して任せるのだと何度も作画の箕輪さんの名前を出して言っていた。
これは実際に見ると本当に納得で、箕輪さんの絵柄の方がキャラに優しさとふくらみがあってずっといいのである。絵描きなのに自分の絵に拘らないあたりが川尻の懐の広さであり、監督としての力量なのだろう。
「バンパイアハンターD」では原作イラストの天野喜孝さんのテイストを充分に生かし(Dあんまり顔出ないけど)、原作ファンを唸らせてくれた。原作者である菊池秀行氏自身もトークショーで心から満足している様子だったのを覚えている。
「D」はハリウッド映画並に美術にも音楽にも手間と予算がたっぷりかけられている。もちろんアニメーションの完成度も群を抜いて高いので、是非見て欲しい作品である。これに限っては女性が見ても充分おもしろいしね♪