ブログネタ:不倫は○○だ!
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本文はここ
大辞泉によりますと、
不倫:[名・形動]道徳にはずれること。特に、男女関係で、人の道に背くこと。また、そのさま。「―な(の)恋」
浮気:3 配偶者・婚約者などがありながら、他の異性に気がひかれ、関係をもつこと。「旅先で―する」
というわけですので、例え浮気してもそれが「道徳にはずれてない」のであれば、それは「不倫」とは言わないのでしょう。
「不倫」をお気楽にやってしまう人は、それがそもそも「道徳に外れている」とは自分では思ってないのですね。言葉が「不倫」というだけで、実体は単なる「浮気」。人のモノを奪うとか、ちょっと秘密を持つとか、そういう心理状態が刺激となって、火遊びすることが楽しくなり、それが習慣になってしまうのでしょう。さらにそれが性癖にまでなってしまうと、もう普通の恋なんて退屈でできないし、一生そのままな事でしょう。
「不倫」で苦しむ人は、自分の中に確固とした道徳観があって、自分の行っている行為が人の道に背くことであると熟知していて、尚相手を愛することをやめられない人なのだと思います。こういう人が後ろめたさを感じつつ行う「不倫の恋」と単なる「浮気」とは同列で語るべきではないような気がします。
まあしかし、いろんな人が「不倫」について書いた文章読みますが、結局自分が「不倫」してイイ目を見た人は不倫に対して肯定的になるし、例えイイ目を見なくても不倫の経験者は絶対それを悪とは決めつけないですね。口では悪い悪いといいながら、でも仕方がなかったのよ、というのがパターンです。
逆に「不倫は絶対悪」と断言する人は、配偶者の不倫によって自分の家庭を壊された人。それはそう思うのも無理はないことです。
結局人間自分の体験でしか物事は語れませんし、罪の意識をずっと背負うなんていうのは非常に苦しいことなので、不倫しちゃった人はそれが「道徳にはずれること」だとは思わないようになるんですね。理由は何でもいいんですよ、「見つけた運命の相手がすでに結婚していたのが不幸の始まりだった」でも「不倫の一つや二つしなくて、何の男の甲斐性か」でも。あるいは「不倫」を許さない「道徳」の方が時代に即してないんだ、でも。
やってしまったことは肯定する。それが人間の愚かな性質。
そうやって一つ一つズルく何でもOKにして成立しているのが現代社会なのでしょう。
まあしかし「不倫」という言葉を使うならば、そこには何らかの精神的な苦痛を伴っていて欲しいですね。そうじゃなければ言葉というものがどんどん意味を失って軽くなっていってしまいますから。