ブログネタ:夏の海で聴きたい1曲は? 参加中
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夏の海じゃなくてもいいから、いつでも。

美しい声は耳に残る。
美しい声は忘れない。
美しい声は誰のものか、例えそれが初めて聴く曲でもすぐにわかる。

そして美しい声はいつまでも記憶に焼き付いて離れない。

私の知る限り最も美しい声を持つヴォーカリストはフレディー・マーキュリーだった。

彼が天に召されて何年もたつのに、今でも時折テレビから新しいCMのバックやBGMとして彼の声が聞こえてくる。

そのたびに、その声のあまりの美しさに涙が出そうになるのだ。

何故、人生半ばにして彼は死なねばならなかったのか。

エイズを私が心から憎むのは、それがフレディーを奪ったからだ。
彼が表舞台に現れなくなった時、ひょっとしたらと疑っていたことがある時正式に発表され、それから数日と時を置かずに彼の死がニュースで世界中に伝わった。

覚悟はしていた……その頃エイズは死病だったから。
涙も出ないままその晩は彼のために気持ちだけ喪に服し、次の日からは日常に戻った。

そう、歌手の一人の死ぐらいで人生は変わったりはしない。


そう思っていたし、実際その通りに暮らしていたはずだった。


だが違うのだ。


フレディーがそのまま世界からさえ忘れ去られたのなら、私も思い出す事はなかったのかもしれない。


しかし彼の才能は、その美声のみならず音域の広さと歌唱力を合わせて不世出のものだった。

その才能は持ち主の死と共に葬り去られるようなちっぽけなものではなかったのだ。

バッハ、モーツァルト、ベートーベンといったクラシックの作曲家が今もその名と音楽を伝えるように、フレディー・マーキュリーの声と歌も永くこの世に名声を留めるものだったのである。

彼の死後何年もしてからクイーンのアルバムは再び脚光を浴び、フレディーの歌はドラマのテーマやCMにどんどん使われるようになった。すると家の中でも雑踏の中でも、ふとした機会に彼の声が耳に入るようになってくる。その中には私の聞き覚えのない曲も含まれている。

けれどもその声がフレディーのものである事はすぐ分かる。

そしてその声を聞くたびに、彼の訃報を聞いた時に味わった痺れるような喪失感が再び胸に蘇ってくるのだ。

この美しい声の持ち主はもういない……その喪失感ははかりしれない程大きく、時として私を打ちのめす。

そうだ、フレディーが亡くなってから、ロックを聴かなくなったのは、もうその世界でクイーンが活躍することがないことを、自分で思い知ることが恐かったからなのだ。

それでクラシックを聴くようになったけれど、どれだけ聞いてもオペラが決して好きになれないのは、その歌唱法がフレディーのものと違うからだ。オペラ歌手のアリアを聴いても、私が決して満足できないのは、私にとっての最高のヴォーカリストはフレディー・マーキュリー唯一人でしかないからだ。

大切なものは、なくしてから気づく。いつも、決まって。

こんなにもフレディーの声が好きだったのに、彼が生きている間は新曲はいつでも聴けると思ってファンであることをしばらくサボっていたのだ。

私は何と馬鹿だったのだろう!!

おかげで彼が世を去ってからもこうして面影を追い続けなくてはならない。

テレビで特集があれば欠かさず見るし、去年ロンドンに行った時はミュージカルの「ウィー・ウィル・ロック・ユー」を当日券で見に行った。客席でノリノリで踊り歌いまくったけれど、でもそれはフレディーの影を追ったにすぎないものだった。本来ならクイーン現役のコンサートの時にやりたかった事である。だが、それはもはや適わぬ夢だ……。


ところが7月11日の事である。
何故か映画館の新宿バルト9からのメールが受信ボックスにあった。
覚えてないけれど映画関係の応募をしたので宣伝メールが来るようになったのだろうと、何の気なしに開いてみた。

するとそこには

「Queen Rock Montreal cine sound ver.」
映画館であの伝説のLIVEが新たな伝説を作る!
最先端のデジタルシネマを生かした初の本格的音楽Live!

最盛期のQueenをフルデジタルで再現!

2008年7月12日(土)より当劇場にて公開!

の文字が躍っていたのである。


あの、12日って、明日なんですけど……。


もちろん躊躇なんかしない。行くことはその字を見た瞬間に決定済みだ。

あとは日程を決めるだけ。

どうせなら初日の初回がいいよね? 


12日にはディズニーの「キャンプ・ロック」の試写に行くことが決まっていたが、それは午後一番なので初回の7時には余裕で間に合う。


問題は一緒に行く相手と、果たして初日初回の座席が空いているかどうかだが……。


「キャンプ・ロック」に一緒に行くことになっていた相手が「クイーン ロック モントリオール」も一緒に行っていいという返事をくれたのが土曜の朝だったので、大慌てでバルト9の先売りシステムのキネゾーを使ってチケットを取りにかかる。心配したとおりめぼしい席は全部埋まっていて、ようやく取れたのが後ろ側の端っこだったが、それでも何とか初日初回である。まずは一つクリア。


問題はこのキネゾー、現金決済は一時間前までに発券しないと予約がキャンセルになってしまう事。つまり6時にはバルト9に着いてなければならないが、その後1時間程暇になってしまうのである。


「キャンプ・ロック」の試写が終わるのが3時すぎのはずだから時間の余裕はたっぷりある。その暇に上手くいけば新宿で映画の一本も見られそうなものだ……と思って調べると、なんと見たいと思っていた「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」がその土曜から新宿歌舞伎町のジョイシネマでかかることになっている! 時間も(確か)4時20分から6時40分と丁度いい。


計画としては「キャンプ・ロック」のあとでまず新宿3丁目のバルト9に行って「クイーン~」の発券・決済、その後歌舞伎町まで歩いて「ホット・ファズ」鑑賞。そこで時間があったらお茶。その後映画が終わり次第バルト9にとって返して「クイーン~」の鑑賞。


ところでこの日は池袋の新文芸座で10時ぐらいから「川尻善昭ナイト」をやることになっていた。「クイーン~」の初回を見た後で池袋に回っても充分間に合う。ということで、余力があったら勢いでオールナイトも制覇しちゃおうと相談がまとまる。


この計画は忠実に実行された。

唯一の計算違いは新宿の雑踏が想像以上に激しかったことで、新宿3丁目から歌舞伎町まで歩くのに人垣に阻まれ異様に時間がかかってしまった。昼下がりの直射日光は暑いし、道はよくわからないし(私達は二人とも方向音痴です)、この日一番大変だったのはこの部分である。


「ホット・ファズ」が終わってから「クイーン~」が始まるまで20分しかない。

映画の終了後、クレジットを全部見てパンフレットまで買ってしまったので、その後は目の色を変えて小走りにバルト9に向かうことになる。


なんとかバルト9のあるビルには7時5分前にはたどりついたのだが、この映画館はビルに入ってからスクリーンに辿り着くまでが遠いのである。

まず、エレベーターがなかなか来ないし混んでいるので1回目で乗れるかどうか定かではない。

発券済みなのでチケットカウンターに寄る必要はないのだが、一旦その階でエレベーターを降りて目的のスクリーンのある階までエスカレーターでえんやとっとと旅に出ねばならない。


エレベーターに乗り合わせた人には私達と同じ「クイーン~」目的の人が何人もいて、地方から出てきたらしく勝手が分からずに苛立っていた(経験してても苛立ちますから当然ですね)。エスカレーターなんて、もう小走りである。


それでも始まる前にはスクリーンに辿り着き、落ち着いてコンサートを楽しむためにトイレに行く余裕もギリギリあった。


座席はかなり端だが、椅子が正面ではなくスクリーン中央に向かって斜めに配置されているため思ったよりもずっと見やすい。


そしていよいよ「クイーン ロック モントリオール」が始まる……。


何という音の良さ!


驚く程にクリアな音だ。

本物のコンサートよりも雑音はずっと少ないのではないか?


デジタル修正で傷一つない画面にも感じ入ったが、しかしこのリアルな音の迫力は、まるでクイーンがその場にいて演奏しているような臨場感だ!


私はクイーンの来日コンサートも経験しているので、本当に遜色がないことが分かる。


フレディーの声がそのまま聞こえる!


ああ、この声を、ライブの時のフレディーの声をもう一度聞きたかったのだ。レコーディングとは違う、観客のために歌ってくれる彼の声、パフォーマンスをもう一度味わいたいと思っていた。


それが、ここにある。


これはある意味奇跡である。


確かに映像は2次元のものだ。

しかし流れてくる音響は3次元に展開する。すぐその場で演奏されているかのように。息づかいさえも生々しく。


フレディー!!


あなたはそこにいる。

永遠の命を得て、ロック史に残る不世出のヴォーカリストとしての姿をいつまでもそこ留めるのだ。

あなたの美しい声はもはや決して失われることはない。


映画館の座席でコンサートの熱狂そのままにあなたの名を叫ぼう。


スクリーンに欠けているのが生身の人間の放つ熱量と汗ならば、それは私自身が補えばいい。

彼のために流す涙はなくていい。

必要なのは歓声と拍手。彼のために歌う声。彼に捧げる愛である。

そう、私は彼の声を心の底から愛している。

何故ならそれは、かけがえのない程美しいものだから。



その日、初日初回は当然満席で、最後列の人達はずっと立って踊っていた。

その場にいた全員がフレディーに再び会えた喜びに心から酔いしれていたと思う。



手が痛くなるまで拍手して、場内が明るくなった時には汗でびっしょりになっていた。

クイーンのコンサートだったのだから興奮して当然である。



二度と経験できないと思っていた喜びを再び味わうことができた。

本物ではないことは承知の上だが、それでも構わない。

私にとってフレディー・マーキュリーが永遠の人であることを改めて確認できたから。

クイーン以上に好きになれるロックのグループはもう現れないだろう。



夏の海で聴く一曲には「ドント・ストップ・ミー・ナウ」がふさわしいかもしれない。

少なくとも私にはぴったりの曲だ。