血液型の本、読んでみたい? ブログネタ:血液型の本、読んでみたい? 参加中
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私は血液型では性格は決まらないと思っているので、そんな本読んで時間を無駄にするつもりはありません。

世の中にはバーナム効果と心理学の現象があって、
「誰にでも該当するようなあいまいで一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう」
そうである(WIKI )。

このことを知った上で、それでも血液型による性格分類を信じられる人は、何かよっぽど根拠があるのだろう。
自分の身近にいる×型の人が本で読んでたその血液型の性格にまるまるあてはまるとか、或いは自分が本で読んだ△型の性格そのままだとか。

それで幸せに暮らしていける人がいるのなら、それで全然構わないと思う。
そのおかげでまわりの者は迷惑を被ることもありがちだが。

私の知ってる理系出身の中年男性は自分の興味の範疇で他人が何かを言うと、その話題について微に入り細を穿って正確性を求めて相手が根負けするまで追求してくるが、話題がいざ自分にとって興味のないものに移るや否や
「いや、人生には曖昧な部分があるからこそおもしろいんですよ」
と豹変し、その性格について突っ込まれると
「いや、私、◇型ですからね。生まれつきそういう性格なの。◇型だから仕方ないの」
といって話の矛先をそらします。
毎回です。
いーかげんにしろと思いますが、御本人はそういう自分の矛盾には一切気がついてないので文句を言った所で通じやしません。きっとその矛盾した部分も血液型のせいにしてバックレるつもりなんでしょう。

まあ、こちらも突っ込んだのをカドを立てずに収めるのには欠点を血液型のせいにして笑い飛ばすのが楽っちゃ楽ですがね。


血液型は知りませんが、新作映画が公開されるたびに
「この映画が今日本でヒットする要因があるとは思えない」
みたいな事を必ず言うおっさんがおりまして、まあ、映画というのはヒットする作品の方が少ないわけですから、彼のその「予言」はかなりの確率で当たるわけですよ。
ブログなんかだと、彼の「予言」は結構重んじられてたりしてね。

で、このオヤジ、「ポニョ」の時にもそれやっちまった。
思いっきり
「今の時代、あんな金魚と男の子の恋物語に興味を持つ層がどれだけいるのだろう。宮崎神話も遂に崩れる時がきたか」
なんて初日にさも心配そうに書き込んでたもんだけど、御存知の通り「ポニョ」は現在大ヒット中。

さて、どう出るかと思っていたら、まるで何事もなかったかのように
「やはりジブリの底力はスゴイ」
とか、あたかも自分が最初からこのヒットを予見してたかのような書き方してやがんの。
自分の「予言」が外れたことなんざ、おくびにも出しゃしねえ。

いっそ立派だと思ったわよ。
これだけ堂々と
「自分は最初から正しい予言をしていた」
然として振る舞えるなんてね。
多分実際、自分でもそう信じているんだろうな。


血液型で自分や他人の性格見る時も案外これと同じような感じで、誰にでもあてはまるような部分は当たってるから感心して受け入れ、稀に外れていた場合は、後からそういう事実は最初からなかったように記憶を書き換えて、「外れた」という記憶を闇に葬ってしまう。

結果的に「当たった」という記憶ばかりが残ることによって、血液型による性格分類に根拠があるように思い込むようになる。

人間の心理なんて、そんなようなものですよ。
自分に都合のいいことばかり覚えていて、幸せに生きていけるようにできている人もいるのです。
羨ましいわ。