「アキレスと亀」(公式サイト


この映画、最初からヴェネチア映画祭への出品を目論んでたに違いないと思いました。


だって冒頭部分って、いかにも欧米人受けしそうな「郷愁を誘う日本」的な映像のオンパレードだったもの(時代いつですか? 昭和25年ぐらい?)。そんで、樋口可南子が演じるのは菩薩のような妻であり母だから、地母神信仰がマリア崇拝につながるイタリアで受けが良いはずだし。


そんで、「ヴェネチア出品」ってことで箔をつけてから、おもむろに日本で公開する予定を最初から組んでたんだと思います。そのぐらいしないと、なかなかお客さん入らないでしょうから、この映画。


ま、なにしろ、この映画の主役はアキレスじゃなくて亀の方なので、のろいのろい。中年過ぎても売れてない画家のごくつぶしな人生をただ見せられるだけの映画は、正直言って辛いっす。


ただ、見ていて退屈しないのは、映像がめっちゃくちゃ美しいから! 何が美しいって、構図よ構図。斬新で先鋭的な構図みてるだけでドキドキします。キャストは構図の一部でしかないのですね。




トレイラーは構図の美しい部分なんか完全に無視して作っているので、上のようにこれぞという構図の一番大事なところに平然と字を入れやがる。そりゃ確かにそこは視線を集めるポイントだけどさ、そこが空間じゃなければ何の意味もないでしょ!


この映画の見所は、構図の美しさと言い切っても過言ではないと思います。


まあそれじゃあ一般の観客は呼び込めないので、あたかも夫婦愛の美しさをうたいあげた作品のように見せかけてますけどね、実際は夫婦愛なんかじゃなくて一方的な妻の愛でした。これが何でこんな美女がこんな冴えないつまらに男に惚れるのかという、私にとっては最大の疑問点が解消されないままだったので、全く感情移入できませんでしたが。


構図をいかに語ったところで、現物を目の当たりにしなければ何の意味もないのですが、しかし北野武が世界に通用する監督であるのは、この何気ない日常風景から抜群のセンスで最高の構図を切り取ってくる能力にありますね。この方、写真家になっても成功したかもしれませんが、写真には自分の思いは込められなかったのかもしれない。だから映画を撮るんでしょうね、自分は寡黙なまま、作品に全てを語って貰えるように。


ちなみに監督がこの映画で繰り返し訴えているのは、御自分の自殺願望。

この方、間違いなく死にたがりです。


でもね、正直なんです。

自殺願望のある一方、生存本能もちゃんとある。

死にたがりの自分が生きのびるためには菩薩のような女に救済を与えて貰うしかないとちゃんと分かってる。


菩薩のような女というのは、妻であると同時に彼の母でもあるのです。

全てを包み込んで自分を甘えさせ、癒してくれる絶対的な保護者、理想の母でありつつ欲望を満たしてくれる愛人の役を兼ね備える存在は現実世界ではタブーにあたるので、神話的な存在に例を求めるしかないわけで。


主人公は妻は手に入れていたんだけれど、それをもひとつ上の存在に引っ張り上げるというか押し上げるためには犠牲が必要だったんですよね。


見方によっては、彼は自分の命さえ犠牲にすることで遂に本当の菩薩を見いだした、と言えましょうか。

主人公はいざ知らず、北野武本人は作品を作ることで救済を見いだしたのでしょう。



もちろんそんな女は男から見た一方的な理想の女性像でしかありません。頼むからそんな理想は押しつけないでくれ、と女である私は映画見ながら思ってましたよ。