「ウォンテッド」公式サイト


この映画の見所はジェームズ・マカヴォイ君が格好良くなってからなのだけど、彼が本当に格好良くなるまでにかなり時間がかかるもので、最初に見た時はうっかり途中で眠り込んでしまった。一応なんとか話は通じるぐらいには見てたのだけれど、アンジェリーナ・ジョリー演ずるフォックスの過去の話というのは二度目に見た時初めて知ったわ(どうやら1時間近く眠り込んでいたらしい)。


この映画の映像ってなんとも斬新で、「マトリックス」を見た人が次に見たいと思うのは「マトリックス リローデッド」ではなくきっと「ウォンテッド」みたいなタイプの作品だったことだろう。


でもこれ、最後のマカヴォイ君(主役のウェスリーね)殴り込みのシーンって、シークエンスというかアクションの舞台設定は「リベリオン」でプレストンが嘘発見器にかけられてて、その針の示す反応が全部フラットになった後とほぼ同じだったんだよね。ガン=カタはないけどもさ。


もっとも「リベリオン」自体、封切りの時の宣伝文句には「マトリックス」を使われてたから、「ウォンテッド」を見て「リベリオン」を知らない人は「マトリックス」を連想するのも当然なのかもしれないけれど。


「ウォンテッド」の監督のティムール・ベクマンベトフ、「リベリオン」を見て「予算がたっぷりあればこのシーンをもっと迫力のあるものにできたのに」と思っていたんじゃないでしょーかねー。それで「ウォンテッド」をいいことに自分でそれをやっちゃった。とにかく見比べればわかりますが、ウェスリーの銃の使い方や調達の仕方、最後の円形の図書室に入った時の柱の裏から現れる敵キャラの様子とか、本当に「リベリオン」にそっくりです。かっこいい「絵」を追求すると自ずとそうなってしまうのかもしれないんですけどね。


それでも「ウォンテッド」には他の作品にはないオリジナリティーに満ちています。同じ円形の部屋の構図を使っても、「リベリオン」では剣による最小の動きでの8人斬りのために準備されたそれが「ウォンテッド」では一発の銃弾の動きで複数の敵をしとめるための重要な要素となっているわけで。


「リベリオン」や「ウルトラヴァイオレット」のガン=カタでは発射された弾の弾道や跳弾の軌道を予測して少ない弾数で多くの敵を倒すということをやってましたが、一応それでも物理法則には則っていたわけです。


でも「ウォンテッド」では物理法則完全無視ですからねー。


この原作者は「絵」の人なんだなーと思いましたね、私。

映画の中のセリフにあるんですよ。

「弾がまっすぐ飛ぶと知らなかったらどうする?」って。

これはたぶん逆の事を原作者本人が言われたんですね。きっと小さい子どもの頃、障害物をよけて飛んで敵を倒す弾の絵とかマンガとか書いて大人に見せたんですよ。そこで

「知らないのか。弾はまっすぐにしか飛ばないんだぞ」

と言われ、初めて2次元の絵の上では幾らでも簡単にできることが3次元では物理法則に縛られてて不可能だということに気づいたんでしょう。


で、その時感じた

「弾がまっすぐにしか飛ばないなんて誰が決めたんだ。つまらない!」

という思いをずっと大人になるまでひきずってて、それを全部自分の作品にぶちこんだのでしょうね。


これがどうして「絵」の人だと思ったかというと、絵の方がプリミティヴな表現手段で物理法則を知らない子どもでも描けるからです。絵ならば、例えそれが下手でも見せながら説明することもできますしね。弾が障害物をよけて飛び他のものにあたることなく綺麗に曲がって的の中心にあたったということを言葉のみで表現するのはかなり難しいので、そこまで言語能力が発達していれば当然「弾はまっすぐに飛ぶ」ぐらいの事は(テレビや本が身近にある環境ならば)恐らくすでに知っていると思うので。



同じ事を「書く」事で表現しようとすると、「超能力」だとか「超科学」とかとにかくデタラメでも何でも尤もらしい「理由」をつけなければなりません。文字そのものには絵のような説得力はありませんから、言葉をたくさん費やして読者に「弾が直進せず障害物をよけて的にあたる」のが理に適っている事を説明し納得させなければいけない。


でも「絵」ならね。登場人物の信じ切った表情一つで読者は何となく納得してしまいます(何といっても2次元なんだから、描かれたものが物理法則の外にあることは読者もちゃんと知ってるわけだし)。


マンガならば曲がった弾道を線で描くだけで、読者には理解できますしね。


「ウォンテッド」のスゴイのは、それをちゃんと映画的に見せちゃうところにあります。

紙の上では弾が動いていく様子を背景の上で線で表現する部分を、この作品では弾の代わりに背景を動かすことで「弾の動き」を表現しているんですね。それもごく当たり前にやったのでは当たり前過ぎてつまらないですから、巻き戻しを使ったり、途中一時停止を入れてたりといろんなアクセントをつけてくれる。物理法則を無視した上に時間の進み方まで無視しているわけで。その上で物語としてちゃんと成立しているからスゴイと言うか。


あとはやっぱりアンジェリーナ・ジョリーの演技力ですね。

あの思い込みの激しい顔で、私の撃った弾は曲がると信じて銃ぶっぱなされたら、観客みんなアンジーを信じます。観客がアンジーを信じてしまうから、アンジーの撃った弾が曲がるのを見ても誰も疑問に思わない。そこに具体的な理由なんかなくても、アンジーが弾が曲がると信じてるなら、その弾は曲がるんです。少なくとも映画見てる間はそれで疑問は持ちません(映画が終わった後で、「で、どうしてあの弾曲がるの?」と改めて思うにしろ)。


そういえばこの監督は映像の中に文字で決めゼリフをはめ込むのがとても上手なんですよね♪ それも日本の芸のない映画と違って、大道具や小道具を利用し、さらにその場のシチュエーションで偶然その言葉が現れたようにして見せるんですよ。


アンジーが最後に放った弾丸に刻まれていた「GOODBYE」も印象的でしたが、でも一番の傑作は会社を辞める決心をしたウェスリーがろくでなしの「親友」の横っ面をキーボードで張り倒した時。


壊れたキーボードからキーが幾つかはじけ飛んでいくんですが、その文字面が観客側を向いて単語を構成しているんですが、そこに殴られて床に倒れる寸前に親友の口から飛び出した歯が加わることで意味が通じるようになってるんですよね。その歯、歯根を上に向けてそれが「U」の字に見えるんです。確かその「U」が最後にくっついて


F U C K Y O U(←このが歯)


になってたんじゃないかな~。キーボードに「U」は二つないから苦肉の策だったのかもしれないけれど。


いろいろ細かくおもしろい映画でした。