*写真の下からネタバレがあります。未見の方は御注意下さい。
主演の二人、シャイア・ラブーフとミシェル・モナハンは「コンスタンティン」で共演済み。
シャイアはチャズという印象的なキャラクターで主演のキアヌ・リーブスに負けない存在感を示し、ミシェルは出番のほとんどがカットされながらも、アップになったワンカットの美しさで観客の心に残った。
「コンスタンティン」の興行成績はイマイチだったけれど、ヒロインのレイチェル・ワイズはその後「ナイロビの蜂」でアカデミー賞受賞、監督のフランシス・ローレンスは「アイ・アム・レジェンド」が大ヒット、シャイアは「トランスフォーマー」や「インディ・ジョーンズ」でヒットを連発、ミシェルも「MI3」に抜擢され主演女優へと成長した。あれはやっぱりすぐれた映画であったのだ。
「イーグル・アイ」でのシャイアの役も、どこかチャズという存在に似ていた。彼は常に自分が打ち込める何かを探している存在だ。そして見つけ出したものにそれ相応の価値があれば命を投げ出してもそれを守ろうとする。「トランスフォーマー」でもそうだった。
ミシェルも同じ、大事なものを命をかけて守る人だ。シャイアと違うのは、彼女が命をかけるのは愛する人にだという点にある。その人を守るためにまなじりを決し、彼女は走る。まっしぐらに。一度決めたらよそ見はしない、揺るがない。それが彼女だ。
この主演の二人の持ち味を十二分に引き出して、スクリーン狭しと引きずり回した映画、それが「イーグル・アイ」。観客はシャイアやミシェルと共に否が応でも事件に巻き込まれていく。
だからヒッチコック作品で言えば巻き込まれ型サスペンスの決定版である「北北西に進路を取れ」に似てると言えるだろうか。だが、テクノロジーの進歩した昨今、あんな悠長に逃げていたのでは死んでしまう。
「If you want to live you will obey.(私の指示に従いなさい さもないと死ぬことになる)」
アメリカ版ポスターのキャッチコピー、これがそのままなのだが、この「指示に従う」までの時間が10秒足らずでしかも「9,8,7……」とカウントダウンされてゆくのだ。ここで言われたことの意味が分からずぼーっとしているだけで、10秒後には御臨終である。
カウントダウンはなかったものの、これは「ボーン・アルティメイタム」のウォータールー駅のシチュエーションでのサイモン・ロスの置かれた状況に近い。指示に従わず、反論や自分の判断で行動するといった自己主張は死を招くのだ。
相手側の反論を押さえ込んだ形で指示を与えるやり方は「ソウ」シリーズが先輩だろう。「ソウ」シリーズは選択肢を与えているようで、二つの内の一つは絶対選びたくないような指示(例えば自分の死)なのだから、結局選ぶ道は一つしかないのだ。そのくせ、あたかも選択の自由を与えているように思わせてしまう所が「ソウ」シリーズの狡猾にして下劣な……そして恐らくは一番の醍醐味なのだろうが。
「イーグル・アイ」にはそういうもったいぶった点はない。指示に従うか、死ぬか、どっちかである。その機械的な状況に、いつしか二人も機械的に従うようになっていく。人間が実行するにしてはかなり極限に近い状況であるにしてもだ。
さて、シャイアの演じるジェリーには双子の兄弟がいて国の安全を守る仕事についているという設定だ。これはクリス・ロックとアンソニー・ホプキンスの「9デイズ」に似ている。双子の取り違えか、と思わせておいて、でも実はそうじゃないというのはよかったのだけど、残念ながらこの映画の一番重要部分が一番破綻していた。いや、現代のテクノロジーの限界なのかもしれないし、或いは超テクノロジーで実現可能にしたという設定かもしれないけれど。
でも、一卵性双生児でも、声紋はともかく指紋や虹彩は違うはずなんだよね。
サスペンスが最高に盛り上がったところで「あれ~?」となったのがこの映画の玉に瑕というか。
*この先、完全にネタバレになります。
さて、ここで一度話を最初に戻します。
試写会で監督がおっしゃったのが
「最初のシーンが重要だからしっかり見てね」。
だもんで、最初のシーンでこの映画で誰が怒ってるのか一発で分かってしまった。
だ~か~ら~、コンピューターに逆らっちゃあダメなんだってばあ!
意見求めたんなら、言われたこと聞いてやれよぉ!
そ~んな事もできないんなら、そもそもコンピューターなんぞ使うなってーの。
コンピューターには感情がないんだから、間違いを犯しても許してくれるとか大目に見るという発想はないのよ。論理のチャートに従って、二者択一、二者択一で(だってデジタルだから)、選ばなかった方を捨てていくだけなのよ。それが分からない人はコンピューターに指示を仰いだらダメ!
この辺のコンピューターの論理の組み立て方等は、ウィル・スミスの「アイ、ロボット」に共通する点がありましたね。柔らかな女性の声というのも。
しかしこの映画の大元は間違いなく「2001年宇宙の旅」ですよ。
あのHAL!
ディスカバリー号に搭載された最新鋭コンピューターだったHAL!
乗員の一人一人を殺し始め、観客を恐怖のどん底に叩き込んだ狂ったコンピューターHAL(ハル)が現代に性別を変えて甦ったんですね(HALの声は男性だったの)。
あの、まるで目のように見える赤いランプも、コンピューターの機能停止のさせ方も、「イーグル・アイ」は「2001」年へのオマージュとして作られていました。
何よりその場にいる軍人さんの名前が「ボウマン」だもんね。泣けるわよ。「2001年」で最後までHALと死闘を繰り広げた船長の名前だわよ、SFファンなら感涙にむせんじゃうわよ。
「イーグル・アイ」では最終的にトドメさしたのはロザリオ・ドーソンだったけど。うん、彼女なら、やる。やっぱり女は女同士で戦って勝者を決めなきゃいけないのね、例え相手がコンピューターでも。
再びキャスティングの話になりますが、ロザリオ・ドーソンって、なんていうか圧倒的な肉体の力を感じる女優さんなんですよね。彼女の体の存在感、そこから醸し出される力強さ、まるで地母神のようです。女コンピューターのアリアを破壊するのにこれ以上ぴったりの女性はいないって感じ。
彼女と行動を共にしていたボウマン(船長じゃないのよ~)は、オーランド・ブルームファンなら皆顔は知っている人。「ヘイヴン」でハンマーを演じていたアンソニー・マッキー(といっても、こっちの名前を覚えている人は少ないと思う)。軍服姿も板についた、凛々しい青年になっていたのでびっくり。
アリアに一人だけ愛された国防長官は「ファンタスティック4」の岩石男だったマイケル・チクリス。真っ正直で誠実な雰囲気がひしひしと伝わってきて、論理が心の中でねじ曲がらず頭の中でまっすぐに伝わっていく清々しさを感じます。
特筆すべきはビリー・ボブ・ソーントン。おじさん、アナタこんなにかっこいい人だったんですね! さすがアンジェリーナ・ジョリーの元夫! いつもは汚れ役っちゅーより汚れたかっこの役が多いけれど、スーツ姿になるとスタイルよかったんですね! しかも「スリング・プレイド」で見せてくれた、あの汚れなき愛他精神を再びここで垣間見られようとは……! いや~、感動でした。
もう一人、忘れちゃいけないウィリアム・サドラー。この方は、息子を愛するあまり厳格にしつけてしまい、その結果父の期待にそえないと絶望した息子から背かれるという役が似合います。
でも、この映画では最後に和解し、自分の手を離れて成長した息子を誇らしく見守る姿を披露していました。彼が演じる父親像は、アメリカ映画には欠かせない役なのかもしれません。
ところで「イーグル・アイ」には上記の他にも「セブン」に似たシーンとか、「ダイ・ハード2」や「ダイ・ハード4.0」を彷彿とさせるシーンがあります。シャイア君の一番の見せ場と思われるシーンでは、私は「ヒドゥン」のカイル・マクラクランを思い出していましたよ。注意深く見ていれば他にもあるかもしれません。
でもそんなことはどうでもよくなるぐらい、この映画はおもしろかった。
あれこれ考える暇なんかないぐらいスピーディーな展開にのって楽しめれば、映画なんてそれで充分なのでしょう。