「P.S.アイラヴユー」公式サイト


「最後の初恋」公式サイト


* 写真の下から上記両作品ともネタバレになります。


ジェラルド・バトラーは映画で見る方が魅力的。



ヒラリー・スワンクは写真の方が綺麗かも……。


ヒラリー・スワンクといえば「ミリオン・ダラー・ベイビー」の強靱なボクサー役が有名なのだが、その彼女がまるで少女のように見えてしまう程ジェラルド・バトラーの肉体は立派である。ここではちょいと脂肪大目だけど。


さて、「P.S.アイラヴユー」と「最後の初恋」を見比べて、私が「アイラヴユー」の方に軍配を挙げるのはジェラルド・バトラーを極めて魅力的に描いていたからに他ならない。「初恋」のリチャード・ギアはダイアン・レインとはお似合いではあったけれど、もひとつギアらしい魅力に欠けていたのである。


これは間違いなくターゲットが女性の映画なのだから、出てくる男性が観客の女性をうっとりさせなければ意味がないではないか。ヒロインに感情移入がしにくい場合、映画の魅力=男優の魅力となるのだから。


どうもこの二作品は監督が男性のせいなのか原作がそうだから仕方がないのか、ヒロインが魅力的ではないのである。もっとも私が魅力的だと思うヒロインは「エイリアン」のリプリーとか「バイオハザード」のアリスとか人間離れしたのばっかりだから、この作品のような普通っぽい女性には興味が持てなくて当たり前なのかもしれないが。


「アイラヴユー」のホリーも「初恋」のエイドリアンも、自分の進むべき道を見失い何が望みかわからないままその日をおくっている元・妻である。ホリーは夫に死なれ、エイドリアンは捨てられたという違いがあるが、とりあえず二人とも心に喪失感を抱いたまま毎日を過ごしている。


その喪失感をうめるのは、実は男性の存在ではない。

彼女達は両方とも学生時代はアートを勉強していたという設定で、自分の中に眠るアートへの欲求を気づかせてくれたのが男性の愛だったという話になる。


彼女達にとってのアートとは、自分の手を動かして作品を作ること。

ホリーは靴を、エイドリアンは木工による工芸品を、それぞれ創作することで自らの力に目覚めてゆく。

アートとは自己表現、彼女達は手仕事を通じ、自分自身の誇りを取り戻し、明日に向かって力強く生きていくのだ。



とまあ、両方ともこんな展開になるわけです、表向きのメッセージとしては。

だから本当の所、これは恋愛物のストーリーではないのね。

男性との愛は、それを失った時の喪失感がいかに大きいかという事を表現するための伏線存在してるので。


ちなみに二人とも、愛する男性の喪失を二度体験してるんですよ。


ホリーは14歳の時に父親に捨てられて(厳密にいえば捨てられたのはホリーの母だけど)、その後夫となったジェリーに死なれ、エイドリアンは夫に捨てられたあと深く愛し合ったポール(リチャード・ギア)にやはり死なれます。

最初は一方的な離別で次は死別。その最初の離別時の心の痛手を愛によって救ってくれた男性が、今度は死という形でさらに悲惨な別れを強要する。死ぬ方に全然責任はないんですが、残された者にとってはあまりに一方的すぎて怒りのぶつけようがないというのも確かです。


このダブルで襲いかかる喪失感を乗り越え、再び生きようという意欲をかきたてるものはアートしかない、そんな所までこの二作は共通しているんです。


違うのはヒロイン二人の年齢ですよね。

一方的な離別は家族全員の心に傷跡を残すもので、そのために残された家族がギクシャクする事も多いようで、エイドリアンは娘と、ホリーは母との間に確執を持っています。映画のラストではこの両者が和解し、娘の方が母の気持ちを思いやれるようになる、という部分がやはり同じです。エイドリアンの娘もホリーも、父が出て行った事で心の底で母を責めていた。それが間違いだと気づくんですね。自分以上に母の方が傷ついていたのだと。



もちろん細部は全然違うんですが、この二作品の根底にあるものはどちらも同じです。

最終的には母と娘の和解を描いているんですよ。


これはアメリカの女性映画には割と多いテーマで、正面から向き合った作品もたくさんあります(サンドラ・ブロックの「ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密」とか)。


まあ、観客を動員するためには恋愛の部分をフィーチャーした方が効果的ではありましょうが、実際に見てみると夫に捨てられた妻の苦しみを娘が理解する話だった、というのはちょっとどうなんでしょって感じです。



でも同様のテーマが同時期に2本も作られているというのは、アメリカではこれがきっと受けると考えられているんですよね。母と娘の確執の他にもう一つ、喪失感からの回復というのが重要なテーマとして掲げられていますから。


現実に、一家の大黒柱である夫が妻を捨てて出て行くケースも多いのだと思いますが、それ以上に濃く滲み出ているのが愛する人の突然の死によってもたらされた苦しさの方です。


私は平和な日本でのほほんと生活しているから分からないのかもしれませんが、アメリカはまだ同時多発テロによる深い喪失感から立ち直れないでいるのかもしれません。それに加えイラクでの戦死者もいるのです。


もちろん不慮の事故や突然の病で愛する人を失った人もたくさんいるでしょうが、それ以上にアメリカの社会全体を覆っている喪失感は大きく、同時多発テロやイラク派兵で夫や恋人を失った女性達の悲しみはまだ薄れていず、心を焼くような苦しさが癒えていないのかもしれない……ふと、そんな風にも思いました。



そうでも思わないと、「何だったの、この映画?」で終わっちゃいますので。

少なくとも映画に出演してくれたジェリーさんとギア様のために多少意味を見いださないと、見に行って2時間辛抱した自分が浮かばれませんって。


ね、喪失感を癒すのは創作でしょ?