「ブラインドネス」(公式サイト)


これは例えば「アウトブレイク」のように伝染性の強い病気が蔓延するのを防ぐ人々を描くのが目的の映画ではない。


この映画は「病気の蔓延を防ぐ」という目的で隔離された人々の物語ではあるが、しかしそこに医療行為らしきものはほとんどない。彼らが隔離されたのは病棟ではなく単なる施設。元は精神病院だった、いわば強制収容所である。


しかしこれはナチスに代表される強制収容所の中での死と隣り合わせの恐怖に満ちた日常を描写した作品でもないのである。


目が見えないだけで肉体的には健康な人々が、アメリカの市民であるのにも関わらず強制的に収容所に送られ、伝染性の強さ故に恐れられ怯えられて満足な世話も受けられない状況に否応なく叩き込まれ、外部との通信もシャットアウトされてしまう――要するに彼らは見捨てられてしまったのである。

何に?

もちろんアメリカに。

国家によって保証されているはずの基本的人権とか最低限の生活を送る権利とか法による保護とか、そういった一切のものを、伝染性の強い病気に罹患したというだけで剥奪されてしまったのだ。


一応雨風がしのげるだけの建物と水、それに調理の必要のない食品を与えられ、あとは目が見えなくなったばかりの人達だけで共同生活を送らせる――政府の無為無策というよりも、これは見て見ぬふりである。それこそがタイトル「ブラインドネス」の本当の意味かもしれない。



政府に見捨てられた人々が限定された環境の中で原始的な共同体を形成して助け合い、或いは争いながらなんとか生き延びようとする姿、それを克明に描くのがこの監督の目的であり、テーマなのだろう。


アメリカという強大な国家の中にあってさえ、ひとたび「見捨てられた」人々は最早健康で文化的な最低限の生活さえ送ることができないのだ。


国家が国家の体を為さず、政府が人民のために機能していない地域は現代の地球上にだって数知れず存在する。そこでは恐らく映画で見たよりもずっと悲惨な毎日が今でも続いているに違いない。


そういう状況になった時、人はどう行動するのか。



奇妙な事に、映画の中で突発的に盲いた人々の動き方は、ロメロが描いたリビングデッド――いわゆるゾンビの不格好な動き方によく似ていた。


そう、「ブラインドネス」のテーマは、ホラー界では40年程前にロメロが呈示したテーマそのものである。国家が機能を停止した時、その保護を失った人間はどのように行動するのか。SF映画では「核戦争後の地球」というテーマで繰り返し語られたものだ。「マッドマックス2」とか、ついでにいえば「北斗の拳」だってそうである。戦争捕虜達の行動として描かれる場合もあったかもしれない。例えばスピルバーグの「太陽の帝国」がそれにあたるだろう。


このテーマがホラーやSFや戦争映画やコミックを離れ、ついに純文学(?)にまで上り詰めて映画化されたのは祝うべき事なのかもしれない。ようやく真面目に語って貰える、日の当たる世界に躍り出たというか。興行的にはSFやホラー程稼げなくても、お偉い方々に取りあげて貰えるジャンルで権威を与えてもらえば、このテーマについて真剣に考える人も少しは増えるかもしれないし。


ただこの映画、純文学的体裁をとっているため、他にも語るべきテーマとして人種的問題とか性差別とか細々包含してるので、一つのテーマに絞って語るのには向いてないというのがある意味欠点となっている。どうしても焦点がブレてしまうのだ。いろんなテーマで深く語れるのは立派な作品の証拠なのかもしれないが。



収容所という狭い空間に閉じ込められた人々が能力のある一人の力によって生き延びる力を得るという点では、これは「ヒトラーの贋札」にも似ているかもしれない。


一人抜きんでた能力を持っていたために自然にリーダーとなり人の命を預かることに使命感さえ見いだしていた「ヒトラーの贋札」の主人公は、その能力が無用なものとなった時、自暴自棄となったのだが。


「ブラインドネス」では語られなかった主人公の行く末が、私には彼の姿に重なってならないのである。