朝日新聞の毎週水曜夕刊にバレリーナの草刈民代さんの「これが私のいきるみち?」と題されたエッセイが連載されている。バレリーナとして頂点を極めた人の日々の生活(当然バレエ中心で踊るための自分の体作りがメイン)語られていて、芸術に身を捧げた人の生き方というものが間近に感じられておもしろい。


その最新のタイトルが「なんとかなっちゃう」で、内容を要約すると


公演のためにサンクトペテルブルクに滞在中だが、その関係で別の公演を見るためモスクワを一泊二日で訪れることにした。

モスクワに行く数日前になって関係者に指摘され、初めてその公演がどの劇場で行われるか分かっていない事に気づいた。

しかも見る予定だった日のチケットは頼んでいないのにすでに完売

同行の夫は「いつもこうだ」と怒る。

だけどいつもなんとかなっちゃうのだ

今回もなんとかなって無事に公演を鑑賞できた。


めでたしめでたし、というもの。


――いるんだよね、こういう人。


私は声を大にして言いたい。いや、言う。


それは「なんとかなっちゃう」のと違うの!


あなたの周囲にいる人達が、あなたのために尽力してくれた結果なの!


いつも尽力する側にいる立場の者としては、

「だけどいつもなんとかなっちゃうのよ♪」

という発言は大変苦々しく聞こえます。


草刈さんの場合は著名で実力もあるバレリーナだから、バレエ関係の公演ならちょっと誰かに頼めばチケットぐらい融通して貰えるのかもしれないけれど、融通する方はあれこれ調整したりして余分な手間をかけてるのかもしれないわけですよ。


それは草刈さんがほんのちょっとだけ気を回して、公演の場所とかチケット状況とか事前にチェックしてれば誰かさんにとってはしなくてすんだ余分な手間なわけですよ。


それでも草刈さんなら、普段は自分が踊ること以外考える暇はなさそうだし、そのバレエが多くの人を魅了する芸術家だからと世間も大目に見てくれるでしょう。


だけど普通の、ごく一般の人がそれをやると、周囲の人にとってはただただ迷惑なだけなんですよね。


そしてそう言う人に限って、自分が他人にどれだけ迷惑をかけてるのか全く気づかず

「だっていつもなんとかなっちゃうから♪」

とか平気で言うんだわ。冗談じゃないっての。後始末する方の身になれ!


まあ、そういうことをいちいち気にしない人だからこそ

「大丈夫、いつだってなんとかなるんだから♪」

と反省することなく同じ事を繰り返し、そしてまた周囲の人がフォローに奔走することになるんでしょう。



言ってみれば「なんとかなる」人っていうのは、周囲に「なんとかしてくれる」人がいるって事です。

その人のために「なんとかしてあげたい」と思わせる魅力が備わっている人だからこそ、こういった発言ができるのかもしれません。草刈さんの場合は間違いなくそうですね。


人間って、決して平等じゃないな、としみじみ思いますわ。