ブログネタ:恋人は自分と似ている方がいい?真逆がいい?
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少なくとも言語感覚は。
そうしたら少なくとも会話で「真逆」なんて気持ちの悪い言葉を聞くことも喋ることもないでしょうからね。
「真逆」、これ、読みが「まさか」でなら辞書にもあります(こちら
)。
>〔補説〕 「真逆」とも書く
実はこの時点で「真っ逆さま」の流用からきた当て字みたいな印象があったりします(こちら
)。
でもこれ、いま「まギャク」って読むでしょ?
もう、この音が気持ち悪くって!
「まさか」なら「真」も「逆」も訓読みだから、漢字が当て字だとしてもそんなに違和感ないんですが、「まギャク」では「ま」が訓読みで「ギャク」が音読みになりますから、どうもすわりが悪くて聞いていて落ち着かないんですよね。
誰が最初にこれを「まギャク」と読んだのか知りませんけど、二つの漢字をそれぞれ自分が読める読み方で読んでしまったんでしょう。さらにその「まギャク」という読み方をしたことで「真っ正面の真が逆についてるんだから」と「正反対」と同義の意味を勝手に見いだしたと思われます。
その後「同じ意味なら『正反対』と打ち込むよりも字数が少ないから簡単便利」ってことでネット上で燎原の火の如く広がったのではないかと。本当は意味、間違ってるんですけどね。誰かその事を突っ込む人いなかったんでしょうか?
その内「まギャク」が「真逆」で「正反対」の意味もあるとして辞書に載る日がやってくるかもしれませんが、現在のところ私はこの言葉きくたびに背筋に悪寒がはしるので使うつもりはありません。そんな言葉を平気で使う人と親しいおつきあいをする気もありません。
もうひとつ、テレビで聞いて語感の悪さに飛び上がった言葉に「こじゃれた」ってのがあります。これ、漢字で書くと「小・洒落た」と書くのでしょうが、こんな用法も最近のものです。
「ちょっと洒落た」、と言えばいいところを気取って接頭辞の「小」なんかつけて表現してみたのでしょうが、それを読む際、本来は「しゃれた」であるべき音を「こぎれい」とか「こざっぱり」の例にならって「こじゃれた」にしたと思われます。
けどさ、日本語には「しゃれる」の他に「じゃれる」という動詞が立派に存在してるんだわ。「ぎれい」とか「ざっぱり」はその音で独立した言葉がないから間違う心配はないけれど、「こ・じゃれた」だと「小・洒落た」のか「小・じゃれた」なのか音だけじゃわからなくなるんです(実際上は文脈で判別できます)。
それに「こじれる」という言葉にも「こじゃれる」は音が似ているし。
なによりも「洒落た」という「シャレた」雰囲気を持つ軽妙洒脱な言葉の音が「小・じゃれた」になると濁音で濁ってとても汚く聞こえてくるんですよね。「小・綺麗」の場合は「き」が「ぎ」になっても鼻濁音で発音されるからあまり気になりませんが、「小・じゃれた」だともの凄く語感が悪いです。「じゃ」って「邪魔」の「邪」にも通じますから。
そんな言葉を自分はオシャレだと思ってホイホイ使っている女性アナウンサーは美意識が足りないと思いますね。
これもその内聞き慣れれば気に障らなくなるのかもしれませんが。
言葉は生き物で、変わり続けるものには違いありませんが、今の日本語はベースになる部分がどっかいっちゃってます。このベース=日本語の基本をしっかりさせておかないと、その内同じ日本語を喋っているはずなのにほんのちょっと所属する共同体が違うだけで言葉が通じなくなってしまいます。所属する共同体って、学校のクラスの中の仲良しグループなども含まれますよ。実際グループが違うと、同じ言葉を使っていても話が微妙に噛み合わなかったりしますよね。
それはそれで構わないのですが、それとは別に「どの日本人にも最低通じる日本語」というラインはせめて残しておいて欲しいと思うわけです。