ミヒャエル・エンデの傑作児童文学にしてファンタジー大作、かつてウォルフガング・ペーターゼンによりその前半だけが映画化され、今も人々の記憶に残る作品となっている「ネバーエンディング・ストーリー」が4半世紀を過ぎて今一度作り直される計画が進行中です。


まあねー、「ロード」のあとで二匹目のドジョウ狙いでファンタジー(それもいきなり3部作と銘打ったヤツ)大作は数多作られましたけれど、「ナルニア」(これは原作全7巻)以外はどれもコケたといって過言ではありませんものね~(「ライラ」とか「エラゴン」とか、その他死屍累々)。


原作選ぶなら本がベストセラーになったからだけではなく、内容が古典として恥ずかしくなく次世代に受け継がれるようなものでなければワールドワイドでメガヒットというアタリは出ないという事が制作者側も身に沁みて分かったのでしょう。「ハリー・ポッター」は全巻通して読むと、まさしく次の世代に伝えたいと思う内容であり、いずれは児童文学の古典として長く読まれ続ける作品になるはずです。


そこで目を付けられたのが、一度映画化して成功しているもののそれから随分年月がたって当時の子ども達が皆すっかり大人になってしまっている「ネバーエンディング・ストーリー」なのでしょう。ミヒャエル・エンデはすでに鬼籍に入り新作を望むべくもないですが、しかし彼の書いた作品は未だ古びず当時の輝きをそのまま放っています。彼が生きていた当時から彼の作品は古典の殿堂入りを果たしていたのだと思いますが。


「ロード」「ナルニア」「ハリー」そして「ネバーエンディング・ストーリー」、これらの作品が他のごく普通のファンタジーと一線を画しているのは、やはりその精神性です。


ファンタジーというとね、多いのは自分の願望というか欲望を充足させるような物語なんですよ。

そりゃプロ作家が書く物は同人誌と違ってストレートには出てませんが、それでも読む内に分かるのね。あ、この作家は自分がなくした子どもを本の中で取り返したいんだ、こっちの作家は子どもの自分をおいて死んでしまった父親に帰ってきて欲しいんだ、この作家は自分を省みなかった母親に復讐したいんだ、と。


そういう心境というのは非常に個人的なものですから、もしその作家と自分が同様な心境をもったことがあれば、その作家の書いた物は理解しやすいし、自分の心の代弁のようにも思えるから「おもしろい、いい作品だ」という感想を抱くでしょう。

でもその心境とは別の境地にいる読者にとっては、壮大なファンタジー世界が広がるのかと思ったら個人的な感傷やら思慕やら怨嗟やらを読まされていた事に気づいてがっくりするんですよね。


もちろん作者の腕前がよければ、そこに目を向けさせることなく一気に読者をストーリーの最後まで読ませてしまえます。自分の心中はオブラートにくるむようにしてさりげなく脇のエピソードとかで出して、物語としてのおもしろさだけを追求したなら、それは立派なエンターテインメントになるでしょう。

ただし、それで人を感動させることができるかどうかはまた別問題です。


エンターテインメントとしてのおもしろさを有しつつ、なおかつ人を感動させる作品、それが「ロード」や「ナルニア」や「ハリー」や「ネバーエンディング・ストーリー」です。これらの作品の中で主人公達を待ち受けるのは試練です。それは大人になるための通過儀礼としての試練ではなく、一人の人間が生きるための魂の試練です。その試練に挑まなければ死んでしまう――試練に負けたから死ぬのではなく、試練に挑まなければ生きる価値さえないのです。そういった、自分自身が生きていくためのギリギリのラインをどう乗り越えるのか……それが書かれているのです。


子ども向けのファンタジーですから結末は決まっているようなものですが、もしその結末に至るという確信が読者の方になければ、とても読み進められるような作品ではありません。ですから、これらの作品はファンタジーという体裁をとらざるを得ないのです。その結果、不当に低い評価を得ることになろうとも。


これは、子どものための、ファンタジーだから、最後はきっとみんな幸せになる。

そう信じてるから、ハリーが作品の中でどんなに辛い目にあっても、ページをめくる手を止めずにすむのです。

冒険といった身体に及ぶ危険ではなく、辛い境遇の時の精神状態を自分でどう支えていくかというのが実は「ハリー」のポイントなのです。映画はそのポイントをちゃんとおさえているから、誰もがこれは「ハリー」の世界だと納得するのですね。クィディッチのシーンはカットできても、ハリーの葛藤はカットできない。制作側がこれをちゃんとわきまえているのが「ハリー」の成功の秘訣でしょう。



実は最初に作られた「ネバーエンディング・ストーリー」は諸般の事情で本の前半のみしか映画化されなかったため原作ファンからはさんざんに罵られたものです。それは前半だけではエンデが書きたかった事が全く表現されないからでした。


今度の映画化ではこの壮大なストーリーの全てをきちんと語ってくれるのでしょうか?

そのことだけが気がかりです。