ブログネタ:No ○○, No Life
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「No Music, No Life」
「ノーミュージック、ノーライフ」
これ、映画の「デトロイト・メタル・シティ」で松山ケンイチ君が可愛く言ってましたね♪
なんちゅーかまー、思わず
「甘いわ!」
とどつき倒したくなるような世間知らず感でいっぱいで、そこがまた可愛かったんですけど♪
「No Music, No Life」
タワーレコードのコピーでこれを見ると、ここで語られている「音楽」は単に聞いて楽しむだけのもの(だからCDを買え! と)の様な感じで受け取ってしまうんですが、同じ言葉でも将来それで生活をたてようという人の口からだと重みが全然違って聞こえます。
その「重み」と、実際に口に出した時の調子の「軽さ」とのギャップがおかしさを生み出すんですけどね。
「デトロイト・メタル・シティ」では、松山ケンイチ君演じる根岸崇一は実際に音楽で生計をたてることができたわけで、それは本当にスゴイ事だと思います。文字通りの「No Music, No Life」が実現できたのですから、それが自分の目指す音楽の方向性と違うにしろ、音楽でメシが食える数少ない日本人の一人になったことは大変立派だと思います。
だってね、音楽って、メシ食えないんですよ、日本じゃなかなか。
東京芸大を出て国費で留学してあちらこちらのコンクールで賞を取ったようなソリストだって、日本に帰ってきたら歌だけじゃ暮らしていけないんですからね。
音楽学校の講師とか合唱団の指導者とか、それでも音楽関係で仕事があればまだしも、女性のピアニストさんや声楽家さんは大抵実家がお金持ちなのでそのまま暮らしているような方が多かったりするのですわ。
それでもピアニストとしての仕事がなくピアノ教師も過当競争で生徒さんがつかないなどとなると、折角学んだピアノの腕を生かすことが出来ずごく普通の勤め先を探してそこに就職することもあるんだそうです。
そういう人達がもし
「No Music, No Life」
と言ったなら、それはまさに血のにじむような魂の叫びに聞こえることでしょう。
「音楽がなければ、生きていけない」
とね。
プロの音楽家として多少は名の通った様な方は、どなたもそのぐらいの覚悟を決めてその道を進んでいます。
彼らのプロの技は己の命を削って培ったものだから、だから聞き手である我々を感動させるのでしょう。
私にはそこまでの覚悟はない。
だから言いたくても言えません、
「No Music, No Life」
とは。
松山君、私の代わりに言ってくれて、ありがとうね
「No Music, No Life」