ブログネタ:どんなとき、結婚に憧れる?
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着せ替え人形のドレスであっても、別格なのがウェディングドレスでした。純白のサテンをチュールやレースがふわふわ華やかに取り巻き、パールビーズがちりばめられたドレスは幼い時から常に女の子の憧れだったものです
結婚はしなくてもいいけど、ウェディングドレスは一生に一度は着てみたいのです。
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ウェディング・ドレスが結婚式にしか着られないのなら、このドレスを着るためには結婚するしかないんだなと思い詰めたりして。
ウェディング・ドレスってクリスマス・ケーキと同じで、特別な日のための特別な物だからデザインも特別なのよね。
どれだけゴージャスに飾り付けをしてもいい。レースとフリルとリボンとビーズをふんだんに使い、スカートを何段も重ねようが、裾を何メートルも引き摺ろうがベールが幾重にも重なろうが、ウェディングドレスであればそれらは全て許される。
――似合う似合わないは当然あって、それは選ぶ人次第ですが。
しかしこの世で最もゴージャスで美しく華やかなドレスを着たいと思ったら、それはウェディングドレスでしか叶わないないわけですよ。他の状況であんなゴッテリしたドレスは着られません。
いや、着るだけなら試着という手もありますが、やっぱりね、女なら最高のドレスを着るなら最高に美しく化粧して最高の舞台に登場して周囲の讃辞を浴びたいと思いますよね。だったらやっぱり結婚式しかないわけですよ、誰もが文句なしに祝福して暖かい目で見守ってくれるのが建前ですから。
そのためにはどうしたって相手を見つけて結婚するしか手段はない。
もちろんこれは結婚に対する誤った考え方ですが、でも女が結婚について考える時、心のどこかには素敵なウェディングドレスを着たいという願望が潜んでいるのは確かだと思います。
この感覚、結婚におけるウェディングドレスがいかに重要であるかを如実に物語っていたのが映画版の「セックス・アンド・ザ・シティ」でした。
映画とわざわざ断るのは、元々はTVドラマだったからで、ドラマの公式サイトはこちら
。
私は殺人事件を解決しないドラマには余り興味がないので(殺人が起きても混迷するだけのはもういやだ)「SATC」はたまにしか見てなかったんですが、映画が公開される事になったので最終シーズンの最終回はしっかり見たんですよね。
長く続いたTVシリーズですからキャラクターそれぞれに固定ファンもいるわけで、それらのファンの期待に出来る限り応えるべく練り込まれた脚本で、それぞれの人が最後にはそれぞれ自分にふさわしい幸せを見つけて、将来への夢と希望をつなぐというみごとな大団円が描かれていました。全員、ドラマの始まった頃に描いていた大きな夢を現実に合わせて削ったり足したりして修正し、それを自分が積極的に受け入れることで幸福への道を掴むという形でしたね。主役のキャリーはドラマのセオリー通り最初(厳密にではないけれど)の恋人と元の鞘に収まるというパターン。
最後にキャラクター全員の幸福な様子が映し出され、見ている方も幸せ気分に浸ってうっとりできるこれ以上はないだろうというぐらい完璧な最終回でした。
それが映画化となると、ドラマで終わったその続きを描くことになります。
完璧な最終回のあと、全員がそのまま幸せな生活を送っているだろうと視聴者側が漠然と思っている、その姿を映画で描出しなければならないのですが、しかし「幸せ」なだけではドラマになりません。登場人物達の幸せを一度完全にぶち壊してやらないと新たなドラマを始めることができないのです。
その方法として「セックス・アンド・ザ・シティ」で使われたのが、なんとウェディングドレス!
この脚本の上手さには舌を巻きましたよ。
幸せの象徴のはずのゴージャスなウェディングドレスそのものが、幸せな結婚をぶち壊しにする原因となるなんて!!
ミスター・ビッグとの結婚を決めたキャリー、最初は結婚式も内輪で地味に行う計画で、その計画にぴったり合ったウェディングドレス(スーツスタイル)も準備していたのに、雑誌の撮影でモデルをつとめたお礼にと進呈された、女の子の夢が全部凝縮されたようなゴージャスにしてシックな最高級のウェディングドレスを着る決心をしたばかりに、そのドレスにふさわしい結婚式を演出するため当初の計画はバッサリ捨てて、式場から来客から飾り付けの花からケータリングまで全部変更してしまうのです。
恐らく、キャリーのその様子を見ていたミスター・ビッグ、ドレス一枚変更しただけで他の全ての計画も新しいもに変える彼女に恐れをなしたのでしょう。ひょっとしたら花婿である自分もドレスに合わせて変えられるんじゃないかと不安を覚えたのかもしれません。
彼は誠実にその不安をキャリーに話そうと努めるのですが、土壇場で結婚式を全部仕切り直さなくてはならなくなったキャリーは聞く耳を持ちません。
ミスター・ビッグが、キャリーが本当に欲しいのは花婿である自分なのか、それとも豪華で派手で一生の語り草になるような結婚式をあげるために誰でもいいから選ばれたのが自分なのか、分からなくなったんですよね。
そこに様々なアクシデントが重なり、結局結婚式はドタキャンとなり、幸せの絶頂だったキャリーは一転して不幸のどん底に突き落とされ、そしてそこから再び這い上がってくるのが新しいドラマとなるわけですが……まあ、そんなドラマなんざとってつけたようなものでして。
実際のところ、この映画はこのキャリーの最高に美しいウェディングドレス姿を見ればもうそれで満足といっていいようなものだったんですわ。あとの人間ドラマは映画として成立させ、批評家に「くだらない」と切って捨てられないためだけにくっつけたようなもの。「セックス・アンド・ザ・シティ」のドラマなんて、テレビシリーズの時から人間的な成長とはほとんど無縁の話ですから、その時おもしろく見られればそれでOKなんです。
私が「セックス・アンド・ザ・シティ」を見て感じる楽しさは、幼女の頃遊んだ着せ替え人形の楽しさと全く同じものでした。
バービー人形そのもののようなスタイルをしたサラ・ジェシカ・パーカーが、次から次に綺麗で最新流行の服をとっかえひっかえ着て見せてくれるだけで充分目の保養でしたもの。
バービーって、元々日本人の好みの顔じゃなかったから、サラ・ジェシカ・パーカーが私の好みの美人じゃなくても許せたし。
とにかく彼女が可愛いドレスを着て、靴とバッグをぴったりにコーディネイトして、センス抜群のアクセサリーで身を飾って歩いてればそれだけでOKなんです、このドラマ。お人形は他に3体いて、それぞれに主張のあるコーディネイトで毎回目を楽しませてくれるのでサラに飽きたらサマンサと夢中になる人形を時に応じて変えることができるので、遊び自体に飽きるということもないし。
そんな彼女達が連れて歩く男性達は、結局、バービーのボーイフレンド人形同様のアクセサリーの一つにすぎないんですよね。見栄えのいい男性であればそれでよかった。それじゃあんまり非現実的すぎるというので、何かの罰のようにそうじゃない配偶者をあてがわれたキャラもいましたけどね。彼女はそのカップルの見かけの不釣り合い具合がひどすぎるゆえ、ドラマの中で最高の幸福を掴んでましたが。
着せ替え人形のドレスであっても、別格なのがウェディングドレスでした。純白のサテンをチュールやレースがふわふわ華やかに取り巻き、パールビーズがちりばめられたドレスは幼い時から常に女の子の憧れだったものです
そう、女にとってのウェディングドレスは、そのドレス次第で結婚式の内容を全て変更するのも当然と何の疑問もなく思わせる程、圧倒的な存在感をもって人生に君臨しているものなのです。
許されるものなら何度だって着たいわ! (だから日本の結婚式にはお色直しがある)
「セックス・アンド・ザ・シティ」、その欲求もしっかりかなえてくれて、キャリー、最初に用意していたウェディングドレスで当初の計画の通りの式をあげて、元の鞘に収まる形で幸せを取り戻して終わるわけです。
つまるところ要するに、あのゴージャスなドレスが割って入らなければ、滞りなく地味婚でストレートに幸せになってたはずなんですよね、キャリー。ドレスさえ貰わなければ、いや貰っても式に着ようとさえしなければ何も起きなかったはずなのに。
でも、でもでもでも、女には分かる、彼女の気持ちが。
あんなウェディングドレス貰っちゃって、しかも相手が決まってるなら、そりゃー着るしかないでしょうっっ!!!
相手いなくたって着たいよ、ホント。
結婚はしなくてもいいけど、ウェディングドレスは一生に一度は着てみたいのです。