執事とメイド、どっちがそばにいてほしい? ブログネタ:執事とメイド、どっちがそばにいてほしい? 参加中
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質問自体、最初から間違ってるような。

まあね、一日中家に居る人で、仮にその家が狭かったとしたら、執事もメイドも側にいるしか身の置き場がないでしょうが、普通そういう環境には執事もメイドも必要ないわ。

そもそも「執事」は「メイド」の男性版ではないし、お嬢様に一人というポジションで採用されるものでもない。

「メイド」の対になる言葉として一番近いのは、今は絶滅しているかもしれないけれどかつて「給仕」という意味だった「ボーイ」かもしれない。ただ昔のある種のカフェの「ボーイ」は、現在のメイド喫茶の「メイド」同様、男性の性的対象としての存在だったらしいけれど。日本にだって昔からゲイは存在してたので。

「ボーイ」という言葉に今でもそういう意味を感じる人がいるかもしれないし、また「ボーイ」は個人の家ではなく客商売の店にいるものであるという感覚は未だわりと残っているようなので、現在のいわゆる「メイド」にあたる性的対象を女性側から考えると何がいいかと該当する職業近辺で調べたら「執事」あたりが妥当だろうと落ち着く気持ちはよく分かりますが、そこで言われる「執事」と実際の職業としての「執事」は天と地程もかけ離れたものであることは理解しておくべきかと。


「メイちゃんの執事」はそもそも少女マンガだからそう目くじらたてて突っ込むこともないんだけど、テレビドラマになって現実の人間が演じているのを見るとさすがに違和感感じまくりだったんですよね。幸い昨日めでたく最終回をむかえ、佐藤健君や水嶋ヒロ君の好演で視聴率も16.6%となかなかの結果を出せたようで(ヤフーニュース )、ここらで自分の感じた違和感を分析しておきたいと思ったりして。


「メイちゃんの執事」を見ていると、そこに描かれている主従関係って絶対イングランドとかおフランスとかの洋風のものじゃなくって、日本古来の「乳母」の子どもである「めのと」(「乳母子(めのとご)」「乳兄弟(ちきょうだい)」)のイメージですわ。労働の対価として報酬を与えるという観点が完全に欠落しているもの。

めのとであれば、寝食を共にして相手の身の回りの世話をするのもごく自然な行動として納得できます。その家に代々仕える家系という形式だって、それならあり得ますからね。


でも例えそういう形であったとして、あたしゃ他人に四六時中側にいられるのはゴメンです。お掃除や洗濯や食事の支度は、私が出かけている間に家で終わらせておいて欲しいわ。

それでもどうしてもというのなら、やっぱ超美形の男性でしょ。見る楽しみがありますから。執事には手を出しちゃ行けないってのが拷問だけど。







まあ、マチガイってのはいつでも起きるものだわよね?