STYLISTA supported by MAYBELLINE NEW YORK FOXチャンネルでスタート!

4月6日(月)22:00 プレミア放送

4月20日(月)20:00 レギュラー放送スタート
毎週月曜日 20:00~21:00ほか


(以下公式サイトより一部抜粋)


大ヒット映画「プラダを着た悪魔」がリアリティーショーになったら?

それが今回お届けする「スタイリスタ」。
野心に燃える11人のファッション業界の卵達がファッション雑誌ELLEでの編集ポジションをかけ白熱の戦いを繰り広げる!

11人の候補者はELLEのファッション・ニュース・ディレクターでファッション業界に対し絶大な影響力を誇るアン・スロウィーのアシスタントの仕事に従事。候補者は毎回ファッションジャーナリストとして様々な試練にチャレンジしていく。

アンはELLEのクリエイティブディレクターのジョー・ジィーとファッション界の著名人をゲスト審査員として迎え、毎回違うミッションに挑戦した候補者を1人ずつ落としていく。アシスタントとして最後まで残れた優勝者は実際にファッション業界でのビジネスチャンスが与えられる。優勝者は1年間、ELLE誌の編集部でのポジションとその間の住居としてマンハッタンの高級アパート、また日本でも話題のH&Mから洋服が提供される。その価値、併せて10万ドル!



――というコンセプトの番組の第一話スペシャルプレビュー(4月6日放送)を試写会で見せて貰った。


番組の内容は上に抜粋してきた通りのもので、今アメリカでは大人気のリアリティーショー形式。

私が唯一知っているリアリティーショー番組はWOWOWで放送中の「プロジェクト・ランウェイ4 」だから、どうしてもそれに比べてしまうことになるが、第4シーズンで脂ののっている「ランウェイ」と放送第一回目の「スタイリスタ」では当然「スタイリスタ」の方が分が悪い。


それにも関わらず、放映中は全然目が離せなかった。


それは、番組全体を通じて常に視聴者に

「この先どうなるんだろう?」

というスリルを与え続けることに成功していたせいだと思う。


「プロジェクト・ランウェイ」ではその多くの時間はデザイナー達が与えられた課題である服を作る様子を描写するのに使われる。何もない所から一つの作品ができあがっていく過程を目の当たりにするのはそれだけで充分スリリングな体験で、「ランウェイ」という番組の醍醐味はまさにそこにある。



「ランウェイ」で試されるのはデザイナー達が身に備えた才能であり、計られるのは服を作り上げるための技量である。人間性そのものはさほど問題にならない。問われるとしたら、顧客の扱いが問題になった時ぐらいだろう。



それに対し「スタイリスタ」では言ってみれば全員が「卵」である。

著名なファッション雑誌「ELLE」で働くチャンスをものにするため、下働きから叩き上げていくその最下層にいるわけだ。

それぞれの特技も才能もまだ未知のまま、開花するチャンスさえ与えられないまま現場を去る者も多いだろう。

だから興味は勢い彼らの人間性と人間関係に絞られてくる。

見どころは「彼らに何ができるのか」或いは「できないのか」である。


カメラやインタビューもその辺はよく心得ていて、要所要所に的確な場面を挿入してくる。彼らのいや~な側面や人間的にそれってどうなの?的な部分を見事にとらえ、情け容赦なく画面上にさらけだしてくれている。


このリアリティーショーは「最後に残るのはただ一人!」というほとんど「ハイランダー」的なノリだから、蹴落とせる者から蹴落としておこう、そのためには今だけ手を組もう的なバトルロイヤル的企みも生まれる。その萌芽は第一話にしてすでにあったから、この先それがどう育ち、どういう風に彼らの人間関係に作用していくのかが一つの見ものになるだろう。


同時に、ファッション業界で生き残るためにはどれだけ性格が悪くなければならないか、というのも明るみに出るわけである。

まあ、ひょっとしたらそうじゃなくて、案外性格のとってもよい子が残されるのかもしれない――ファッション業界の面目だか見栄を保つために。

何故ならば、誰が残り、誰か落ちるのかを決めるのかは、最終的には審査員にかかっているからだ。



その審査員はELLE誌のファッション・ニュース・ディレクター、アン・スロウィーと同じくクリエイティブ・ディレクターのジョー・ズィー。まさに「プラダを着た悪魔」のメリル・ストリープとスタンリー・トゥッチの赴きですが、実際にはアンはメリルではなくマドンナによく似ているし、ジョーの方はどっちかというと監督のジョン・ウーに似ている。


ここで一言だけ言うなら、スーパーモデルのハイジ・クラムがホストを務めているだけあって「プロジェクト・ランウェイ」の審査員陣は華があるのに比べ、ギョーカイ人で外見にばしばし金使っていても普通人であるアンやジョーが審査を務める「スタイリスタ」はどうしても地味になるということだ。見た目の美しさにおいて、どうしても一歩遅れをとっている感じは否めないのである。



ま、さて、主にこの二人が自分達の雑誌にふさわしいと思う人材を残す、というよりはその時与えた課題を上手くこなせなかったものを落としていくわけだが、「ランウェイ」でもそうだが実力が似たり寄ったりの人の中から一人を選ぶ場合、そこには審査員自身の好みが強く反映される。


これがあからさまに単なる好き嫌いの感情で好きなタイプをとって嫌いなタイプを落としていたのでは、テレビで放送された途端非難が集中するのは目に見えているので賢い審査員の方々は露骨な事はしないわけだが(なにしろ「政治的に正しい」言葉使いが要求される国の番組である)、「自分は公明正大、えこひいきはしないわ」という態度の裏に透けて見えるものは確かにある。


例えば「プロジェクト・ランウェイ」であれば審査員達の中に厳然として存在するのは「美の頂点は白人にあり」みたいな思想である。なんというか、理想の美を古代ギリシア・ローマ時代や或いはルネサンスの彫刻に求めるような感じ。もっとも現代の美の基準はスリムをもってよしとするので、当時の彫刻のモデル達が現代に現れたらきっと「太め」の烙印を押されるのだろうが。


「ランウェイ」の審査員達だって白人ばかりではない。しかし彼らの念頭にある最高のファッションは白人女性を飾るものだ。それはまあ、現在我々が「洋服」と呼んでいるもののルーツを遡れば古代ローマに行くのだろうから仕方ないわけだが。


彼らの、恐らくは自分達でもはっきりそうと自覚はしていない(何故ならそれは当然のことだから)その感覚が垣間見えるのは、デザイナー達がいつものモデルではなく市井の人や他の職業の人をモデルに使う回である。そういう時、肌の白くないモデルに当たったデザイナーは、明らかに不利なのだ。


黒い肌ならば、まだいい。

褐色や黄色っぽい肌の持ち主――ラテン系やアジア系の女性がモデルになった時、デザイナーは自分の才能でも技術でもなく、審査員の偏見と勝負しなくてはならなくなる。


どんなにデザイナーがクライアントでもあるモデルのために良かれと思って選んだ生地でも、それが明るい赤やオレンジなら、デザインの前にその色と生地がチープ(安っぽい)とされる。その生地で作られたドレスがどんなに繊細で、モデル達に似合っていたとしてもだ。


ラテン系やアジア系の肌の色に似合う色――それすなわち黄味の強い赤系なのだが、当然それらの色合いは彼女達が似合うという理由で普段身につけている色になる。それがセレブの家でシッターやメイドとして働いている女性達やその娘達が好んで着る服の色だとしたら、セレブにとってその赤やオレンジは自分の家で下働きをする人間の着る服の色だと刷り込まれるのではないだろうか? そしてそれがその赤やオレンジが「チープ」だと考える理由になっているのではないだろうか?


その是非はさておき、「ランウェイ」では一般の人をモデルとして使った場合、肌が白くてスタイルがよくて美しいモデルを使えたデザイナーは、その時点ですでに一歩リードしていると言える。それは、残念ながら視聴者である私の中にもある、拭い去れない美の基準がそうなっているからなのだ。









「スタイリスタ」はその点を逆手に取った。

挑戦者達が人種を問わず皆一様に細身で美しい中に、たった一人だけ標準よりかなり体重が多めな女性が混じっているのである。まるでそこだけ「アグリー・ベティ」だ。もちろん彼女(ダニエル)がアグリーなわけではなく、ただ体型が丸っこいだけなのだが、他の10人の挑戦者達が判で押したようにスリムな中、彼女だけ異彩を放っているのは確かである。


彼女(ダニエル)の起用は、恐らく審査員達に対するチャレンジなのだ。

それはまた視聴者である我々に対してのチャレンジでもある。


試写会の司会の女性がいみじくも言ったものだ。

「当然彼女が落とされると思いましたよね」

と(彼女の当落はここでは教えません)。


どれだけ失礼なことを言ったのか司会の女性は気づいてもいなかったけれど、でもそれが恐らく一般的な見解だろう。

「プラダを着た悪魔」では、あのアン・ハサウェイでさえ最初は痩せろと言われていたのだから。


ファッション業界で働くためには体重のコントロールなんてできて当たり前、拒食症一歩手前ぐらいのスキニーでなければ、最先端のファッションは着こなせない。自分で着ることもできない服の記事なんて、天下のELLEの編集者が書くわけにいかない――これが視聴者の多くが持っている先入観だと思う。


ダニエルが一人だけ「太めちゃん」として異質な存在である時、彼女をとりまく人々は彼女をどう扱うのか。


そのダニエルを審査員はどう扱うのか。


その有様を目撃して、視聴者である我々は何を思うのか。


これらが「スタイリスタ」が我々につきつけている挑戦状なのである。



第一回を見る限り、ダニエルの存在が「スタイリスタ」をスリリングなものにしていたのは間違いない。まあ、このキャスティングにはかなり作為的なものを感じるわけだが、それで番組がおもしろくなるなら文句はない。


この先、「編集」という仕事で誰がどのように頭角を現していくのかは分からないが、それよりも人間関係の中で誰がどのように排除されていくのかには大変興味がある。


チャレンジャー達が共同生活をする中でそれぞれの人間性をさらけ出していく今後が非常に楽しみでもある。それはまさにリアリティ・ショーの王道ともいえる部分だからだ。


様々な面で期待が持てる新番組、それが「スタイリスタ」だった。