[eiga.com 映画ニュース]4月15日 


>記憶をなくしたスパイ、“ジェイソン・ボーン”の活躍を描くマット・デイモン主演の大ヒットシリーズ「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」を手がけたプロデューサーのフランク・マーシャルが、コミュニティサイトのツイッターで、シリーズ第4弾の公開が2011年夏になると発表した。


マーシャルの書き込みには当初、「『ボーン4』は現在、2111年の夏公開に向けて準備中」と記されていたが、これは本人のタイプミスだったようで、その後すぐ「そう、打ち間違えたよ。2011年だ」と訂正している。また、「オーシャンズ12」のジョージ・ノルフィが「ボーン4」の脚本を手がけることを認め、6月までには草稿が仕上がる予定だと明かした。


「ボーン4」は、前3作の原作者ロバート・ラドラムによる“ジェイソン・ボーン”シリーズとは別の著書「狂気のモザイク(The Parsifal Mosaic)」をもとに映画化すると伝えられている。デイモンの主演に関してはまだ正式決定しておらず、契約に向けて引き続き交渉中の模様だ。




このニュースでは「ボーン4」は「狂気のモザイク」を元にすると書かれてますが、これはまだ確定ではなかったと思います。


でも一応読んじゃったんですよね、これ。「狂気のモザイク」。


図書館に借りに行って、「狂気のモナリザ」とか口走って「そんな本ありません」て言われて職員さんとすったもんだの挙げ句、検索し直して書庫から持って来て頂きました。


そう、ラドラムはもう結構古い作家に分類されているようで、書棚に並んでない作品も多いんですよね。


私はラドラム現役の頃は何故か食指が動かなくて全然読んだことがなかったのですが、「ボーン」シリーズをきっかけに3部作を無理矢理貸してくれた人がいたので、それではまりました。ラドラム現役当時に私が好きだったのはジャック・ヒギンズとかデズモンド・バグリイだったのですが、案外近いテイストだったのですね。食わず嫌いしないで読んでおけばよかったわ。


どうして当時読まなかったのかと自分なりに分析しますと、ラドラムって当時の時代の空気をそのままうつしたような作品書いてたからだと思うんですね。私が読んでたヒギンズやバグリイの作品は書かれてからかなり時代がたっているものだったり、または第二次世界大戦などの古い時代を扱ったものばかりでしたから、そういう古色蒼然たる頭の私にはラドラムは新しすぎたんでしょう。


で、今読むと、当時最先端の「狂気のモザイク」なんかも20年以上前の作品になってて丁度良く古びているわけですよ。


そうすると、その時代というのをある程度の知識と客観性をもって見られるので、自分なりに納得しながら読むことができるんです。



で、「狂気のモザイク」を読むと分かってくるのが東西冷戦期にアメリカが核に対して抱いていた恐怖の深さなんですね。


米ソのどちらかが一発でも核爆弾を相手陣営に落としたら、次の瞬間報復攻撃とさらにそれに対する報復攻撃が始まって……その後はどうなるか分からない、みたいな。


そう、なんというか、ラドラムを読んで伝わって来る核の恐怖って、どこか得体の知れない、漠然としたものに対する恐れなんです。


私は日本人で、かつて核爆弾を落とされた国の人間ですから、核攻撃の後どうなったかという事はテレビを通じて徹底的に克明に知らされています。だから逆に、米ソが報復合戦で核攻撃し合ったら地球は滅亡するだろうと短絡的に考えている。そのため感じる恐怖も死や滅亡、放射能汚染といった具体的な事象に対してに絞られ、何か得体のしれない漠然とした恐怖が全身にまとわりついて離れないといったような感じは覚えません。


そういう、得体のしれないものに覚える恐怖というのは、実はホラー的な要素を多分に含んでいます。

私がラドラム現役の時代によく見ていたのがホラー映画なのですが、なんとなくその恐怖の源泉に通じる物をラドラムの本の中から感じましたね。



もうじき「ターミネーター4」が公開されますが、そもそもの最初の「ターミネーター」はスカイネットが暴走して世界中に核爆弾の雨が降りそそぐ「審判の日」というのがキーポイントになっています。それが「2」ではサラ・コナーの感じる恐怖の源になっているわけで、全作品を通じて非常に重要な役割を担っているんですが、何故それがそこまで深い恐怖となり、結果としてサラ・コナーを突き動かす原動力になっているのかは、意外と分かってるようで分かってなかったんだなーと思ったりして。


「ターミネーター」は84年で「狂気のモザイク」は82年ですから、大体同じような時代の空気の元で制作された作品なんですよ。すごく気の重い時代だったんですね。日本人は自分達は核保有してないと思ってるので、米ソの人達に比べたら案外気楽だったのかも(いえ、そんなバカは私だけかもしれません)。



でまあ、そういう時代背景をなんとなく本で読み知っていたので「ウォッチメン」のあの世界観というのも薄々分からないではないんですね。ただ、あれは米ソの冷戦時代のことを知らない人が見たら「なんじゃ、こりゃ」だろうなあともしみじみ思いましたけれど。




さて、それで「ボーン」の話に戻りますが、「モザイク」は全体を通じてその「米ソ冷戦下における核の報復合戦の恐怖」というものが根底にあるので、それなしに作品を成立させようとするとかなり難しいと思うんですよね。シチュエーションだけならいくらでも使えますし、時代に応じて小道具や設定を変え、売りであるハイテクを駆使させる事も可能です。


ただ、「ボーン」はどうしても現代の話になりますので、そうすると国家を揺るがす程の大きい恐怖として「審判の日」レベルの核攻撃を設定するのがかなり難しい。時代を反映する恐怖は目下「核」ではなく「テロ」へスライドしてますから。


空から降ってくるテロの恐怖、それはもうアメリカでは具体的なものです。


私達が原爆に対して抱く恐怖と同じで、得体の知れないものではない。


人間は自分がよく知っているものに対しては、必要以上の恐怖はあまり抱かないものです。


恐怖というのは漠然としているから、正体が知れないから恐ろしい。自分の想像の中でそれはどこまでもふくらみますからね。


しかしアメリカは、もう恐怖の正体を知ってしまった。

するとその後にやることは想像を逞しくすることではなく、恐怖の源を根絶やしにすることなんですよ。


そういう状況にある時、「恐怖のモザイク」の与えてくれるスリルと同じものを映画で再現するのは難しい。


それが「恐怖のモザイク」原作でで素直にゴーサインが出ない理由なんじゃないかな、等と思ったりします。同時にラドラムの多くの本が書庫行きになってしまっているね。



しかし今読んでもラドラムはおもしろいです!

当時の最新テクノロジーが「ポケベル」だったりするのはご愛敬ですが、内容は現代にも通じる普遍性が充分ありますから。


「ボーン」でどんどん映画化して、ラドラム作品が書庫から救出される日を楽しみにしましょう。