この作品がおもしろくなかったというわけではない。
むしろエンターテインメントとしては第一作目の「ダ・ヴィンチ・コード」よりよくできていたと思う。
だから今年見た中で「一番おもしろくなかった映画」というわけではないのだ。
ただ、原作のファンとして、「これだけはやっちゃいけないでしょ」という改変が加えられていたので、その点でどうしても評価が厳しくなってしまう。
私はこれでも原作は原作、映画は映画と割り切って見るタイプで、あの原作のストーリーを完全に無視した「ドラゴンボール・エボリューション」でさえ笑って許した程である。長大なストーリーをそのまま映画にするのは不可能だから、大幅なストーリーの改編や設定の変更は当然と思っているからだ。原作のテーマさえ変えられてしまっても、監督のテーマで物語が上手に組み替えられ、語り直され、それがすぐれたものになっているのであれば、文句は言わない。
でも「天使と悪魔」はそうじゃない。
ストーリーの表面、謎解きの部分は忠実に追いながら語られている物語は完全に別物だ。
何故ならそれは原作の持つ優れて美しい部分、崇高ともいえる設定を完全に欠落させているからだ。
一番大事な、この物語の肝ともいえる設定を完全に排除して、それで一体何が「天使と悪魔」だと言うのだろう?
なるほど、その設定をなかったことにすれば物語は単純になり、2時間半に収まる映画にはなるだろう。
だがそれでは、物語としてあまりにも浅薄なものにならないか。或いは今の観客にはその程度で充分ということか。もっと時間をかけて練り上げれば、原作の良さを生かした作品ができたのではないのか。
――それとも、脚本家と監督は、「天使と悪魔」を最初からこの形でおさめたかったのか。
この映画を見ていて原作と決定的に違うと感じらる部分は、カトリックに対する作り手側の態度である。映画には原作にはない冷笑的な雰囲気が全編を通して微妙に漂っているのだ。最後の最後に調子を合わせてゴキゲンを取り結んではいるものの、映画を見ながら端々に感じるのは「この監督(or脚本家)、カトリック嫌いだな」という印象である。
アメリカは元々新教徒の国だから、カトリックが嫌いだとしても無理はない。ただそのなんとはなしに抱いている感情が「ダ・ヴィンチ・コード」を制作する時にはプラスに働いたのが「天使と悪魔」ではマイナスとして表出したということだろう。しかしそれはこの作品を決定的に損なうものだ。
それとも扱っている問題が微妙すぎて、触れることができなかったのか。
映画としては、エンターテインメントとしてはその方向は間違っていないだろう。
だが、原作に感銘を受け、涙まで流したものにとってはこの映画はあまりにも物足りない。映画化と聞いて、まずこの部分はどうなるのだろうとドキドキした部分が一切出てこなかったのだから。
「シューター 極大射程」を見た時は原作を読んだ直後だったので原作との落差が気に入らず気に入らなかったものだが、その後テレビ放映時に見直したら実におもしろい作品である事が分かったので、もしかすると「天使と悪魔」もそうかもしれない。これは原作を読んだのは映画化が決まってすぐだったから、読んでからもう3年ぐらいたってるのだが。
とにかく、映画しか知らない方には是非原作を読むことをお薦めする。
本当の「天使と悪魔」はあんなものじゃないのである。