シネマトゥデイ  より(以下抜粋)


リヴ・タイラーが、ロサンゼルスの街で女性と大げんかを繰り広げる姿が目撃された。デイリー・メール紙の電子版によると、この女性はバギーに寝かしていた赤ちゃんが泣きやまないのに腹を立てたのか、泣き続ける赤ちゃんに向かって怒鳴りつけていた。偶然その現場にいたリヴは、赤ちゃんが無事かどうかバギーをのぞきこみ、警察を呼ぶと女性を脅すと、女性は怒り狂ったようにリヴに怒鳴り始め、お互いに指を突きつけ合いながらのけんかに発展した。この女性が赤ちゃんの祖母か子守かはわからないが、リヴが現場に背を向けて自分の車に戻ってくる間にも、リヴを指差しながら怒鳴り続けていたそう。自身も4歳の息子を持ち、子どものための基金にも活動的なリヴだけに、女性の横暴な態度が許せなかったようだ。けんかの後、リヴは気を取り直したように落ち着いてランチを取りに出掛けたそう




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映画を見ていて登場人物のある人が「良い人」なのか「悪い人」なのか見極める基準は何なのかと考える事がよくあります。


例えば警官にだって「良い警官」「悪い警官」がいます。

一般的には警官という立場にありながら犯罪に手を染めたり賄賂をとっていたりすればそれは「悪い警官」にはなるわけですが、それがそのまま「悪い人」に分類されるかというと、そうではない。


違法行為を働く悪い警官だったとしても、最終的な悪いこと――例えば「私利私欲のために無辜の人をためらいなく殺す」等――をしていなければ、人として本当に「良い」か「悪い」かは決められなかったりするわけです。例を挙げるなら、「自分の親や子どものために大金が必要で仕方なく」という言い訳を使えばは、物語の語り口次第では「悪い警官」であっても「悪い人」とにはあたらないと観客が思う場合があるわけです。


逆に例え犯罪者でもこの人は「良い人」なんだと観客が判断するのはまた別のシチュエーションで、それは女にとってはそのキャラクターが子どもを大事にしてるかどうかなんですよね。


「悪い人」ってのはたとえ血の繋がった実の子どもでも全然大事にしないものです。そういうのは最低にランク付けされます。

実子を可愛がる、これはまあいわば当然とみなされているので、親が自分の命にひきかえにするぐらいじゃないと物語としては感動は生み出されません。


養子も実子も分け隔てなく可愛がっていれば、そのキャラクターは少なくとも尊敬に値する人にはなります。それは間違いなく「良い親」ですから。ただ、「良い親」がイコール「良い人」かというと、なかなかストレートにそうはいかないです。「親」なら「自分の子ども」は可愛がって当然という意識が邪魔をするんですね。


自分の子でも何でもないよその子に対し、その子の命を守ろうとすればそれは「英雄」です。たぶんそういう人は相手が子どもじゃなくても大人でも守ろうとするのでしょう。自分の命とひきかえならば、それはもはや「良い人」の範疇さえ超えているんです。仮に法を犯していたとしても、それはそれとして英雄的行為は称えられることでしょう。


「英雄」とまでいかず、でもこの人は「良い人」なんだと観客が感じ入る行為は、血の繋がらないよその子を心配して自分の身を挺することですね。たとえば酒や煙草を習慣にしている未成年に対して、真剣にそれをやめさせようと努力すること。それは言葉で注意するだけじゃダメで、未成年の子どもや彼らを取り巻く環境の劣悪さをその人がなんとか改善させようと必死に努力している姿を見る時、その登場人物は「良い人」なんだという評価を得るのでしょう。少なくとも女性からは。


恋人でも夫婦でも親子でも兄弟でもないのに、未成年者のこの先の心配をする。

それは、子どもを通じて人類の未来そのものを守る行為です。

私達はそこに種としての人類の理想の姿を垣間見る。


たとえば「ルーキーズ」の川藤先生のようにね。

もちろん彼そもそも犯罪者じゃありませんが。


洋画だと「スクール・オブ・ロック」で犯罪行為スレスレの事までしていたジャック・ブラック演じるデューイが本当にいい先生になったんだ、彼は本当は「良い人間」だと観客が納得したのは、彼の教え子の一人が他のロックバンドのメンバーと悪い遊びをしているのを見つけた時に本気で子どもを叱り、そしてそのロックメンバー達に子どもの将来を台無しにするような悪い遊びを教えるなと本気でつっかかった時ですよ。


そう、子どもを本気で心配するというのは、その子の将来のことを考え、それが良い方向に進むように気を配ってあてるという事なのですね。その時、自分の都合に合わない事をしているから怒鳴りつけるのではなく、その行為がその子の将来にとってマイナスになる事を真剣に心配している――ああ、ジャック・ブラック(の演じたデューイ)は本当に「良い人」なんだと、観客ははっきり分かるわけです。


そういう意味では、上の記事でリブ・タイラーがとった行為は本当に勇気のある素晴らしいことだったのだと思います。幾らリブちゃんが心配しても、その子の側にいる大人がわからずやでどうしようもなかったのでしょうが。


血の繋がりがない、ただの通りすがりのお子様の事を心配して注意ができるリブ・タイラーは映画の役の上だけではなく実生活でも「良い人」なのに違いありません。